中学時代に美容師になりたいという淡い夢を抱いたが、進学以外の道に踏み出すことができず塾通い。学年1位の成績を納めて地元の進学校に進学。それから大学、就職まで、いわゆる“ホワイトワーカー”としての道を歩んだが、自分の好きなことをやろうとヘアメイクアップアーティストに。少年時代の夢に立ち戻るまでに、どんな道のりを歩み、どんな想いを抱いたのだろうか。
フリーランスのヘアメイクアップアーティストです。広告での仕事がメインで、制作会社さんやカメラマン、アパレルでいうとブランドの担当者から仕事の依頼があり、スケジュールや内容を詰めていくといった流れです。
地上波のCMや、街に貼られている製品ポスターのモデルさんへのヘアメイク、プラス、テレビに出演するタレントさんのヘアメイクを担当することもあります。最近はEC向けの広告も多いですね。
だいたいの人が、最初は先輩や師匠のツテで仕事をもらいます。僕の場合は、先輩の知り合いが自主製作の映画を撮るにあたり、予算がないから1日5,000円でヘアメイクをやってくれる人を探していると聞いて。経験としてやってみようと、それが一番最初の仕事でした。
その時の監督はCMや広告を手がけていたので、そのご縁でその監督が関わるCMでのお仕事を頂き、そこから広がっていった感じですね。
いえ、若手時代は仕事が一週間ほとんどない時がざらにあったので、不安もありましたよ。
中学の時から美容師に憧れがあったんです。小学生の頃は親に髪の毛を切ってもらって、ヘアスタイルはいつも“キノコ”(笑)。
それを何とか変えたいと中学校の時、友達に連れて行ってもらった美容室で真剣に「僕のキノコは直るんですか?」って聞いたのは、今では笑い話ですけど、美容師さんがカッコ良くしてくれたことが衝撃で。それからヘアスタイルの雑誌を読んだり、ヘアワックスを色々試すのが好きになりました。
でも当時は「美容師」という仕事が遠くの存在というか、人生の選択肢としてイメージができず、勉強を生活の中心にすえちゃって。成績も良かったから兵庫県立長田高等学校にいこうと。一度そのレールに乗ってしまうと、「勉強で進路を選べないのはカッコ悪い」という意識が強くて美容師の専門学校にいく選択はできず、自然と国公立大学を目指すことになりました。
親元を離れて自立したかったので、自分のレベルを鑑みて筑波大にしようと。浪人をして2006年に国際総合学類に入学しました。
学外での話になってしまいますが、塾講師として働いていたことが経験として大きかったですね。E’zという塾の立ち上げに参加し、今でこそ茨城県内に校舎が5つありますが、当時はまだ生徒数一桁、プレハブのような校舎でした。
そこに力を注ぎすぎて体を壊してしまい、休学してしまったんですけど、そこでの経験が今に生きていることがあって。
当時の社長は一冊のビジネス本を熱心に読み込んで、事業に役立てていたんですね。そういった姿を見て、今の僕がフリーランスとしてどうやって自分の事業を大きくしていくかを考えた際、社長たちのようにビジネス本をなぞらえて実践することも多いです。
『センスは知識からはじまる』という本には救われました。この業界には化け物みたいにセンスが良い人がいて。それに比べて「自分はあかんな」と思っていた時に、この本に書かれていたのが、「センスというのは膨大な知識をしっかり貯めて、その中から最適な形を仕事にアウトプットすることだ」と。
この言葉に励まされて今までやってこられたという感じです。
筑波大で、人生で一番価値観の合う友達ができました。特に国際の学生は尊敬できる能力を持っている、かつ人間味がある人が多くて。
卒業後に働き出しても、この人はいくら稼いでいるといった物差しで測って、人のことをランク付けする人がいないので、お互いに見栄を張らず、純粋に仕事の話を聞いて面白いねと話せる、そんなタイプの人が筑波大の友人には多いですね。
周りには企業の商社や官僚、地方上級公務員、ジャーナリストもいますね。一番仲の良い友達は大手新聞社にいきました。
すぐにヘアメイクアップアーティストになったわけではなく、卒業後はインターンで有名なIT企業で営業をやっていました。大学の時、その会社でインターンをした延長でそのまま就職したんです。
先ほどの中学時代の話にも通じるんですけど、浪人までさせてもらって筑波大に入っておきながら、大学卒業後に美容師の専門学校に入学し直す決断はできませんでした。親に対して申し訳ないという気持ちがありました。
僕は自分のやりたいことをやるまでに遠回りしましたが、やりたいことが見つかっているなら早くやるに越したことはないと思います。大学の同期にも、ネームバリューがある企業に就職をしながらも数年で「やっぱり自分のやりたいことをやる」と軌道修正した人が多くて。早くに始めたほうが人より長くキャリアを積めますし、気持ちよく働くことができます。
僕が26歳でヘアメイクアップアーティストを始めたのなんて、業界的にはめちゃくちゃ遅いタイミングで、かなりのディスアドバンテージがありました。例えば26歳の時点だと、この業界では早い人は10年くらいのキャリアがあります。10年の違いがあると技術という点ではもちろん、人脈でも大きな差が出ます。それを巻き返すのは大変でしたから、自分がやりたいと思うことがあるのなら最短でやったほうがいいと思います。
僕はいわゆる“ホワイトワーカー”に続く道をずっと歩んできましたが、その道の終着点である会社勤めが合わなくて、体調を崩してしまって。人生における働き方を見直すキッカケがありました。
その時「後悔しない人生にするために何をしようか」と自問自答し、「ずっと好きだったものをやろう」とヘアメイクアップアーティストになることにしたんです。後はない、これがダメならホームレスしかないという気持ちでしたね。
自分の好きな仕事なら、心が折れそうになっても「自分にはこの仕事しかない」という原点に立ち戻ってくることができます。
物理的な仕事のしんどさでいうと、今の仕事も前の仕事もしんどいのは変わりませんが、自分の中での折り合いが全然違うんですよね。
もちろんサラリーマンを長く続けている人は僕とは違う能力を持っていて、自分の欲求に100パーセント折り合いがついていないことをうまく整理できる。それはそれですごい能力ですが、人間のタイプはそれぞれですから、僕は折り合いがつかないようなことや自分が前向きになれないことはできない、というタイプなんだと思います。
どの作品にもコンセプトやターゲット層があるので、技術者という視点、プラスアルファで物を考えられるというのは大きなアドバンテージだと思います。
それと、フリーランスとして自分で営業するにあたって戦略を立てたり、こういう分野を開拓しようであるとか、自分で考えて行動する時に大学での経験、塾講師のアルバイトの経験が生きているなと思います。
僕自身が鳥肌が立つぐらいのヘアメイクをすること、そしてモデルがそのヘアメイクをされたことで輝きを増すこと、最後に、その作品を見た消費者が「家に飾りたい」「毎日、映像で見たい」と夢中になれるような仕事を出していくことが目標です。
その目標をミュージックビデオという作品で実現したいという気持ちがあって、例えば、あいみょんさんの『愛を伝えたいだとか』という曲の映像がすごく面白くて、しょっちゅう見ているんですけど、そういう世間をあっと言わせるようなミュージックビデオに関わりたいというのが一番の目標ですね。
固定観念に縛られず、自分らしさ、自分っぽくいられること。つくばは僻地だからこそ、良い意味で東京に染まっていないので、その中で自分自身が本当にやりたいことや、見栄を張らずにできることが見つけられると思います。
僕の人生は、人からどう見られるかというのが進路を決める際の大きな割合を占めていましたが、最終的には自分の素の声に従うことが一番ではないかと思います。
所属: | フリーランス |
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出生年: | 1986年 |
血液型: | B型 |
出身地: | 兵庫県神戸市 |
出身高校: | 兵庫県立長田高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 国際総合学類 |
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研究室: | 中村ゼミ |
部活動: | 国関サッカー |
住んでいた場所: | 春日4丁目 |
行きつけのお店: | Agato |
ニックネーム: | たっちゃん |
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趣味: | 散歩、漫画 |
特技: | ヘアメイク |
尊敬する人: | ピエール・オーギュスト・ルノアール、大学の時切ってもらってた美容師さん、仕事仲間 |
年間読書数: | 5冊 |
心に残った本: | センスは知識からはじまる(水野 学)、エッセンシャル思考(グレッグ・マキューン)、星を継ぐもの(ジェイムズ・P・ホーガン) |
心に残った映画: | ファイトクラブ、インターステラー、インセプション |
好きなスポーツ: | サッカー |
好きな食べ物: | 甘い物、コーヒー |
嫌いな食べ物: | はんぺん |
訪れた国: | イギリス、フランス、アメリカ(ハワイ)、韓国 |
大切な習慣: | お風呂上がりのストレッチ |
口癖は?: | 良い!(仕事中) |
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