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初音ミクのモーションキャプチャで踊りの質を追求

Professional
2017/02/06
インタビュー
  • 68
フリーダンサー
西園 美彌
(体育専門学群 2003年入学)

コンプレックスを抱き、プロのダンサーになることを諦めていた学生時代。筑波大で多角的にダンスについて学び、卒業後はダンス講師、ドイツ留学と遠回りをしながらも、現在はプロのダンサーに。究極にプロフェッショナルを突き詰める彼女の姿勢は、今に至るまでの過程で培われたと思えば全ての経験は無駄ではないようだ。

ダンサーの道はないと、ずっと思っていた

筑波大を目指したきっかけを教えて下さい。

小さい頃からクラシックバレエを習っていましたが、将来何になりたいというイメージはなく高校3年の夏まで進路を決めていませんでした。本番に弱かったので、バレエは全国大会の予選を通過できないレベルでしたし、当時は「私の体型ではプロになるのは難しい。バレエの道を究めるのは違うだろう」と。

そんな時、母が筑波大ならこれまでのバレエの経験を活かしながら、私が以前から興味を持っていたスポーツ医学が学べるとアドバイスしてくれて。ちょうどタイミング良く、私の高校に筑波大からの教育実習生が来ていたご縁もあって、話を聞いているうちに「絶対に筑波大にいく!」と決めました。

筑波大に入って、ダンスとはどう向き合いましたか?

スポーツ医学を学ぶ目的で筑波大に入ったので、将来はトレーナーになるのもいいかなとアメフト部のトレーナー部門に入部。ダンス部と兼部しながら1年の7月までかけもちしましたけど、どちらか決めるように迫られた時に「表舞台の人間として活躍したい」という気持ちが強いことに気付いて、ダンス部に絞ることにしました。

ところが筑波大のダンス部はモダンダンスが主流なので、ずっとクラシックバレエで育ってきた私はとても苦労しました。決まった型をとることに美しさを見出すクラシックに対して、モダンは発想力やクリエイティビティが良しとされます。最初は、これまで私が学んできたことを否定されたような、そんな気分にさえなりました。

西園1

勉学はいかがでしたか。

研究室を選ぶ時に、スポーツ医学かバイオメカニクスか舞踊研か迷いましたが、体育系准教授でダンス部の顧問をされていた平山素子先生(つくばウェイvol.51で紹介)の影響でバイオメカニクスを選びました。

一番印象に残っていることは、大手バレエ用品メーカーが筑波大と共同開発をするにあたり、研究をサポートするダンス部の学生を探していて、それをお手伝いしたことですね。道具やトウシューズの開発に関わる研究結果をデータにし、それを店頭で動画にして紹介するための素材を作ったりしました。

その他、スポーツビジネスやスポーツメーカーの宣伝の仕方などスポーツを多方面から学べたことは、ホームページ開設など今の自分のビジネス展開にも活きています。

その後、大学院に進学されていますね。

当時は体育の教員になるか大学院に進むかで悩んでいました。高校で進路を考えた時と同じく、ダンサーの道はないと思っていたので選択肢にはなかったですね。

なぜ、ダンサーの道はないと?

プロになる人はコンクールで1位になって道が拓かれたり、ダンスの師匠とのつながりで舞台に出演する人がほとんどですが、私の場合はそういったコネクションもなく学内でダンスをやっていただけでしたから。プロになれる可能性を自分自身に感じなかったんですよ。

それなら大学の卒論でどこか満足しきれなかった思いを、さらに大学院で学ぶことで消化しようと。それが大学院に進んだ理由です。

どんな研究をされたのでしょう?

VICON(三次元動作分析システム)を使って、クラシックバレエにおけるプロフェッショナルと未熟練者の動きの研究をしました。今、私がプロのダンサーとして活躍できているのは、この時の経験が大きいです。

例えば、美しいとされているものには共通点があって、美しい動きにも必ず原理がある。その原理は体の使い方や筋肉の使い方をデータ化することで解明できますが、スポーツとは違って、ダンスの分野ではなかなかデータ化されていません。私はデータ分析が苦手で研究者の道に進むことを選びませんでしたが、頭でその原理が分かっているぶん、今、プロの踊り手として他の人とは違う存在感を放つことができていると思います。

修士を終える頃、進路についてはどう考えていましたか。

教育に携わりたい気持ちもありましたが、教員になってしまうと色んな種目の中のダンスとしてしか教えることができないなと。もっと本格的に、上手くなりたい人たちにバレエを教えたくてバレエ教室で働くことにしました。

そして、つくばにあるD-Lifeダンススクールの講師に。社会人として苦労されたことは?

踊りも研究も充実していた大学時代と比べて、踊りを教えることだけに専念する生活に物足りなさを感じることはありましたね。その頃はよく、「私は一生バレエの先生で終わっていいのか」と自問自答をしていました。

ただ新しい発見として、その教室で生徒に教えながらのびのびと踊っていると、これまで自分が考えていた“ダンス=厳しい世界”という概念が取り払われて。「私にはもっと可能性がある!」と自信が持てたことで、私自身の課題はメンタルで踊りが左右されることだと気付いたんですね。それでメンタルコーチを付けるようになりました。

ダンサーとして舞台に立つこともあったのでしょうか。

大学院時代に交流のあったバレエ教室の先生に誘われて、ダンサーとして舞台に立ちました。それを見た他の教室の先生や振付家が私のダンスを評価して下さったり、そこで出会ったダンサーと一緒に作品を作ったり。「もっとダンスが上手くなりたい」という向上心が芽生えて、自分で20分の作品を振付して発表するなど、表舞台に立つことの喜びを改めて感じるようになりました。

裏方ではなく、やはり表舞台の人間でありたいと。

そういった気持ちが強くなりましたね。そして、その振付した作品を見て下さった先生の教室を訪ねた時には、教室内の生徒向けに募集していた“出演者募集”という貼り紙を見て、頼み込んで特別に出演させていただくことができて。その後も先生の作品に出させていただく機会が続き、最終的には新国立劇場の舞台に立つことができました。

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ダンサーとしての充実も得られたのですね。

そういった経験からダンサーとして少しずつ自信をつけていき、2014年に水戸で開催されたコンテストで1位、つくばで開催されたコンクールで3位という成績を残せましたが、さらに大きな全国大会になると予選落ちが続いて…。それで「日本で活躍できる可能性は低いのかな。海外はどうだろう?」と考えるようになったのはその頃です。

ドイツ留学が転換期に

そして、2015年にドイツ留学。

ドイツで結婚した姉がいたので、30歳でワーキングホリデービザを取得し1年間のダンス留学をすることにしました。「海外で結果を出して帰ってきてやる!」と意気込みは十分だったんですけど、なんとドイツに渡って3か月で足をらせん骨折してしまって……。2週間は寝たきり生活で、松葉杖がとれたのは1か月後。ようやく痛みがなくなって、踊れるようになったのは半年が過ぎた頃でした。

大きなつまずきがあったのですね。

ただ、あのドイツでの1年があったからこそ今の私にあると自信を張って言えるほど、自分の中で“人”が変わったと思います。

例えば日本は背格好や髪の色も大体みんな同じだから、あの人と違う!って比べがちですけど、海外では「え、このおじさんもダンスするの?」というようなスタイルの人が楽しそうにダンスをしていて、背が高すぎる人、手足が短い人など個性を活かしながら踊るのがスタンダードです。

それに比べて、私はずっと自分のスタイルにコンプレックスを持って、コンクールで予選落ちするのもしょうがないって言い訳をしていたなと。やるべきは嘆くことじゃなく技術を磨くことだって心底思えるようになったんです。

大きな転換期になったのですね。

ダンスもそうだし、「生き方は人それぞれ自由だ」と思わせてくれた良い機会でしたね。そして、いくつも生き方の選択肢がある中で「自分がこの生き方を選んだ」という責任を持とうと思えるようになったのも大きな変化でした。

帰国後、2016年は飛躍の年になったそうですが?

日本コロムビアで働いている、筑波大ダンス部の先輩が「冨田勲追悼特別公演」に携わっていて、そこに出演する初音ミクのモーションキャプチャダンサーを決める際に私に声をかけていただきまして。それで、このお仕事をすることになりました。

マーカーを体につけて踊るのは、まさに筑波大のバイメカでやっていたことですし、私が追及しているのは“踊りの質”ですから、お話を頂いた時はすごくすんなりと「まさに私にぴったりの仕事だ!」と。

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仕事でのこだわりとは?

振付家の求めるものに対して忠実であろうとすることです。そしてそれは決して受け身の姿勢ではなく、ダンサー自身がアイデアを提示する必要があるので、そのスタンスやボキャブラリーを持っておくこと。初音ミクの振付をした辻本知彦さんとは、彼の中にある初音ミクと私の中にある初音ミクとの擦り合わせをしていきました。またこの時は演出家が別にいたため、演出家の希望も加えられてさらに振りのニュアンスを変えて…という作業を繰り返しました。

もう1つ、プロのダンサーとして踊れるのは当然のこととして、その先にある「何をお客さんに伝えたいか」を考えながら踊ることも意識しています。

では今後のビジョンを教えて下さい。

ダンサーとして東京オリンピックの開幕式か閉幕式に参加したいです。それは今の過ごし次第かなと思っているので、日本舞踊や能などの日本文化や日本人の身体性を学ぶなどを個人的に準備を進めていて。試行錯誤ですが、そういった試みは今後の活動や世界に出た時に役立つのではと思っています。

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学生時代はプロのダンサーになることを諦めていましたが、道は拓きましたね。

ずっと自分のことを「ダンサーです」とは言えなかったけど、20代でようやく「自分はダンサーです」と堂々と名乗れるようになりました。今後の目標としては「私は舞踊家です」と言えるように、自分の哲学や世界観を持って作品作りや振付をしていくこと。最終的な目標は「自分が踊りになる」ことです。まずは3月の自主公演で、1時間の大作を発表する予定なので、それに向けて頑張ります。

あなたの“つくばウェイ”とは?

継続は力なり。筑波大でたくさんの刺激や“種”をもらい、その後、栄養を与えるのは自分の努力次第。今は花が咲いて、色んな方面に向けて発信できていると実感しています。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

自分を侮辱しない。自分に対して責任を持つ。無責任に生きている人が多い時代に、そういうスタンスでいることはとても大事なことだと思います。

プロフィール
西園プロフィール
西園 美彌(にしぞのみや)
1984年生まれ、福岡県出身。福岡県立筑紫丘高等学校を卒業後、筑波大学体育専門学群に進学。7歳からクラシックバレエを始め、筑波大学進学後はダンス部に入部し、コンテンポラリーダンスと出会う。在学中はダンス部での活動と並行してバイオメカニクス研究室で動作分析の研究を行う。大学院修了後はD-lifeダンススクールでバレエ講師として勤務。2015年から1年間ドイツ留学をし、帰国後の2016年には初音ミクのモーションキャプチャダンスを担当。現在、フリーのダンサーとして活動を行う。西園美彌ウェブサイト(miyanishizono.com)にてダンサーとしての生活を発信中。
基本情報
出生年:1984年
出身地:福岡県
出身高校:福岡県立筑紫丘高等学校
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:バイオメカニクス研究室
部活動:ダンス部
プライベート
趣味:踊ること、身体研究、日記
特技:ダンス、水泳、バレーボール
尊敬する人:母、平山素子先生
心に残った本:バレリーナの情熱(森下洋子)、ピナ・バウシュ
心に残った映画:「Pina -踊り続ける命-」
好きなスポーツ:水泳、バレーボール
好きな食べ物:ご飯と味噌汁
嫌いな食べ物:辛いもの
訪れた国:10か国
大切な習慣:日記、メモ

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