中学1年から熱中していたハンドボールがきっかけで、導かれるように筑波大に入学。ところが何の運命のいたずらか、けがに見舞われリハビリ生活を余儀なくされてしまう。選手としての道が断たれ、絶望が待っているかと思いきや、次に拓かれた“スポーツ医学”という道で開花。前十字靭帯の研究といえばこの人、と言われるに至るまでの道のりとは――。
中学1年の時からハンドボールにのめりこんで、ストイックに取り組んでいましたから、ハンドボールが強い高校、大学に進んでハンドボールをずっと続けたいと思っていました。
その頃、ハンドボール雑誌で大学リーグやインカレの記事を読んで、筑波大が際立ってカッコイイなと。他の私学は、野球でいうとスター選手の多い巨人のようなイメージですけど、筑波大は堅実で紳士的な印象があったというか。当時の緑のユニフォームにも憧れていました。
当時の先輩方、特に推薦で入ってハンドボールをしている人たちはそうそうたる顔ぶれで、リーグ戦で軒並み相手を蹴散らしていました。私は一般入試で入りましたから、大学1年時は試合に出ることはありませんでしたが、そういったトップ選手がいる環境に身を置けたことが幸せで、練習に明け暮れている毎日が幸せでしょうがなかったですね。
大学2年になり、試合にも少しずつ出させてもらえるようになりました。しかし忘れもしない1999年7月3日、新人戦最終戦の明治戦、後半の残り5分でやってしまいました。のたうち回るほどの激痛でしたよ。ハンドボール選手にはよくあるケガだと聞いてはいましたが、まさか自分がそのケガをするとは思ってもいませんでした。
リハビリを行っていたのが、当時でいうトレーニングクリニック(現トレーナーズクリニック)という大学院生を中心にアスレティックトレーニングの勉強する組織で。そこでアスレティックトレーナーという役割を知り、興味を持ったことがスポーツ医学の道に進むきっかけです。
それからスポーツ医学研究室に行くことを決めて、ひざを診て頂いた下條先生のゼミに入りました。
たしかに、あのケガがなかったら今頃何をしていたんでしょうね。おそらくハンドボール研究室に進んでいたのだと思います。そう思うと、ひざのケガは大きな分岐点でした。
ACL損傷の文献を集めて、このケガのことを学ぶために莫大な資料を読み漁りました。当時から、ひざ、特にACL損傷はスポーツ医学界でホットなテーマで、ドクターの間では、どうやって靭帯を再建すれば最も成績がいいかの議論があり、また、トレーナーやバイメカ研究者の間では、受傷メカニズムに関する議論がありました。常に新しい知見が加わりながら短いスパンでコンセプトが移り変わる研究領域でした。
大学院でアスレティックトレーナーとしての実践を摘み、いつかアスリートに指導できるようになろうとの思いでした。研究者というより、技術を持ったスペシャルなアスレティックトレーナーとして現場で活躍したいなと。それで修士3年の時に日本体育協会公認アスレティックトレーナーの資格を取りました。
トレーニングクリニックで選手のケアをしていたのですが、非常に厳しい環境で鍛え上げられたことが印象深いですね。先生の質問に全て答えられるように、自分がリハビリを担当している選手の0から100までを見て、症例を調べ上げる。それでも全然足りないと指摘されるような、厳しい環境でした。
ほぼ学校に住んでいるといっても過言ではないほど忙しい毎日で、自分のアパートにはシャワーを浴びに帰るだけでしたよ。
そうですね。例えばトップアスリートがいる現場では教科書に書いてあるような知識が通用しないこともあります。そんなリアルさを大学にいながら学ばせてもらえたのが、トレーニングクリニックだったかなと思います。
つくば市にある産業技術総合研究所(産総研)に1年間勤めました。おそらく国で最も大きな規模の研究所という恵まれた環境で、ヒト運動について専門的に研究しているグループがあり、そこのリーダーが筑波大出身ということで1年働く機会を得ました。一度、学校を離れて働いてみたことは、私の研究者としての流れにおいて大きなターニングポイントでしたね。
基礎技術の産業化を意識した研究所でしたので、ものづくりをする企業から例えば筋力測定器の機能試験の依頼であったり、靴のインソールの試験だったり。そういった委託研究がたくさんあって、それらの実験デザインや計測、データを解析して学会発表、論文発表できるところまで仕上げるのが私の役割でした。
お金をもらいながら職業として研究することは学生の頃と違った厳しさがあり、修士の時に3日かけていた解析を数分で終わらせなければいけないこともありましたが、解析の方法や技術、プログラミング力が鍛えられましたし、最高峰の研究機関で色んな研究をさせてもらえることが楽しくて仕方なかったです。
ここで得たものは“人との出会い”、これに尽きますね。まず金子文成先生(現・慶應義塾大学特任准教授)というストイックな方がいらして、先生には職業研究者としての生き方を教えてもらいました。もう1人影響を受けたのは、浅井義之先生(現・山口大学教授)。この方は工学出身でしたので工学的アプローチによる計算法や解析法が素晴らしく、私も一気に工学に引き込まれていきました。
たった1年間の在籍でしたが、今の私の方向付けをしてくれたのは、この2人のメンターです。
そうですね。人と照らし合わせて自分がどうかを知りたい時に、他者は必ず必要です。私は幸い、そういう出会いがたくさんあって、今でもその人たちが敷いてくれた線路の延長をいっているような気がします。
もともと産総研は1年しか働けないポストだったので、大学の博士課程の進むことにしました。同じ頃、国立スポーツ科学センター(以下、JISS)の公募の話を聞いて、チャレンジしてみたら両方とも受かったので、博士と並行しながらJISSで働くことになりました。
修士1年の頃、2003年に筑波大女子ハンドボール部監督の水上一先生にチャンスを頂き、日本代表の合宿に参加させてもらいました。その時、日本で開催されたアテネオリンピック予選において相手チームの戦略を解析し、日本チームにフィードバックする役割を担ったことがご縁で、今も日本代表女子チームのスタッフを務めています。
2015年から、大阪大学大学院の医学系研究科に所属しています。授業は一般体育を担当し、研究では、医学系の研究者はもちろんのこと、基礎工学、工学、情報学など様々な領域のエキスパートと共同研究をしています。産総研で刺激を受けた浅井義之先生のお師匠である、野村泰伸教授(基礎工学研究科)ともヒト姿勢制御についてのとても興味深い研究をご一緒させていただいています。このことには不思議なご縁を感じています。
膝関節やACL損傷という限られた領域だけにとどまらず、私が大切にしているのは「日常の観察から次の研究テーマを見つけること」。研究者として成長していくために、もう少し一般的な人の運動に着目して大きなテーマで研究したいという気持ちがあります。
最近は運動の巧緻性、協調性、安定性、つまり人がどれだけ運動を上手にやってのけているかに注目した研究をしています。例えば、お箸は日本人にとって大事なものですけど、ただご飯を食べる目的だけじゃなく、社会的運動といっていて、そこに美しい所作として成しえなければ残念な印象を与えてしまいます。じゃあ、どうすれば美しい所作に落ち着くかを解析すると、そこには極めて理にかなった制御がありました。
小さな子供が美しく箸を持てないのは当然として、その後、美しく箸を持てるか持てないかの分岐点がどこにあって、その分岐点とは何だろうと考えた時に、これは運動学的、力学的、生理学的に説明できます。どちらの方向に分岐させれば正しい方向に収束するかを研究で明らかにしていくことが我々、運動の研究者のテーマだと思います。
すぐにとはいきませんが、私の研究は論文を出して終わりではなく、実際、自分の研究結果がアスリートに適用されてケガが減るであるとか、お子さんに適用されて箸が上手に持てるようになるとか。日常生活での現象が変化することが最終的なゴールだと意識しています。
私もまだまだ未熟なので、後進をちゃんと育てられているとは胸を張って言えません。今、後輩に投げかけられる言葉があるとすれば、これは私の経験からですが“しつこさ”は大事なのではないでしょうか。寝ても覚めてもテーマについて考えて、それを考え尽くすことができるような洞察力や継続力、しつこさは研究者として大事かもしれませんね。
あとは自分が憧れている人にコンタクトを取って、その人からもらえるものをたくさん吸収し、それを自分のやり方に生かしていくこと。私にも経験がありますが、自分の無知さが知られるのが嫌だとか、もう少し勉強した後にこの人と会うべきだと自分で勝手に決めてしまって新しいコンタクトを取ることに躊躇することがあります。でも思いきって訪ねて、門前払いに合うかもしれないけど行ってみて教えを乞うと、今まで自分が持ってなかった見方に気付かせてくれることがある。
そういった意味で研究者は、いつまでも、いい意味で“後輩っぽくあること”は大事だと思います。そういった側面と、得られたものは次の人に渡すことができる先輩的側面をよく磨いておくことが大事なのではないでしょうか。
あらゆることに関して、筑波大に行って良かったですね。中学2年の頃から行きたいと思っていた大学にいけて、部活に入ってケガさせてもらった、というか、してしまって(笑)。そのおかげでスポーツ医学を学び、色んな人と出会って今がある。1つ1つ、全てが良いタイミングでやってきて、次のステップに自分を導いてくれたような気がします。
筑波大には伝統があって素晴らしい先輩、後輩が多くいます。私もその一員であることに誇りを持っています。ただ、先輩たちがすごいから、自分も別格なんだと勘違いしてしまってはいけない、筑波大であることにあぐらをかいてはいけないとも思うんです。
大事なことは筑波大にいくことではなく、筑波大で何に取り組んで、何を頑張り、何を得たかにあるからです。卒業後も、筑波大卒ということに強く依存し、先輩の偉業に依存し、それだけが武器になってしまっている人がいると聞きます。しかし世の中が評価するのは、出身大学がどこかではなく、大学で得たものを礎にして、今、自分が、どれだけきちんとした振る舞いをしているかでしょう。そこに大学名はいらないです。その点を肝に銘じるのが大事だと思っています。
自己解決力のたくましさが身に付きました。ただし、人の助けを必要とする時にも自分で解決しようとしてしまう悪い面も持ち合わせているかな。
筑波大で学んだ自分自身に誇りが持てるよう、とにかく興味深いことを見つけて、それに“専念集中”して下さい!
所属: | 大阪大学大学院医学系研究科 健康スポーツ科学講座 運動制御学教室 |
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役職: | 助教 |
出生年: | 1979年 |
血液型: | AB型 |
出身地: | 広島県呉市 |
出身高校: | 広島県立呉宮原高校 |
出身大学: | 筑波大学 体育専門学群 |
出身大学院: | 筑波大学大学院 人間総合科学研究科 スポーツ医学専攻 |
学部: | 体育専門学群 1998年入学 |
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研究室: | スポーツ医学研究室 |
部活動: | 男子ハンドボール部 |
住んでいた場所: | 追越宿舎、天久保三丁目、春日二丁目、松代一丁目 |
行きつけのお店: | 平砂共用棟の床屋 |
ニックネーム: | いっせい |
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趣味: | 釣り、料理 |
特技: | 研究機器の開発 |
尊敬する人: | 両親、妻 |
年間読書数: | 約50冊 |
心に残った本: | 脳の計算論(川人光男著) |
心に残った映画: | 八月の蝉 |
好きなスポーツ: | ハンドボール、柔道、キックベース(娘達がやっているので) |
好きな食べ物: | からあげ |
大切な習慣: | 日常の観察から次の研究テーマを探すこと |
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