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二種目を両立させて夏・冬五輪出場を目指す

Sportsperson
2016/12/05
インタビュー
  • 60
女子円盤投/ボブスレー日本代表
日下 望美
(体育専門学群 2009年入学)

高校時代、円盤投で三冠を達成していながら、筑波大進学後は学内選考会でインカレを逃すという挫折を味わった日下望美さん。在学中に単身ドイツへ留学したことで選手として、人として一回り大きくなり自己ベストを達成。現在は円盤投とボブスレーのトップ選手として活躍し、夏・冬両方での五輪出場を目指している。資金面での苦労はありつつも、明るく前を向く彼女の信念とは?

大学3年、ドイツで武者修行

スポーツを始めたきっかけを教えて下さい。

昔ハードルをやっていた父の影響で姉がハードルを始めて、その姉の姿を見て私も小学5年の時にハードルを始めました。投てき競技に転向したのは中1の夏。ハードルで県新人大会の参加標準記録を切ることができなかったのに、意外とパワーがあったようで砲丸投で記録が切れて。試しに県新人に出てみたら砲丸投の方が感触が良くて、投てき種目に絞ることにしました。

競技成績はいかがでしたか?

中学2、3年で全日本中学校陸上選手権に出場しましたが、特に成績は残せず。中学3年の秋のジュニアオリンピックを前に、「出場種目に砲丸投がないから円盤投をやらないか」と先生に助言されて円盤に転向し、その大会で2番に。

しかも、当時の私はターンしてから円盤を投げることが上手くできなくて、スタンディングから投げての2番だったので、ターンができるようになったらもっと伸びるんじゃないかという期待もあり、土浦湖北高校に進学後、専門的に円盤投の練習を始めました。

才能が開花し、高校1年でインターハイ出場。高2の秋田国体で7番、日本ユースで優勝しその年代でトップに。

ターンができるようになったこともそうですけど、中学の時スタンディングの練習をたくさんしていたことも良かったのかなと。円盤投は6,7割、スタンディングで決まるとも言われているので、中3から高1にかけて基礎作りができたんじゃないかと思います。さらにアジアで活躍していた指導者からの専門的な指導も加わって、どんどん記録が伸びていきました。

高校3年ではインターハイ、国体、日本ジュニア全てに優勝し三冠。二冠までは珍しい話ではありませんが、三冠することは難しいですね。

インターハイはドラマのような逆転優勝でした。最後の6投目を投げるまでは3番手だったのに、逆転優勝。次の国体では下の世代に良い選手が揃っていたので、そのプレッシャーを感じながらも「意地で勝ちたい」と、つかみ取った優勝でした。日本ジュニアでは大学1年生を相手に「自分は挑戦者だ」という気持ちで臨んだら、勝ってしまったという感じです。3冠を達成して、「自分のやるべきことが見つかったな」と実感しました。

進路についてはどう考えていましたか?

茨城県出身なので、筑波大に入りたいと小学生ぐらいから思っていたんです。高校入学時に、恩師からは「勉強は怠らず、しっかりやりなさい」と言われ、円盤投げ同様に勉強にも力を入れていました。インターハイで優勝した時に「推薦を受けよう」と進学を決意し、インターハイ直後から小論文の勉強を始めました。筑波大の推薦は、インターハイで優勝している人でも過去に落ちたことがあると聞いたので必死で勉強しましたね。

当時の筑波大の投てきのレベルは?

5人ぐらい強い選手がいて、しかも全員、全日本インカレ参加標準記録Aを切っている実力だったので、学内選考会は競争が激しくて。入学してすぐの関東インカレに出場することはできましたけど、その年の夏休みに実施された日本インカレの選考会では、4番手で選考落ち……。高校で三冠していながら落ちるなんて、「これが筑波大のレベルなんだ」と。初めて挫折を味わった経験でした。

その時のインカレはどんな気持ちで見ていましたか?

筑波大の4年生が上位で活躍しましたけど、正直、応援するのはキツかったです。スタンドから試合を見るのは初めての経験でしたし、しかも自分が選考に落ちた大会ですから。それから2か月ぐらいは立ち直れませんでしたが、高校のインターハイで優勝した時の映像を見返して、「あの時のように、また輝きたい」と気持ちを立て直しました。

3年の冬にドイツ留学をしていますね。

高校の恩師もドイツに練習にいったことがあると聞いて興味を持っていましたし、ドイツは投てき大国で、円盤投でロンドン五輪とリオ五輪で金メダルを獲得しているハルティング兄弟や、世界選手権やオリンピックで優勝している女子選手も多いんです。しかもお願いしたコーチは、ドイツのナショナルコーチを辞めたばかりの人だったので、2週間でしたけど大きな収穫がありました。

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どんな収穫が?

選手として世界的なトレーニングを修得できたことはもちろんですが、人として成長できたというか。大学にいればマネージャーや先生が試合の申請や場所取りなど全部やってくれて、選手はただ試合に集中するだけですが、ドイツ留学は1から自分で探して手配するなど「信じられるものは自分だけ」という厳しい環境でした。

しかも1人で海外に行ったのは初めてなのに、英語もよく分からない私が海外の空港で飛行機の乗り継ぎをして、今思えば「よくやったなぁ」と。“武者修行”のような感覚で、あえてそういう状況に自ら飛び込んでいったことで精神的に強くなったと思います。

その経験は記録に結びついたのでしょうか。

大学4年の時に自己ベストが出ました。その記録をいまだに更新できてはいませんが(笑)。

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大学生活で、競技以外の思い出は?

臨海実習で2時間、遠泳をしたことですね。私、泳ぐのが苦手で、事前の泳力チェックでは平泳ぎ6メートルしか泳げなかったんですよ(笑)。遠泳に向けて週に1回プールで練習しなければいけないことも大変でしたが、まだ20メートル泳げるかどうかという実力で、いざ本番を迎えて。死ぬかもしれないと思いながら、2時間泳ぎ切りました。人間って追い込まれたらなんでもできるんだということを実感しましたし、泳ぎ切った経験が自信になりました。

改めて、筑波大に行って良かったと思うことは?

陸上部だけじゃなく、体専自体にたくさんレベルの高い選手が集まっていますから、皆のレベルに乗っかるような感覚で自然に頑張ることができたことです。あの4年間での頑張りと、そこで得た自信があるからこそ今も競技を続けていられるのだと思います。

二種目やることで相互作用がある

当時、卒業後の進路についてはどう考えていましたか。

女子の円盤投は指導者がなかなかいないので、自分が茨城県の投てき競技に貢献したいという気持ちで大学に入る前から教員志望でした。ところが4年の夏に教員採用試験に落ちてしまって「どうしよう⁉」と。円盤投の選手として実業団に行くことは、インターハイやインカレで優勝している選手でも難しいんです。

そんな時、高校の恩師から「もうちょっと学生として円盤やってみたらいいんじゃないか」と言われて、少し環境を変えてみよう、新しいことに挑戦したいという気持ちで順天堂大学の大学院に進みました。

院を修了後は小美玉スポーツクラブ所属として、円盤投を続けています。

大学4年の時、地元・小美玉市にある小美玉スポーツクラブの取材を受けていたご縁で、進路に迷っていた大学院の時に「所属しませんか」と声をかけていただきました。2015年から非常勤として子供たちのスポーツ指導員という形で働きながら、自分の競技のトレーニングもしています。

トップ選手でありながら、同年にはボブスレーを始めていますね。

男子の投てき選手でボブスレーに転向している人がいることを知っていたので、競技特性は合っていると思ったのが1つと、日本代表でボブスレーのパイロットをやっている先輩に「私の後ろに乗らない?」と声をかけられてトライアウトを受けました。

練習を始めてすぐに全日本プッシュ選手権に出場したところ、2番という成績を収めて日本代表に選んでいただき、昨シーズンはヨーロッパに海外遠征に参加。今シーズンは11月からドイツに1か月半滞在し、帰国後は長野で開催される日本選手権、年末から2月の後半まで海外に滞在して、その後は韓国の平昌でプレオリンピックという形で試合に参加する予定です。

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現在の活躍を知った大学時代の友達からの反応は?

ボブスレーを始めた時は「色んなことやるね~」って、皆驚いてました(笑)。 

円盤投とボブスレーの両立は大変では?

ボブスレーの練習では重い機体を素早く動かす投機練習をしていますが、この動きが円盤投にも活きるのではないかという考えを持っているので、円盤投にマイナスなことはない、むしろプラスになるだろうと思っています。

もともとトレーニング自体が似ていて、円盤投の練習でもボブスレーの練習でもランニング、ウェイトトレーニング、ジャンプの練習など共通するものが多いんですね。円盤投で培ったものがそのままボブスレーに活かせています。

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現在は、非常勤で高校の先生もやっているそうですね。

はい。2018年の冬季オリンピックのことを考えると、競技に専念したいというのが本音ですが、毎年11月から始まるシーズンの間、海外遠征に行くにも一部の渡航費を自己負担しなければいけない現実的な問題がありまして……。

トップ選手とはいえ、マイナースポーツにおいて資金の工面は大変ですか?

これでも環境は良くなったほうで、2016年9月から、つくば市にあるStudio D Styleさんが「日下望美応援プロジェクト」を立ち上げて下さってからは、トレーニングや資金集めなど全てをプロデュースして下さるようになりました。そういった基盤は固まりましたが、二種目を両立するには資金が倍かかります。

12月からはクラウドファンディングでの資金を集めもスタートするので、ぜひ多くの方々に私の存在を知っていただいて、応援していただけると嬉しいですね。

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では、今後の目標を教えて下さい。

夏も冬も出る“W五輪”が一番の目標ですけど、それを叶えるためには2018年の冬季オリンピックをクリアしないことには始まりません。まずは「ボブスレーで平昌五輪に出る」。それが実現したらボブスレーにピリオドを打って、平昌から2年後の東京オリンピックに向けて円盤投ひと筋に戻ろうと思っています。

過去、橋本聖子さんが自転車とスピードスケートで夏・冬両方に出場したことが話題になりました。

私が夏と冬の両方に出られたら日本で5人目らしいので、それを目指して頑張ります。それに、私が2つのオリンピックに出ることで、もっと日本全体に「2種目のスポーツをやる」ことが浸透してくれればという期待もあるんです。

海外選手ではよくあることですが、日本で「二種目やっている」というと、どちらも中途半端になるのではないかと支援されにくくなってしまいます。でも私の実感として、二種目のスポーツをやることで相互作用がありますから、それを私が結果として示すことで、あとに続く人たちが色んな可能性に挑戦できる環境を作ってあげたい。そんな使命感を持って、まずは平昌、そして東京オリンピック出場を目指したいと思います。

あなたの“つくばウェイ”とは?

「やれないことはない!」。学生時代、遠泳やドイツ留学を経験して「やれないことはない」と実感したことで、ボブスレーにも挑戦することができました。私の原点は筑波大で過ごした4年間だと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

大学受験で燃焼し切ってしまう人は多いと思いますが、筑波大の場合は入ってからが充実しています。モチベーションの高い仲間に囲まれて大学の価値が実感して下さい!

プロフィール
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日下 望美(くさかのぞみ)
1990年生まれ、茨城県出身。茨城県立土浦湖北高等学校を卒業後、筑波大学体育専門学群に進学。高校時代は円盤投でインターハイ、国体、日本ジュニア選手権を制する3冠を達成。筑波大学入学後は陸上競技部に所属し活躍。大学在学中は円盤投強豪国のドイツに単身渡るなど精力的に活動し、日本インカレ2位を達成。大学卒業後は順天堂大学大学院に進学。大学院在学中の2015年にボブスレーのトライアウトを受け見事合格。ボブスレーで平昌オリンピック、円盤投で東京オリンピック出場を目指す。現在、小美玉スポーツクラブ所属。
基本情報
所属:小美玉スポーツクラブ
出生年:1990年
血液型:O型
出身地:茨城県小美玉市
出身高校:茨城県立土浦湖北高等学校
出身大学:筑波大学 体育専門学群
出身大学院:順天堂大学大学院 スポーツ健康科学研究科
筑波関連
学部:体育専門学群 2009年入学
研究室:体育科教育学
部活動:陸上競技部
住んでいた場所:天久保3丁目
行きつけのお店:プリムローズ
プライベート
ニックネーム:のんちゃん、のん
趣味:映画鑑賞、音楽、ドライブ
特技:和太鼓
好きなスポーツ:陸上競技
好きな食べ物:らーめん、しゃぶしゃぶ、焼肉
嫌いな食べ物:グリンピース
訪れた国:4か国
大切な習慣:睡眠時間の確保(22時~23時には就寝)
座右の銘
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