ドラマ『半沢直樹』さながらの厳しい環境に身を置く、木下晃馬さん。いわばエリート的存在でありながらとても謙虚で柔和な人柄で、仕事では常に“お客様目線”を心がけているという。どのような経緯で筑波大に進学し、銀行マンになったのだろうか。蹴球部時代のエピソードや、「財産」だという人との出会いについて、お話を聞いた。
2011年に株式会社三菱UFJ銀行に入社し、2020年、今年の4月より新丸の内支店で支店長代理を務めています。一般企業でいう係長のポジションで、マネージメントをする側ではなくプレーヤーとして、上場企業を含む大企業や業歴100年以上の中堅企業法人のお客様に、銀行やMUFGグループのソリューションを提供するなどの営業をしています。
普段は億単位を扱っていて、100億の案件も中にはありますね。
以前はプレッシャーを感じるあまり、萎縮することもありました。今年10年目で、これまで大阪、赤坂見附、静岡に転勤し、今は4店舗目。もちろん成功体験など良い経験だけではありませんが、だからこそ、経験の分だけ精神的にずいぶん鍛えられました。3支店目の静岡にいた頃に、ようやく自分なりのやり方をつかんだといった感じです。
やはりドラマですから、ハリウッドザコシショウのものまねぐらい誇張されていますよ(笑)。でも、ゼロではない。厳しいけれどやりがいのある世界だと思います。
ちなみに私が務めている支店長代理というポジションは、半沢次長に仕えている田島春という若い青年のような立場です。
そうですね。お客様と一番対面するところですから。
もちろん、います。今の直属の上司はとても尊敬できる人です。尊敬と一言でいっても色んな切り口で違うのですが、僕が尊敬できるのは人間的な魅力を持つ人や、仕事の進め方がうまい人。例えば、今の上司は後者で、とても勉強になっています。
交渉ごとには自分たちが実現したいゴールと、お客様がたどり着きたいゴールがあり、条件の折り合いをつけて両者がWin-Winにならなければいけません。今の上司は、自分たちの条件を提示してからお客様のゴールに寄せていくこともあれば、逆に、お客様が実現したいものに寄っていきながら、最終的に自分たちのゴールに近付けるといった、交渉の引き出しがとても豊富です。
失敗から学んだ経験が、今につながっています。入社4、5年目の時、お客様の言っていることを自分なりに、今振り返ると都合の良いように解釈して上司に報告をしてしまっていました。それが後になってお客様と意思の疎通がうまくできていなかったことが判明し、上司にひどく怒られました。
その時に「軸足は、会社じゃなくお客様に置かなければいけない」と実感して。落ち込んでいた私を上司や先輩方が励まして下さったことも、私自身を成長させてくれたと思います。
お客様のほうを向いて仕事をしていると成果が上がったり、上司がいる時にお客様に褒めて頂いたり、良いことがたくさんありました。1つ1つはささやかですが、そうした小さな成功体験の積み重ねにより「これが正しい仕事の仕方なんだ」と身をもって感じています。
弊社で働いている筑波大OBの先輩を訪問し直接お会いした際、「優秀な人がたくさんいる」と感じ、そういう環境で自分自身を成長させたいと思ったからです。
特に決め手になったのは、当時アメリカに駐在していた筑波大OBの方が、会ったこともない僕にわざわざアメリカから電話をしてくれたこと。親身になって面接のアドバイスをして下さったことで、こういう先輩がいる会社で働きたいと心が決まりました。
中学時代、サッカーのクラブチームに入っていた時に筑波大大学院生のコーチがいて、進路に迷っていた高校2、3年の頃にその方のアドバイスで筑波大を目指すことにしました。
地元でそこそこ強いクラブチームに所属し、中学時代はクラブユース選手権という全国大会に出場しました。高校でもサッカーを続けましたが、プロにはなれるほどの実力ではない、でも他にやりたいことはないから、サッカーでどこまでいけるか、大学でも挑戦してみようと。
教員の道も頭にあったので、筑波大を選んだといった感じです。
やはり蹴球部での経験が印象に残っていますね。当時の蹴球部は上からトップ、サテライト、B1、C2というレベルがあり、最初はC2、2年目にB1に上がり、それからサテライトに上がったことは、自分の実力以上の環境だったというのが正直な感想で。そういった環境が自分の成長を促してくれることを実感させられた良い機会でした。
先ほどお話した通り、就職活動において「成長できる環境に身を置きたい」という視点で会社を探したのは蹴球部での経験が大きいです。
高校時代までは自分の意見を強く押し出すタイプでしたが、蹴球部には全国からそういった強い性格の選手が集まって来ているので、自然と、その中での僕の役割ができてくるといいますか。そんな中、大学時代は「関西で一番おもしろくないやつ」ってイジられたりもしててたんですよ(笑)。
でも、1学年50人×4学年がいる中で、皆をまとめる役割を担い、皆の意見がどこに着地すればいいのかを考える機会を与えられました。そういったことを経験するうちに「色んな人の話を聞くことが楽しい」「色んな人と関わることが好きなんだ」と、新しい自分を発見することができました。
そうですね。でも上司には「もっと自己主張をしろ」「突破力がない」と指摘されることもありますし、そこを改善していくのが今後の課題ですね。
自分なりにサッカーはよくやったと思うんです。成長できたんじゃないかと。でもサッカー以外のこと、例えば外の人と接点をもって、もっと社会を知ることを積極的にやっていなかったので、大学生の僕には「もっと自分自身に向き合える、色んな経験をやったほうがいい」とアドバイスしたいです。
蹴球部の先輩には、観戦バスツアーを企画して筑波大の学生を引率した人がいるのですが、組織を動かすために行動したり、自分がいる組織の外の人とも積極的に関わっていれば、もっと何かが変わっていたような気がします。
座右の銘である「良い時ほど慎重に。悪い時ほど大胆に」です。この言葉は、2年次から卒業までお世話になった風間八宏監督(現・静岡SSUアスレジーナ テクニカルアドバイザー)の教えが元になっていると記憶しています。人間、良い時は何もしなくてもうまくいくし、悪い時は悪いからといって何もしなかったら悪くなっていく一方だと。
その言葉が僕のベースにあり、良い時と悪い時の気持ちのコントロールをしてパフォーマンスの振れ幅を少なくする。緩やかにでも斜め上にいくようにと心がけています。
このマインドがなければ、今の仕事で潰れていたかもしれない…、そう思えるほど心の支えになっています。
銀行は52歳ぐらいで役員にならなければ出向したりするのですが、そう考えると22歳で入社して30年間がプレイヤーとして活躍できる期間です、
これは本で読んだ話ですが、10年継続して続ければ100人に1人の存在になれる、次の10年は新しい領域で100人に1人の存在になれば、100人×100人で1万人に1人の価値を持つことができる。最後の10年では、その2つの領域から大きくジャンプして三角形を広げて、10万人の1人か100万人に1人の存在になれば世界が変わる。そういったことを常日頃、意識しています。
そうですね。まだ明確にこれといったものは見つかっていないのですが、今はまだゴールを定めず、銀行の在り方が変化していくであろうこれからの時代を読みながら、一歩ずつ前に進んでいけたらと思います。
筑波大で同期や先輩など尊敬できる人に出会えたことが、僕の財産です。悩んだ時や失敗した時に彼らの存在を思い出し、自分を奮い立たせて、また前を向く。そんな振り返りの場所になっています。
筑波大に来れば自分の生き方、指針が明確になります。様々な立場の人にとってチャレンジできる環境があり、これだ!という自分の軸が発見できる、そんな場所だと思います。
所属: | 株式会社三菱UFJ銀行 |
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役職: | 支店長代理 |
出生年: | 1988年 |
血液型: | B型 |
出身地: | 大阪府河内長野市 |
出身高校: | 大阪府立富田林高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | 体育・スポーツ経営学室 |
部活動: | 蹴球部 |
住んでいた場所: | 春日四丁目 |
行きつけのお店: | 秀苑 |
ニックネーム: | こうま |
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趣味: | ゴルフ |
特技: | 音を外して歌うこと |
尊敬する人: | 何人かの身近な人 |
年間読書数: | 10冊程度 |
心に残った本: | LIFE SHIFT |
心に残った映画: | GO |
好きなマンガ: | シュート |
好きなスポーツ: | サッカー |
好きな食べ物: | お酒に合うもの |
嫌いな食べ物: | パクチー |
訪れた国: | 韓国、タイ、米国 |
大切な習慣: | 早寝早起き |
口癖は?: | せやな。 |
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