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都澤スライダー

「このチームをなくしてはいけない」との思いで理事長に

Sportsperson
2017/06/19
インタビュー
  • 84
つくばユナイテッドSun GAIA理事長 兼 監督
都澤 みどり
(体育専門学群 1997年入学)

バレーボール選手だった両親の影響で、いつもバレーが身近にあった。遊びながらボールと戯れていた幼少時代を経て、高校時代は負けた試合を夢に見るほどバレーに没頭。筑波大バレー部、そして実業団チームで活躍後、普通の会社員に……と思っていたら再びコートに引き戻されるという“バレーに愛された人物”は、一体どんな人生を歩んできたのだろう。

筑波大で一流と二流の違いを学んだ

まずはバレーボールを始めたきっかけを教えて下さい。

実業団チームの富士フィルムでバレーをしていた両親の影響です。私が小学2年の時に母が少年団で教えることになり、そのタイミングで姉が始めることになったので、私も一緒に始めました。身長が高くて力があったので、当時は力任せにボールを打っていたという印象ですね(笑)。

小さい頃から、近くにバレーがある環境だったのですね。

そうですね。ちょうど私が生まれる年に父が筑波大学への勤務が決まり、富士フィルムのある神奈川からつくばに引っ越してきたのだそうです。私の名前の由来は当時富士フィルムと筑波大学バレー部のチームカラーが「緑色」だったこともあるようです。(笑)小さい頃はよく父親がコーチする筑波大の試合を観に行ったり、母親のママさんバレーについて行っていました。でも両親は、子供のうちからバリバリやらなくてもいいという方針だったので、小学校では練習は週1回でしたし、中学校でも楽しくバレーをするぐらいの感覚だったんですよ。

ということは高校時代から意識の変化が?

少年団で指導を受けていた福原鈴江先生が土浦日大の監督をされていたことがご縁で、土浦日大高等学校に進学することになり、そこからバレーの基礎を学び直しました。

福原先生は元日立武蔵に所属し、メキシコオリンピックで銀メダルを獲った方です。ご主人は当時筑波大女子バレー部の監督で、その関係で高校時代から筑波大に週1、2回練習試合に行かせてもらっていました。今考えるととても恵まれた環境だったなと思います。

練習は厳しかったですか?

つらくて、毎日泣いてばかりいました。1年の時は体力がなかったので、走ることから始まり、レシーブの練習ではずっと飛ばされ続けて(笑)。福原先生は、私の弱い部分だったり、キツいからと手を抜いてしまっている時は、同性ならではの感覚ですぐに指摘され、精神面ともに鍛えられましたし、コーチは父の教え子で筑波大男子バレー部の選手兼マネージャーをされていた村上先生という方で大学卒業後1年目に赴任されたので、その先生を通して筑波イズムをしっかり叩き込んで頂きました。(笑)

何度も心が折れそうになりましたけど「私がバレーを投げ出したら、親に迷惑をかけてしまう」と、そんなプレッシャーも感じながら、なんとか乗り越えられたのかなと。

当時の成績は?

当時、土浦日大は県内では負けなしだったのですが、2年の時に県内の新人戦で負けてしまって、そこから鬼の練習が始まりました。そこがキツさのピークでしたね……。でも、そこを乗り超えたから長年バレーが続けられたのかなと。負けた瞬間の夢を毎日見るぐらいのトラウマと戦いながら、練習に打ち込んだ私のターニングポイントだと言えます。

筑波大学にはスポーツ推薦で入学。

親や先生方の関係もあり、筑波大学は子どもの頃から身近にあったので自分の中でも「筑波大に進む」と漠然と考えていました。

筑波大のバレー部は男女とも、全国の強豪校から1~3名の推薦入学者がいて、あとは一般入試で入った学生というチーム構成でした。練習はみんな同じメニュー。今思うと、推薦組が厳しい練習をするのは当たり前ですが、一般生にしたらいきなりハードな練習をさせられるは、色々な仕事やルールがあって怒られるはで本当に大変だったと思います。
でも筑波大バレー部の良さというのは、その一般組の同級生が本当に必死で練習も試合のサポートもしてくれるので、試合に出る推薦組はそのメンバーのためにも頑張ろうという一致団結する力がすごく強かったです。そして、男子には加藤陽一さんはじめ全日本で活躍する選手がいるなどとても刺激がありました。大変なこともありましたが、大学の4年間は本当に充実して楽しい4年間でしたね。親元を離れて追越寮で生活をして、2、3年ではひとり暮らし。周囲に仲間が住んでいる環境がとても心地よかったです。

都澤7

他競技の選手との交流はありましたか?

授業や課外活動など普段から色々な競技の選手と交流をもつことができ、他競技の選手の活躍にも大きな刺激や影響を受けましたね。今、蹴球部の監督である小井戸正亮くん(つくばウェイvol.66で紹介)は体育専門学群の同級生です。今でも交流があって、同窓会を開催しているんですよ。

トップ選手が身近にいる環境は筑波大ならでは。

そうですね。周りには世界で戦う選手がたくさんいて、そういう人の高い意識に自然と触れられたのは筑波大ならではだと思います。

スポーツ選手なら誰しも考える、「一流、二流の違いは何だろう?」と。そんな時、筑波大でトップ選手を見ていると、体力面はもちろんですが、メンタルの部分で一流の選手はハングリーだったり意識が高い。それに伴って行動が変わってくるのだと実感させられたことは、すごい財産だったと思います。

大学時代の成績はいかがでしたか。

日本一を目指してやっていましたが、1、2年の時は下級生中心のチームだったこともあり上位には行けず、3年では1、2年の時に積ませて頂いた経験で東日本インカレを優勝することができましたが、全日本インカレは3位、4年時も3位で結局日本一になることはできませんでした。

一方、男子は私が入学した年に筑波大男子バレー部が全日本インカレで初優勝し、そこから毎年優勝を重ねていた時期だったので、「すごい!」と思う反面「悔しい!」とライバル心を抱きながら切磋琢磨していたのを今でも覚えています。

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4年のブランクを経て、再び現役選手に

卒業後は実業団チームの日立佐和リヴァーレ(現・日立リヴァーレ)へ。

本気でバレーに取り組むのは大学までと考えていたのですが、日立から声をかけて頂いて。詳しく話を聞いてみたら午前中は会社で仕事、午後はバレーの練習をするので、選手が働く部署の人たちがとても応援してくれる雰囲気があると聞いて、そういう環境で一度バレーをしてみたいなと思い決めました。

当時、練習は2週間に一度しか休みがないほどキツかったですが、若さで何とか乗り切っていましたね。その中で環境も色々と改善して頂きました。チームには5年在籍し、一度引退後4年が経った後にまたチームに戻って合計7年選手を続けました。

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28歳で一度現役引退された経緯は?

入団して「3年は頑張ろう」と目標を掲げ、3年が経った頃に全日本でリベロだった津雲博子さんとお話しする機会があり、「20代後半が一番体が動くし、頭の中で思っていることとプレーとがマッチし面白くなる」とアドバイスを受けまして。

それなら20代後半まで頑張ろう、1年1年が勝負だと意識しながら選手を続けて、「やり切った」と感じたのが28歳の時でした。

その後、現役を引退して会社員に。

経理部で働いていたある日、チームのアドバイザーであった選手時代の監督に呼ばれて「若手育成のためにチームに戻って欲しい」と。最初は「私はもういいです」と断っていたんですけれど、ちょうど選手の入れ替わりがあって6人ぐらいしかその時点で在籍していなかったため、チームの危機を放っておくことができず「コーチとしてならいいですよ」とお返事をしました。

ところが、復帰してからすぐの大会2週間前に1人がケガをして出場できないと。それで私が代わりに試合に出ることになり、それから選手兼コーチという形で在籍することに。32歳の時でした。

それから2年間選手を続け、引退。

再び社業に専念していたんですけれど、2014年つくばユナイテッドSun GAIAの監督兼選手をしていた加藤陽一さんが辞められたのをきっかけに、Sun GAIAの理事長をしていた父の手伝いを週末だけすることになり、あともう少しで10周年だから頑張ろうと話していた矢先に父が病に倒れてしまいました。

2015年の1月10日父が病院で息をひきとりました。その日はSun GAIAのホームゲームがあり、試合後に選手たちに父の死が知らされました。創設者の父が亡くなったということは、今後チームをどうするのか判断しなければ……、そんな大事な選択を迫られていました。

選手の士気に影響が出そうですが……。

とにかく次の日の試合に向けてモチベーションを保ってくれればと。また、こういう状況の時にSun GAIAの真価が発揮されるのではという気持ちで、私は試合を見届けに会場に向かいました。

当時連勝していた首位チームとの試合に、ただでさえ苦戦が予想されましたが、その日は選手が本当に気迫のこもったプレーを連発してくれて、会場もすごく盛り上がって、選手と観客が一体になるような素晴らしい試合で勝利をおさめました。

それを見て、Sun GAIAは言葉にはできない魅力というか、パワーを生み出せる価値があるチームなのだから、「このチームをなくしてはいけない」と私が受け継ぐ決意をしました。

理事長としての仕事について教えて下さい。

地元に愛されるチームになるべく、地域との交流を持つような活動をしたり、子供から大人までがバレーに触れられるスクールの運営。そしてスポンサーを獲得するための営業活動にチームのスケジュール管理、Vリーグやバレー協会、行政とのやり取りなど色んな帽子をかぶっています。

都澤8

多忙を極めていますね。

思い返せば選手時代に、事務局の方が「忙しい、忙しい」と言っていた時、「一体、何が忙しいんだろう?」って不思議に思っていましたけど、自分がその役割をやって初めて、その忙しさを実感しているところです(笑)。ただ忙しいというのはあまり言わないよう気を付けています。忙しいは「心を亡くす」ということなので心は元気なので、ただ色々やることがあるだけと(笑)

2016年8月にはチームの監督に就任。チーム作りで心がけていることは?

選手が自分たちで考えられる環境を作ることを心がけています。私が選手の頃そうだったんですけれど、やらされるバレーではつまらない。自分たちで考えて、それを実行できる、そして真剣に取り組んだからこそ出てくる楽しさというのが一番理想的なので、そのための枠組み作りをすることが私の役割だと思っています。あとは、選手それぞれの持ち味をどうやったら引き上げられるかというのを日々考えています。

今まででチーム作りにおいて苦労されたことはありますか。

選手とのコミュニケーションの部分ですね。自分の中ではもう分かっているだろうと思っていることが上手く選手には伝わっていなかったり、私もまだ言葉足らずな面もあるので選手に伝わるように落とし込んでいくことが今の課題です。Sun GAIAは男子チームですから、言葉の選び方や伝わり方に関して、特に気を付けるよう心掛けています。

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では、今後のビジョンを教えて下さい。

3つのビジョンを掲げていますが、1つめはV・プレミアリーグに昇格して街のシンボルになること。2つめは地域密着で色んな活動をして、地域を盛り上げ、皆さんに愛されるチームになること。そして3つめは、試合やレッスンなどを通して子供たちに夢と感動を与えられるチームになることが、チーム、そして私の目標です。私は今までバレーボールや地元茨城県、筑波大など本当に多くの方達に支えて頂き育ててもらいました。これからはその恩返しができたらなと思っています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

志。目標に向かって努力する、常に目標を持って行動することの大切さを学びました。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

環境や人材など日本のトップに触れられる環境に身を置いて、それを体感してもらいたいです。一方“つくば時間”という言葉があるようにのんびりした雰囲気も、筑波大の魅力だと思います。

プロフィール
都澤プロフィール
都澤 みどり(みやこざわみどり)
1978年生まれ、茨城県出身。茨城県私立土浦日本大学高等学校を卒業後、筑波大学体育専門学群に進学。8歳からバレーボール選手だった両親の影響を受けバレーボールを始める。筑波大学進学後はミドルブロッカーとして活躍。大学3、4年時には全日本バレーボール大学女子選手権大会で3位の成績を残す。卒業後は実業団チームである日立佐和リヴァーレでキャプテンを務めミドルブロッカー、ウィングスパイカーとして活躍。2006年に一度引退したが2010年に選手兼コーチとして現役復帰を果たす。現役引退後の、2015年からは実父の遺志を継ぎ、つくばユナイテッドSun GAIAの理事長に就任。2016年の8月からは監督も兼任。V・プレミアリーグ昇格やつくば出身のオリンピック選手の輩出を目指している。現在、つくばユナイテッドSun GAIA理事長、監督。
基本情報
所属:一般社団法人つくばユナイテッドサンガイア(チーム名:つくばユナイテッドSun GAIA)
役職:理事長 兼 監督
出生年:1978年
血液型:A型
出身地:茨城県つくば市
出身高校:私立土浦日本大学高等学校
所属団体、肩書き等
  • 筑波大学バレーボール部OBOG会 事務局
  • 茗溪会 会員
  • 茨城県バレーボール協会常任理事
筑波関連
研究室:バレーボール研究室
部活動:バレーボール部
住んでいた場所:春日4丁目
行きつけのお店:夢屋、GOLD
プライベート
ニックネーム:しゅう、みや
趣味:ビーチバレー
特技:アルバム作り
尊敬する人:人間的な魅力のある人
年間読書数:10~20冊
心に残った本:メンタルタフネス
心に残った映画:桜田門外の変
好きなマンガ:ONE PIECE
好きなスポーツ:卓球
好きな食べ物:メロン、焼肉、寿司、餃子
嫌いな食べ物:パクチー
訪れた国:5カ国
大切な習慣:毎朝お仏壇と神棚に手を合わせる
口癖は?:なるほど
座右の銘
  • 全てのことには意味がある

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