高校時代のケガがきっかけで大学時代はトレーナーの勉強に熱中し、ドイツ留学でコーチ ングに目覚めた。やりたいことは無限!……その軸となっているのは「バスケットボール に関わりたい」、その一心だ。現在、スクールのコーチとして子供たちを指導しながら夢 見る未来とは何だろう?
高校2年、バスケットボールでインターハイに出場した時、大会直前に足を捻挫して。イ
ンターハイの会場に設置されていたブースでテーピングの処置をして下さった方が理学療
法士で、そういう職業があるんだと知りました。
特に僕はケガが多かったので、将来ケガを負った選手をサポートすることでバスケットに
関わりたいと思いました。
そんな時、高校の担任の先生が筑波大でならトレーナーの勉強ができると教えてくれて。
理学療法士ではないですけど、筑波大なら体育のことが学べてバスケットも強い。そうい
った環境に身を置きたいと思い、一般入試で受験、合格しました。
初めて親元を離れたこと、そして筑波大バスケット部には雑誌に載っているような有名選
手がいる中で最初は不安も感じましたが、楽しくやれたことが一番の思い出です。
トップチームのAチーム、その下のBチームに分かれていて僕はBチームからスタートしま
したが、その中で僕なりに何ができるだろう?と。身長が小さかったので頭を使って勝負
することが大事だと考えるようになり、例えば、ぶつかり合いの中で思いきりいくのでは
なく力を抜くだとか、真正面ではなくどうやって勝つかという裏の駆け引きをするように
なりました。
入学する前の年に筑波大は二部に降格しており、自分たちの代が最上級生になっても一部へ昇格できていなかったので、「今年こそ一部に上げよう」と目標を掲げました。
ただ、何か大きなことを成そうとする時は、多少行き過ぎたこともしなければいけませんが、それが周囲の反感を買ってしまって。ぶつかり合いながら意見を言い合った経験を通して、「自分だけの思いじゃなく、皆をまとめながら、周りを巻き込んでやるのが大事だな」と痛感しました。
特に僕は3年の春に現役を引退してトレーナーの勉強をしていましたから、発言をするだけじゃなく行動もついてこないと周囲を説得することはできないんだなと。出るところは出て、抑えるところは抑える、そのバランスを学んだ良い経験でした。
自分たちの代で一部に昇格することができました。先輩後輩関係なく意見を言い合ったことで信頼関係が生まれて、1年から4年まで全員が一丸となれたことがチームを強くさせたのだと思います。
入部の時からトレーナー志望だったのですが、マネージャーの先輩から「せっかく大学に来たんだから、一度プレーヤーとしてやってみたほうがいい」とアドバイスされて。たしかにそこが専門学校との違いというか、筑波大でやることの強み、良いところだと思ったので、現役を2年間やらせてもらったんです。
トレーナーとして活動してからリハビリに関しては色々勉強しました。ただ、ケガをした選手がマイナスからゼロまで戻るためのトレーニングは勉強できたのですが、その次のステップであるゼロからプラスにするところのトレーニングについて何も知らないなと。ちょうどその時に、留学目的で筑波大大学院に入ってきた研究室の同期から影響を受けて、勢いのような感じで大学一年目の終わりからドイツのライプチヒ大学に交換留学をすることができました。
現在、アンダーカテゴリーの男子日本代表のコーチを務めているトーステン・ロイブル氏にメールでお願いをして、彼のもとで勉強できたことです。
本来の目的であったトレーニングの勉強だけではなく、コーチングの理論も教わったことでコーチングのほうがバスケットによりダイレクトに関われるし、勉強していても楽しい。「よし、コーチに転向しよう」と決断したのは、この時がきっかけでした。
もともと「バスケットに関わりたい」という思いで理学療法士やトレーナーを目指した経緯があるので、職業はそこまで気にしなかったといいますか。バスケット界に貢献できれば何でもいい、そんな気持ちでした。
ボランティアでトップやユース、ミニバスのチームを見させてもらった時、トーステンが実践しているメソッドがチームや選手を上手くしているということを目の前で体感し、選手の行動が変容していく姿を見てコーチングは楽しいと感じました。
とはいえ現在コーチとして活動する上で、トレーナーの時に学んだことや観点が大いに役に立っていますし、僕の中でやっていることはそれほど変わらないというか。活躍する分野が違うだけで、自分の中の枠が広がったという実感なんですよ。
そうですね。トレーナーという職業にこだわっていたら違う種目も選択肢に入っていたかもしれないですけど、バスケットのコーチだったら間違いなく、この先もバスケットにしか関わらないというのも魅力の1つです。
行き当たりばったりで留学したので、留学を決めてから日本を発つまでの半年間は本を買って独学で勉強をしただけ。現地の人とは英語でコミュニケーションがとれましたが、授業は全部ドイツ語なので、黒板に書かれたことを全部メモして、家に帰ったらひたすら辞書で調べました。
留学していた一年間は、語学、コーチング、トレーニング、とにかく勉強漬けでしたね。
バスケ部のアシスタントコーチに熱中するあまり、研究をサボりにサボって修了に4年かかりましたが(笑)。
「できるだけシンプルにやる」ことを自分自身のテーマにして、Bチームでは戦術より個のベースを上げること、体やスキルを上げていくことを目標にしました。その成果が出て、目指していた試合で満足いく結果が得られたので良かったですね。
Aチームでやるべきことは、分析。映像を使って分析することは僕が大学院に戻ってきた頃から始まった分野で、バスケ界でも新しい領域だったので試行錯誤しましたね。
どういった映像が選手に必要なのか、ヘッドコーチが求めている情報は何なのか、分析や対策を任せて頂いたことで、ただ指導するだけでなく対策を目で見ることの大切さ、映像の必要性を知る機会になりました。
大学でバスケットをやっていた頃、大学院生でアシスタントコーチを務めていた方がライジングのヘッドコーチで、声をかけてもらったのがきっかけです。
もともとはリンク栃木ブレックスのスクールコーチとして子どもたちにバスケを教えるだけだったのですが、下部組織であるD-RISEでたまたまサポートできるスタッフを探しているということで、アシスタントマネージャーという立場を1シーズン務めさせていただきました。
ちょうどその時がD-RISEとしてのチーム活動が最後のシーズンだったので、翌年からはブレックスでスクールインストラクターとしての任務を担いました。
大学やプロに対してのコーチングとは違って、スクールには幼稚園から高校までの幅広い年齢層の子供に、中にはバスケットのことをそれほど知らない、初めてやるというような子どもたちもいましたから。同じコーチングでも教える言葉も違えば、こちらの態度も変えなければいけないという全く違った経験をしました。
ドイツでお世話になったトーステンが、日本代表U16のヘッドコーチをやっていたのが縁で声をかけてもらいました。
セレクションを兼ねていた合宿では、ヘッドコーチがやりたいメニューに対してどういうところを見るべきかなど意見を出したり、普段の合宿での指導はもちろん、練習試合でコーチをサポートしたりしていました。
アジア選手権に向けて強化をするため、準備としてチェコ遠征に二回帯同しましたが、一度目の遠征では海外のクラブチームやナショナル相手に一勝三敗。1年後の二回目の遠征では、四勝。全勝しました。チーム力やメンバーの個の質も上がっていたんですけど、アジア選手権では6位。実力だけでなく、駆け引きや戦略で負けた部分を痛感しました。
僕らの頃より身長も体重も大きい選手が増えたんですけど、それでも海外の選手には追い付いていませんし、その体格差をカバーするような良い意味でのずる賢さといいますか。バスケットIQの部分や、ルーズボールやリバウンドなどの泥臭い部分などはまだ海外の選手に負けていると感じます。
これまでの人生を振り返ると環境を変えたことで成長できた実感があるので、栃木に5年いたこと、家族のことを考えても、これが最後のチャンスかなという思いで転職を決意しました。自分が栃木で学んだことがどれだけ通用するのかチャレンジしてみたかったという思いもあります。
しかも、スクールは去年の夏に立ち上がったばかりで間もないので、今までの勉強や経験をダイレクトに表現できることに魅力を感じて。ユースも今年4月に立ち上がったばかりなんですよ。
スクールやユースに来ている子どもたちの指導がメインで、今はスクールをいろんな地域で行うための交渉などもしています。栃木で十分に現場での経験を積み重ねることができたので、ここでは即戦力として結果を出すことが求められています。
結果といってもバスケットだけではなく、もっと大きな観点で「子どもたちの運動能力の向上」が大きなキーワードで。子どもたちが健全に動けることと、将来、色んな選択肢が持てるよう運動能力を高められる環境を作るための取り組みをしています。
「子どもたち自身が楽しんでやれること」です。多くの子供はやんちゃもしますけど、それを大人がああしろ、こうしろと制圧するのではなく、子どもがやりたいことをいかに引き出せるかが大事ですし、子供たち自身が考えて行動することを促すことが「子どもたち自身が楽しい」につながると感じています。
とにかくバスケットには関わりたい、これだけは何があってもブレないです。その中でも一番やりたいことは、教える子たちのベースを上げること。
スキルはあるけど運動能力がないとか、楽しさが分かっていないからバスケットが続かないという子たちを減らして、バスケットや運動は楽しいものだと思える子たちを増やせる環境作り、育成のメソッドを増やしていくことが今後の目標です。
プレイヤーとしては純粋に、「やっていて楽しい」という思いが僕をバスケットに夢中にさせてくれましたし、大げさかもしれないですけど、バスケットは自分の人生を変えてくれました。実は、元は運動嫌いの子だったんですよ(笑)
バスケットがあったから色んな人と知り合えて自分の世界観が変わったので、選手を辞めた後も、自分の人生を変えてくれたバスケットにもっともっと関わって、バスケット界に貢献したい。それが僕のエネルギー源です。
まずはやってみるってこと。大学時代は多感な時期で、色んなものに興味が移りやすいけど、「やってみよう」の精神で興味のあるもの全てにチャレンジしたことで、今があると思います。
悩んでいる時は、まずアクションを起こしてみましょう。止まっていても変化がない、前進がないですから。何事にも失敗はないと思うので、変化を恐れずにどんどん行動していって下さい!
所属: | トヨタアルバルク東京 |
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役職: | アカデミーコーチ |
出生年: | 1986年 |
血液型: | O型 |
出身地: | 佐賀県佐賀市 |
出身高校: | 佐賀県立佐賀西高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 体育専門学群 |
出身大学院: | 筑波大学 大学院 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | スポーツ医学研究室 |
部活動: | バスケットボール部 |
住んでいた場所: | 天久保二丁目 |
行きつけのお店: | コスモス、まっちゃん(餃子屋) |
ニックネーム: | しま |
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尊敬する人: | 徳川家康 |
年間読書数: | 5冊 |
好きなマンガ: | るろうに剣心 |
好きなスポーツ: | バスケ |
好きな食べ物: | 麻婆豆腐 |
嫌いな食べ物: | なし |
訪れた国: | 3カ国 |
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