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三上スライダー

人生をかけて情熱を持って取り組めるもの、それがサッカーだった。

Sportsperson
2019/02/25
インタビュー
  • 125
FC琉球 取締役、事業統括/社長室、室長
三上 昴
(社会工学類 2006年)

ゴールドマン・サックスに勤め、証券マンとして働いていた頃、ふと立ち止まって考えた。「大事なのは、自分の思いがどこにあるかだ」。原点回帰。Jリーグで活躍する仲間の姿に刺激を受け、サッカーを仕事にしたい、と転職し、2018年にFC琉球の取締役に就任。やらない後悔はしたくない。――そんな三上氏の人物像に迫った。

初めてサッカーで尊敬できた、筑波大の同級生

なぜ筑波大を目指そうと思ったのですか。

高校時代、サッカー部のキャプテンとして皆を引っ張っていこうと頑張っていましたが、なかなかうまくいかず。自分一人で勝ち切れるほどの実力もなく、インターハイの地区予選一回戦で負けるような成績でした。「こんなところで終わりたくない!」と。
当時の顧問の先生が筑波大出身だった影響もあって、筑波大を目指すようになりました。

筑波大のどんなところに惹かれましたか。

3つあって、他の私大と違って、筑波大学は希望すればサッカーで成績を残していなくても蹴球部に入部ができることと、日本一を狙えるチームだったところに惹かれましたね。
1年の時、自己紹介で「日本一を目指して筑波大にきた」と言ったことを覚えています。

それと、サッカー以外にも色々学べる環境というのも筑波大ならでの魅力だと思いました。

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入学してみていかがでしたか。

初めてサッカーで尊敬できる同級生と出会えて、刺激的な毎日を送りました。

特に奈良輪雄太(東京ベルディ1969所属。つくばウェイvol.16で紹介)選手とは蹴球部の合宿の時に同じ部屋で、僕もサッカーノートは書いていたんですけど、奈良輪の書いているサッカーノートをみて、「ここには本物がいる」と関心しました。

ご自身は、チーム内でどんな立ち位置でしたか?

当時の蹴球部はトップチームの他、サテライト、Bチーム、Cチームとあり、B・Cチームはそれぞれ3チーム程にレベル分けをしてチームを形成していました。
僕はCチームからスタートし、ほぼ全てのカテゴリーを経験しました。
筑波大学のトップチームはそれこそ後にプロとして活躍する選手ばかり。
1年生のころにキャプテンだった選手がジュビロ磐田に加入した時には、トップチームに行けばプロになれるんだと感動したのを覚えています。

トップチームを目指す過程で、ほぼ全てのメンバーとサッカーをしたので、色んな立場にいる皆んなの気持ちが分かるという意味では良い経験でしたね。特にトップに行けば行くほど、人にどれだけみられているのかというのを意識するようになりました。
卒業後は、ほとんどの仲間の結婚式に参加しているぐらい、皆と関わることができたと自信を持っています。

体育専門学群ではなく社会工学類に進んでいますが、印象に残っていることは?

学部の皆とも仲良くやっていて、サッカー以外の時間も持てたことで逆にサッカーに集中できたかなと思います。

ゼミは、厳しくて有名な藤井教授のもとで国際金融論を学ぶつもりでしたが、「君の興味のあるものをテーマにしたほうがいい」とアドバイスを受け、回帰分析を使ってJリーグチームの強いチームの決定要因を探ることをテーマに、卒論を書きました。

卒業後は大学院に進まれていますね。

まだまだサッカーを続けたいと思っていたので、院試が実施された大学4年の夏に、当時関東リーグ所属のSC相模原に出たりして。
大学院にいけば、MBAを取りながらサッカーを続けられるなと、そんな思いでシステム情報工学研究科MBAコースに進みました。

どんな研究をされたのですか?

水戸ホーリーホックの経営改善計画の提案をするために、水戸駅で街頭アンケートをとってどうやったらお客さんを集められるかを分析し、その分析を持って水戸ホーリーホックの社長に提案しにいきました。

就職についてはどのように考えていましたか。

とにかく就職は感覚的に“すごいところ”に入りたかった。
はじめは色々な理由を考えました。海外で働けるとか、実力勝負の世界であるとか。
でも最終的に目の前に並べている志望動機が非常にくだらないものに見えてきて。

感覚的に“すごい”というのは?

理屈じゃなく、感覚的なものを大事にするということなのですが、この考えは蹴球部監督の風間八宏さんとの出会いが大きいです。それまで色んな指導者と会いましたが、風間さんは会った瞬間から「すごい人だ」と思える何かがあって、実際、指導者としてすごい人でした。

世の中に理念を語らせたらすごい人はたくさんいます。でも肌で“すごい”と感じるほどの人は多くないので、それ以来、この感覚を大切にするようにしているんです。

2012年、ゴールドマン・サックスに入社。

若いうちから色んなことを任されて、舞台に立たせてもらえるのが面白かったです。入社1年目から期待される仕事のレベルが圧倒的に高く、必然的に勉強しなければいけないことも多かったので、成長はできたと思います。

どんなお仕事をされていたのですか?

債権の営業といって、金融機関相手に運用の提案をしていました。
仕事も面白かったですし、会社の倫理観が全てだと思えるほど没頭して働いていましたが、入社から4年が経った頃、子供が生まれたのをきっかけに「この仕事で僕が成し遂げたいこととは、何だろう」と、疑問を持つようになって。

仕事のかたわら家族や蹴球部OBと関わる中で、やはり大事なのは「自分の思いがどこにあるか」だなと。

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それはサッカーだと気付いたのですね。

はい。大学院卒業後に蹴球部のOBチームを立ち上げて週末サッカーをしていたのですが、その時間が自分にとってはとても大事な時間で、改めて自分の人生はサッカーと仲間で形成されていること実感しましたね。

それからは。筑波大の現役のために何かできることはないかと考えて、木戸俊介さん(つくばウェイvol.102で紹介)と一緒に学生たちを巻き込んで筑波大蹴球部のプロモーションチームを2017年に立ち上げました。

プロモーションチームとは学生主体でスポンサーを集める組織のことで、僕は彼らのアドバイザー的存在を務めています。

現役と接点を持ってみて、どんなことを感じましたか?

学生が情熱を持って取り組んでいる姿を見ると、自分が現役の時に出していた熱量がよみがえって、ますます「今、僕はそういう熱量で仕事に取り組めているのだろうか」と考えさせられました。

そんな中、2018年にロシアで開催されたW杯に、蹴球部の先輩や後輩がスタッフとしてチームに帯同していることを知って。彼らは、僕ら世代の本田(圭佑)選手などサッカー界を代表する“すごい人たち”と仕事をしているんだと思うと、自分もそのポジションにいきたいと思ったんです。

そのために、どのようなアプローチをしたのですか?

サッカー選手の契約交渉の代理人をしている馬淵雄紀さん(つくばウェイvol.120で紹介)に相談したり、ナンバースポーツビジネスカレッジといって、前DeNA球団社長である池田純さんが主宰している会に参加したりしました。

その会はスポーツマネジメントに興味のある人を対象にしていて、陸上の為末大さんや柔道の井上康生さんといったアスリートの講義が聞けるので、とても刺激的でしたね。

活躍できる場がないんだったら、作ればいい

そういった行動が実を結び、2018年11月にFC琉球の取締役に就任。

FC琉球現社長の倉林さんに直接声をかけられ、取締役に就任。現在は、選手の強化に関わる以外の全ての仕事をしています。営業、広報、財務、総務も僕の担当です。

出社時刻は定時では9時半ですが、ゴールドマン時代のことを思い出して「ぬるま湯につかっていてはいけない」と7時に出社しています。

早く出社する理由は?

ただサッカーを仕事にできる今、純粋に仕事がとても楽しいので、早く働きたいという気持ちがあります。
また、現状維持ではなく、他クラブとの競争意識を持って上を目指さなければいけないと思うからです。サッカークラブは54チームしかありません。目指すべき姿をブラさずに持ち続けないと、いつの間にか見える世界が狭まってしまうと思っています。

会社員時代に一度立ち止まり、自らと向き合った時期から今までサッカーを軸にブレずに行動をしている。そのエネルギーの源とは?

サッカーが好き、これに尽きると思います。それと筑波大の仲間のためにという思いも強いですね。現役でもOBでも、彼らが思うように活躍できる場所がないんだったら、作ればいい。そんな気持ちで思いつくままに行動に移した延長に今があります。

学生時代の、サッカーに対する熱量がよみがえってきたような。

今はサッカーを中心にした生活なので、毎日が楽しくてしょうがないです。

日経新聞のコラムで読んだのですが、ジャパネットたかたの創業者、高田明さんがおっしゃっているように「サッカーには夢がある」。その通りだと思います。

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なぜ、その言葉に感銘を受けたのでしょう?

ジャパネットたかたは地元・長崎を拠点にしているVファーレンというサッカーチームを存続させるために、クラブを子会社化した経緯があるので、僕自身の状況を重ね合わせて、その言葉に重みを感じるんですよね。

サッカーを通して社会にどう貢献したい?

2007年に筑波大学蹴球部が2部降格の危機に瀕していたことがあります。
関東リーグ最終節、この試合で負けたら2部降格が決定…創部以来ずっと1部にいたので2部降格は許されないという中で、ロスタイムに麻生くん(元ソニー仙台)が奇跡的な決勝点を決め、最終的にその年なんとか残留することができました。
会場にいた筑波関係者はみんな歓喜と涙を流し、会場が一体感を持った瞬間を経験し、サッカーのパワーを感じました。
その、フクアリの奇跡(2007年関東リーグ最終節)のように感動を作りたい、伝えたい、一体感を作りたいと考えています。

皆が涙して喜んだ、あの光景がサッカーの全てだと思っているので、あれぐらいの価値を作りたいというのはありますね。

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改めて、会社を辞めて良かったと?

はい、辞めて良かったと思います。証券会社に固執しつづける10年後と、好きなことで稼いでいる10年後とを比べると、人生の生き方や価値が全く変わってくると思いますから。

お金が全てではないですが、どちらがお金持ちになっているかも分かりませんし。

どれぐらい稼ぐかというのも大事ですか?

ビジネスとして成功しない限りは意味がないですからね。ただ好きなことをやって、子供たちのためと言いながら自分がひもじい暮らしをしていても意味がないので、お金をどれぐらい稼ぐかというのは指標になると思います。

今後のビジョンを教えて下さい。

僕のやっている仕事が子どもたちの憧れる仕事になれるように頑張っていきたいです。
経営者もフロントのメンバ―もプロとして成り立つべきですし、ここで経験を積んで海外に出て行くのも考えられること。35歳で海外のクラブに引き抜かれる可能性もゼロではないので。常に上を目指していかなければ置いていかれるという気持ちで取り組んでいきたいですね。

置いていかれるというのは?

先ほど同期で一番影響を受けた奈良輪の話をしましたが、彼は大学1年の時からずっと右肩上がりなんです。大学時代がピークだったという風にならないよう、彼のように常に向上心を持って頑張りたいですね。

あなたの“つくばウェイ”とは?

平砂の寮生活が自分のコアな部分にあります。会社員時代は良い給料をもらって良い暮らしをしていましたが、平砂での生活を思うと、どんな環境でも生きていけると。そんな気持ちを持たせてくれた、ありがたい環境です。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

今を全力で楽しんで下さい。今を大事に過ごすごことが将来につながりますから、今は余計なことを考えず、自分のやりたいことに没頭して大学時代を過ごして欲しいと思います。

三上 昴さんが所属する
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プロフィール
三上プロフィール
三上 昴(みかみ すばる)
1987年東京都出身。幼少期よりサッカーに親しみ、サッカー中心の生活を送る。私立武蔵高校卒業後、筑波大学社会工学類に入学。4年間蹴球部に所属。卒業後は筑波大学院 システム情報工学研究科MBAコースに進学し、ゴールドマンサックス証券に入社。証券会社にて8年間勤務したのちに2018年11月、FC琉球取締役に就任。異例の若さで取締役に就任し、事業統括/社長室室長としてFC琉球J2シーズンに向けて奔走中。
基本情報
所属:FC琉球
役職:取締役 事業統括/社長室 室長
出生年:1987年
血液型:A
出身地:東京都
出身高校:私立武蔵高校
出身大学:筑波大学 社会工学類
出身大学院:筑波大学院 システム情報工学研究科MBAコース
所属団体、肩書き等
  • 茗友サッカークラブ理事(OB会)
  • FC Kirinoha Tokyo代表
筑波関連
学部:社会工学類
研究室:国際金融ゼミ
部活動:蹴球部
住んでいた場所:隠れ天3
行きつけのお店:まんぷくや
プライベート
ニックネーム:すばる
趣味:サッカー
特技:サッカー
尊敬する人:風間八宏
年間読書数:30冊
心に残った本:名もなき挑戦 パクチソン
心に残った映画:パッチギ!
好きなマンガ:キャプテン翼
好きなスポーツ:サッカー
好きな食べ物:ちゃーはん
嫌いな食べ物:ピーマン
訪れた国:アメリカ、香港、ブラジル
大切な習慣:遅刻しない
口癖は?:大丈夫
座右の銘
  • サッカーには夢がある。

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