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メダルの色は関係ない。アスリートの努力の過程を世の中に伝えたい。

Professional
2022/11/27
インタビュー
  • 173
株式会社時事通信社
前田 悠介
(体育専門学群・2003年入学)

幼少時代から曲がったことが嫌いな性格で、迷うことなくマスコミの世界へ飛び込んだ。刑事事件やオリンピック選手の取材など幅広いトピックを記事にしてきた中で、まっすぐ貫かれている“信念”。巷で目にするニュースの裏には、記者その人自身の人生がある――そんなことを、このインタビューから垣間見れるかもしれない。

信念を貫くためには、上司と衝突することも必要

どのようなきっかけで、マスコミの世界に興味を持ったのですか。

僕の性格をひと言で言い表すと、どストレート人間。小さい頃から曲がったことが大嫌いで、理不尽なことを押し付けられるのが好きではなかったので、中学生ですでに、学校の先生に対して「先生が間違っていると思います」と言うような子でした。

そういう性格になったのは親の影響ですか?

なんで、なんで?と疑問に思うところは、もともとの性格だと思います。小学生の頃には政治のことについて親に質問をするような子どもで、会社に入った当初は政治部志望でした。

結局、入社2年目からの3年間は警察担当で、それ以外の13年間はスポーツを担当しています。
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小さい頃からマスコミになる片鱗がありながらも、なぜ体育専門学群に進もうと?

幼少期からサッカーをしていて、地元神奈川で高校を決める際にも「サッカー強豪校の私立じゃなく、公立高校サッカー部で全国大会にいきたい」という視点で進学したので、筑波大の時も同じく「国立で全国に」という思いと、高校の先生が筑波大蹴球部出身で大きな影響を受けたことが理由です。

勉強に厳しかった母親と離れて自立しようと決心していたことも、筑波大を選んだ理由の1つですね。

どんな大学生活でしたか?

蹴球部では先輩、後輩、同期が和気あいあいとして楽しくて、皆で必死になれた有意義な4年間でした。プロにいくような選手が偉そうにせず、B、Cチームの選手たちとカテゴリー関係なく4年間を一緒に過ごしていましたし、今でもつながりを持っています。

試合や練習中に言いたいことがあれば、先輩、後輩関係なく本気で言い合えたことも筑波大ならではだと思います。

具体的に印象に残っている人はいますか?

蹴球部の入学直後くらいのミーティングで、松本光弘先生が、「朝日の中の雨の音」の話をしてくれた時は、グサっと心に刺さりましたね。

高校3年間、5、6時に起きる朝練がつらい日もありました。ベッドの中でうとうとしながら、雨が降っていれば中止だと思っていると、本当に雨音が聞こえてきて、いざカーテンを開けてみると快晴。夢だったんですね。松本先生も同じ経験をされていて、「でも、お母さんは君たちより30分、1時間早く起きて毎日、朝食も弁当を作ってくれた。みんなより遅く寝ているお母さんもいただろう。大学に入ったら、それを全部1人でやっていくんだ」。そう教えて下さって、親のありがたみが分かるようになったというか。

母親がいつも作ってくれていたおかずが食べたくて、作り方を聞いたり、母親との関係性が変わったきっかけが、その松本先生の言葉でした。

親元を離れたからこそ、関係性が縮まったのですね。

その母親が急病で亡くなったのが2018年。記者としてサッカーのワールドカップに帯同する半年前のことでした。

母親は勉強に対してはものすごく厳しかったけど、僕のサッカー人生をサポートしてくれて、記者になったことも喜んでくれていたので、スマホに入った母の遺影をワールドカップの試合中にかたわらに置いて取材をしました。

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お母さまは前田さんのことを誇らしく思っているでしょうね。大学時代はサッカーに打ち込んだ毎日だったと思いますが、進路についてはどのように考えていましたか?

幼少時代から常に世の中や政治に対して疑問を持ち、陰で行われている悪事を暴いたり、立場の弱い人を救いたいという思いがあったので、マスコミを中心に就職活動をしました。

性格的に、デスクワークで職務を全うするようなサラリーマンはできないけれど、マスコミの記者なら自由度が高いんじゃないかと。実際、自分が興味のあるものに向かっていけたり、話が聞きたいと思った人に自分で許可を取ったり。自由度が高い働き方をしています。

幼少時代のように、上の人に物申すことは?

自分の意見はしっかり言います。「それは違うんじゃないですか。僕はこう思います」と。ぶつかっていく相手の役職を気にしたことはないですし、人の評価を気にすることもしない。それは昔から変わっていませんね。

相手からしたら自分は面倒くさいやつだと思いますけど、信念を貫くためには衝突することも必要だと思っています。

裁判を傍聴し、記者人生で初めて泣いた

仕事を通して、印象に残っている出来事はありますか。

強く印象に残っているものが2つあって、まずはロンドンオリンピックですね。会社のオリンピック担当として、ボクシングの村田諒太選手、レスリング女子の伊調馨選手、吉田沙保里選手、小原日登美選手、レスリング男子では米満達弘選手が24年ぶりに男子で金メダルを獲った場面に立ち会えたことは、記者冥利に尽きます。

結果が金メダルであろうが銀メダルであろうが、銅メダルであろうが、その人がリングに立つまでにやってきた道のりは変わらないですから、その努力の過程を世の中に伝えたい、スポーツをやっている子供たちに何かを感じてもらえたらと、そんな気持ちで記事を書いています。

もう1つの印象に残っている出来事とは?

スポーツ記者になる前に、80歳ぐらいのおばあさんが自分の夫を殺してしまうという事件の裁判を傍聴したことが、記者人生で一番印象に残っている出来事です。

おばあさんが手錠をかけられ、腰縄を付けられて入廷したことがまず衝撃でしたし、寝たきりのおじいちゃんが介護をするおばあちゃんに対して申し訳ないから殺してくれと、それをおばあちゃんは拒否し続けていたんですけど、ある日、気持ちよく寝ているおじいちゃんを見て、このままいかせてあげたいと殺めてしまった、そんな事件でした。

老々介護の問題点ですね。

結局、執行猶予がついて刑務所には入らない判決になり、最後に裁判官が「あなたは普通の生活に戻れます。でも絶対に後を追うようなことはしないで下さい」と言った時に傍聴席にいるほとんどの人が泣いていましたし、僕自身、記者人生で泣いたのはあれが最初で最後です。

こういった社会問題は、悲惨な事件までにはならないにせよ日本全国で溢れている気がして、もっとメディアで取り上げた方がいいのではないかと、そう思わされた出来事でした。

様々な人の人生を記事化し、社会に問題提起する役割を担っている。取材やオファーをする、ご自身の人間力も問われるのでは。

僕が心がけているのは、とにかく「正面からいく」こと。電話やメールではなく直接会って取材をすることが大事ですし、オファーをする際も直接顔を合わせて、なぜ取材したいかをまっすぐに伝えることを心がけています。

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ただ、サッカー元日本代表の中田英寿さんに取材をした際はなかなかうまく言葉が引き出せず、緊張で汗をダラダラかいていたら中田さんが冷房を入れてくれた、というのも良い思い出です(笑)。

直接対峙することで相手との化学反応が起きる、そんなお仕事ですね。

筑波大のつながりで、特に、様々なスポーツ界の方々にお話が聞けることもあります。捜査幹部とスポーツの話で意気投合し、他の記者から「よく、あんなに上の立場の人とつながれたね」と驚かれたこともありましたね。その人の存在が、スクープのきっかけになったこともありました。

筑波大やサッカーという共通言語が、良い効果をもたらすこともあると。

そうですね。今年のワールドカップではサッカーを担当させてもらっていて、蹴球部で同期の細井聡はトレーナー、1年後輩の中下征樹(つくばウェイvol.167で紹介)はコーチとして日本代表に帯同していて、更には、選手として谷口彰悟(川崎フロンターレ)や三笘薫(イングランド/ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオン)が出場する可能性が高いので、記者としても個人的にも特別なワールドカップになりそうで、楽しみです。(取材時2022年10月時点)

筑波大や蹴球部の仲間の活躍は誇りですし、他にも、サッカーの取材を通して筑波大出身の人と出会うことはとても多いですね。

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では最後に、今後の展望を教えて下さい。

会社内で立場に上がっていくと、あと数年で記者を引退し、デスクという他の記者が書いた記事をチェックする役割になります。

ずっと記者で居続けるにはフリーになる選択がありますし、それとも会社に残ってデスクになるのか。そういったことを考え始めていますが、この先もサッカーに関わってはいたい。その気持ちだけは貫こうと思っています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

筑波大、蹴球部は、土地柄もあり、社会の縮図のような場所ですよね。だからこそ、社会に出るための要素が詰まっているつくばという環境だからこそ、自分という人間の基礎が固まったと実感しています。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

一人暮らしの楽しさや苦労を味わいながら、仲間と支え合うことは一生の絆になります。4年間でやれることは結構あると思うので、「今のままでいいのか」と自分を見つめながら有意義な4年間を過ごして欲しいです。

プロフィール
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前田 悠介(まえだ ゆうすけ)
時事通信社に入社して15年。 スポーツ担当記者として世界中を飛び回る。記者を目指した原点には、悪事を暴きたい、社会的弱者を救いたいという、子どもの頃から抱いた想いがあった。今後のキャリアがどこに向かうのか模索する日々の中、開幕した2022FIFAワールドカップの取材に臨む。
基本情報
所属:株式会社時事通信社
役職:編集局運動部記者
出生年:1983年
血液型:O型
出身地:神奈川県伊勢原市
出身高校:神奈川県立秦野高校
出身大学:筑波大学体育専門学群
所属団体、肩書き等
  • 株式会社時事通信社
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:運動生理学
部活動:蹴球部
住んでいた場所:天久保3丁目
行きつけのお店:味平、餃子のまっちゃん、かつ大、ドルフ
プライベート
ニックネーム:前ちゃん
趣味:サッカー、ゴルフ、つくばにあったような定食店探し
特技:ボディーランゲージ
尊敬する人:両親、高校の恩師ら影響を受けた方全員
年間読書数:10冊
心に残った本:ルパンの消息(横山秀夫)、やめないよ(三浦知良)
心に残った映画:なし(取材した老老介護による嘱託殺人の裁判は記者人生で唯一泣いた)
好きなマンガ:スラムダンク、Jドリーム
好きなスポーツ:サッカー、ゴルフ、ボクシング、相撲、レスリング
好きな食べ物:白米
嫌いな食べ物:マトン
訪れた国:27か国
大切な習慣:なし
口癖は?:それでいいのか
座右の銘
  • 信念を貫く

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