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淀野さんスライダー

人として成長できた4年間が今の私を支えている

Sportsperson
2019/06/17
インタビュー
  • 133
バスケットボール選手
淀野 潮里
(体育専門学群 2008年入学)

日の丸を背負い、筑波大学女子バスケ部キャプテンとして数々の実績を残す中、突如大学4年の頃に病気にかかり、選手を引退。一旦選手としては身を引くものの、バスケットの本場アメリカでプレイヤーとしての才能を開花させ日本人4人目のWNBAにチャレンジ中の淀野潮里氏。上に行きたい、知らない世界を知りたいという気持ちでその時その時をがむしゃらにやって来た結果が今に繋がっていると語る。前例がないことがワクワクする−-と笑う彼女のバスケット人生に迫る。

切磋琢磨しあえる環境が
筑波大の4年間にはあった

バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。

一つ上の兄のミニバスの送迎について行っていたんですが、当時女子チームの人数が少なくて、誘われたことがバスケットをはじめたきっかけです。小学校2年生の頃です。そこで軽い気持ちで一回練習に混じったら、もうやめさせてもらえなかったですね(笑)。どうせ毎週兄について体育館に来るんだから、と(笑)。

ミニバスのチームは強かったのでしょうか?

全然。市内でもベスト4に入るか入らないかくらいの、普通のチームで、田舎だったこともあって人数もいつもギリギリで。中学校も地元の中学校に進学をして、普通に趣味程度にバスケットをしていたので、高校生までは全国大会とかは全く無縁のバスケット生活を送っていました。

淀野3

高校はバスケの強豪校土浦日大に進学されていますね。

中学校の時に県選抜に入ったことがきっかけで、土浦日大から推薦をいただいて、これが私のバスケ人生のターニングポイントになりました。当時の土浦日大のバスケ部は全国でも一番精神的にも肉体的にも厳しいと言われる練習をしていて、高校の3年間で初めてバスケットを本気でやりましたし、すごく鍛えられたと思います。

高校3年生の時にはインターハイ3位、日の丸を背負われてアジア選手権で優勝されていますが。

中学校まで全国大会も経験したことのなかった私が(笑)。
土浦日大で鍛えられたおかげだと思います。初舞台でしたが恐れとかは特になく、ワクワク興奮していたのを覚えています。U18がきっかけで、初めて実業団とかプロ選手というものを考えはじめました。

実業団やプロ選手という選択肢がある中、筑波大学にはなぜ進学されたのでしょう。

中学生の頃、部活の他にもミニバスで練習をしていたところ、当時筑波大1年だった有明葵さん(つくばウェイvol.127で紹介)がミニバスにきてくださって。その時に、この人すごいな、という感覚を初めて持ったんです。初めて、バスケットだけでなく、考え方や人としての姿を尊敬できたのが有明さんで、有明さんが筑波大に行っているというのをお聞きして、一緒にプレーはできなくても後を追いたい!と思って筑波大学に行きたいと思いはじめました。
それと、将来的には教員になりたいという思いも持っていたので、筑波大に行けばバスケだけではなく色々専門的に学べると、総合的に考えて進学を選択しました。

淀野4

入学してみていかがでしたか。

筑波に入ってよかった!と心から思っています。
一番良かったことは人との繋がりですね。筑波の先輩たち、チームメイト、種目の違う同期たち、尊敬できる方々にたくさん出会いました。こんなに素敵な人たちが集まる環境ってなかなかないなあと。みんな何かに真剣に取り組んでいて、切磋琢磨しあえる環境が筑波の4年間にはありましたね。今振り返っても、筑波の体専ならではだと思います。

具体的にどう成長しましたか。

自分で考えるという部分において大きく成長したと実感しています。
高校の時は準備されている環境が当たり前で、いろんなことが自分で意思決定しなくても準備されていて、自分はやることに集中するだけ、という感じだったんです。筑波の体育会は自主性を重んじる雰囲気があって、全て自分たちで考えて決めて行動することが求められていますが、私は高校の頃からのギャップで、最初は「自主性ってなに?」状態からスタートで。自主性と自由を履き違えてしまったりもしましたね(苦笑)。部内での責任が大きくなってきた大学3年になったあたりから、自主性は責任を伴うものだということに気づきはじめて。そこから本当の意味での自主性を理解して動けるようになりました。
4年間でバスケスキルだけでなく人間として成長できたことが、今のアメリカでのチャレンジで大きな支えになっています。

淀野7

U19やU21日本代表として世界選手権に出場。インカレ優勝ユニバーシアード代表など輝かしい実績を残されています。

実は私、4年生の時キャプテンを任されていたんですが、リーグ戦の途中から病気になってしまいインカレに出ていないんです。キャプテンなのにコートに立てず、チームにも迷惑をかけてしまいました。試合に出れないなりにやれることはやったんですが、自分を責めましたし、選手として悔いは残っていて。

卒業後、WJBLに進まれなかったのもその影響が?

はい。オールジャパン(1月)の最終戦に間に合うか?というような状況で、実業団に行っても自分の体が持つのかという不安が大きくて。当時から「日本のバスケットを盛り上げたい」という思いでいたので、不安を抱えたままトップリーグに飛び込むより、私はコーチングという道でバスケット界に貢献しようと思い。悩んだ結果、卒業間際にバスケットの本場アメリカにコーチング留学することに決めました。病気をしていなかったらバスケを続けていただろうし、すごく悩んで悩んで出した結果でした。

知らない世界を知りたいという気持ちで
がむしゃらにやって来た

卒業後、渡米。

留学を決めてから半年間国内で英語を勉強し、渡米しましたが、West Virginia Universityを受験して不合格。実は私、英語が全くダメで、筑波英検も苦労していたタイプの人間で(笑)。West Virginiaの付属の語学学校に通いながら、女子バスケのチームの練習をみさせてもらってコーチングの勉強をさせてもらってました。バスケを通じて友人もでき、友人ができると飛躍的に語学力も伸びて、その後無事入学できました。

淀野8

コーチングを学ぶ学生から、プロ選手へのキャリアチェンジのきっかけはなんだったんでしょう。

こんな人いないですよね(笑)。
最初はコーチングの勉強でチームの練習に参加していたんですが、West Virginia Universityの女子バスケチームのコーチから「うちで選手としてやらないか?」と誘っていただいたんです。後々調べてみると日本の大学1部のチームで4年間プレーしているとアメリカの大学ではプレーできないことがわかって、「うちではプレーできないけど、上を目指してやってみたいならセミプロのチームがあるから紹介するよ。」とおっしゃってくださって。West Virginiaってディビジョン1のチームで米国内でもすごく力を入れているレベルの高いチームだったのですが、その中でやっていても対等にやれている感覚があったんです。純粋にバスケットが楽しかったんですよね。それで、今しかできないことは何かと考えたときに、コーチングの勉強は何歳になってからでもできるけど、選手ができる期間は限られているので、せっかくできるのだからチャレンジしようと思いました。

その時は病気は完治されていたんですか?

オールジャパンを終えてから7ヶ月間全くバスケをせずにいたので、病気も怪我も完全回復していました。観てくれていたコーチも、「しおり、まだまだやれんじゃん。」って(笑)。コーチングを学んで選手たちのためにプレーしていたので、観てくれている人は観てくれているんだなあと、嬉しかったです。

トライアウトに合格し、WBCBLのCarolina Lady Xpressに入団。

何チームか受けた中で、North Carolinaのチームに受かりました。

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セミプロ選手として活躍する傍ら、勉学にも励まれていたんですね。

ビザの関係もあって、West Virginia から編入という形で、North Carolinaでもコミュニティカレッジに通学し、健康科学を学びながら4年間学生とバスケットを両立していました。Sports Medicine & Rehabilitation と Sports Coaching & Managementの資格を取得しました。この時はかなり勉強しましたね。母国語ではない言語で、Health Fitness and Scienceという専門分野を学び、国家資格を取得するということで、レコーダーで講義を録音して移動中に何度も聞いたり、ペンだこができるくらい必死に勉強しました。

そのガッツはどこからくるんでしょう。

自分でやると決めたことに対しては最後までコミットしたいというのは昔からありました。そこは最低限守らないと自分で自分が誇れなくなってしまい悔しくなりますから。結構頑固なんです(笑)

その後、ABAのChicago Steamに移籍されているんですね。

ABAはWBCBLの一つ上のリーグで、ABAの上はWNBA(米国女子のトップリーグ)という米国内で上から2番目のリーグです。WBCBLで4年間もバスケをやっていると、アメリカでのバスケにも慣れてきて通用する部分しない部分がだんだんわかってくるんです。自分の武器が通用している感覚は持てていて。そんな時に、Chicago Steamのオープントライアウトがあるということを耳にして、今のリーグよりも上でやれる可能性があるなら、取りあえず経験にもなるし実力試しに受けてみるか!と思い昨年の2月にトライアウトに参加しました。そしたら、自分でもびっくりしたんですが、受かったんですよね。発表から1週間後にチームに合流の条件でオファーがきて。

当時、私はNorth Carolinaで通っていた大学の最後のセメスターだったこともあって1週間後の合流は難しくて、その時は契約に至りませんでしたが、昨年の11月中旬に、急にChicago Steamから「来シーズンうちでプレーしないか?」と連絡がきて、びっくりしました。

淀野6

1度断っていらっしゃるのに再度声がかかるなんて、淀野さん“しか“があったんですね。

5年間アメリカでバスケをする中で身につけた、相手の動きをよむ「よみ」の部分のスキルではアメリカ人には負けないと思います。

「よみ」のスキルはトレーニングできるんでしょうか?

ポジションがPGということもあって、「よみ」とスペースは常に考えプレーしています。速い展開の中で相手の動きを読んで先回りして動く能力はアメリカに来てから鍛えられました。

パワーでもスピードでも勝てない状況でバスケをする中で、どうしたら勝てるか?と考え続けた結果動きの先読みで勝負だ、と。
昔はパワーにはパワーで対抗しようとしたりしていて。相手の土俵で戦って勝てないなら、「自分の土俵に相手を持ってくるスタイルは何か?」と仮説検証を繰り返し、突き詰めた結果、相手の動きを先読みして相手がパワーを発揮する前に戦うようになりました。
これって実はすごく難しいことで、意外とアメリカ人は持っていないスキルなんです。自分で自分をコーチングして「考えるバスケ」という武器を磨いています。

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6月からはABAのChicago legendに所属。その武器を持って今日本人4人目のWNBAにチャレンジされているんですね。

そうです。先日、ABAの一つ上のリーグWNBAのChicago Skyのトライアウトがあって、チャレンジして来ました。私にとっては大きなチャレンジですが、トレーニングキャンプのメンバーに残ることができました。今後もオープントライアウトにチャレンジしてWNBAを目指していきたいと思っています。

コーチング留学生からWNBAへの階段を登った日本人は、前例にいないですよね。

それが私のモチベーションにも繋がっています。「前例がない」ってワクワクしますよね!正直私もアメリカにはコーチングを学びに来ていたので、たまに今の自分の状況がわからなくなる瞬間もあるんですが(笑)、上に行きたい、知らない世界を知りたいという気持ちでその時その時をがむしゃらにやって来た結果が今に繋がっています。
知らない世界に飛び込むことがいまは楽しくて仕方がないです。

日本人が海外で闘う上で一番大事なことはなんですか。

自分の意見を持ち、きちんと伝えることだと思います。間違っていてもいいので、自己主張をすることが大事。自己主張できるかできないかで、成功できるできないが決まると言ってもいいと思います。主張をしないと、「魅力のない人」になってチャンスも与えてもらえないし、話を聞いてもらえなくなります。

淀野5

これからのビジョンについて教えてください。

直近の目標としては日本人4人目のWNBAでプレーをすることです。WNBAでプレーすることで結果的に日本代表や東京オリンピックにも近づくと思っています。
長期的には私が海外で経験して来たことを次世代の選手たちに伝えていきたいです。今後どんどん若い選手は海外に出て行くようになると思います。海外でプレーするということは決して楽ではない、苦労の方が多いので、私の経験や培った人脈を役に立てて、日本のスポーツ界のレベル向上に貢献していけたら嬉しいです。

あなたの“つくばウェイ”とは?

「なにくそ精神」です。自分が思っている限界は限界じゃない。私たちには底力が備わっていて、悔しさが原動力になるということを教えてくれたのは筑波大学でした。辛い時にどれだけ頑張れるかの答えは自分の中にしかないので、自分が誇れる自分になれるように頑張るのみです。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

今、目の前の授業を大事にしてください。授業での学びが必ずプレーにいきます。私は現役時代授業に対してパッションはあまりあった方ではありません。本当に勿体無いことをしたとアメリカにきてから実感しました。授業をリカバリーに使うことだけはやめた方がいいです。競技並みにパッションを持って授業に望むと相乗効果でプレーも良くなると思います。

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プロフィール
淀野プロフィール
淀野 潮里(よどのしおり)
1990年茨城県日立市生まれ。幼少期よりバスケットボールを始め、高校時代より頭角を表しU18日本代表としてアジア選手権で優勝、インターハイBest5選手に選ばれるなど鳴り物入りで筑波大学に入学。大学ではU19およびU21日本代表、ユニバーシアード代表、インカレ優勝、リーグ戦優勝など選手として輝かしい成績を残し大学4年次には女子バスケットボール部のキャプテンを務めた。病気をきっかけに一度選手から身をひき、コーチングを学ぶために渡米するが、米国にて現地コーチの目に留まり、選手復帰を果たす。現在Chicago legendに所属し、日本人4人目のWNBA選手にチャレンジ中。
基本情報
所属:Chicago legend Basketball Team
出生年:1990年
血液型:A型
出身地:茨城県日立市
出身高校:土浦日本大学高等学校
出身大学:筑波大学
出身大学院:West Virginia University
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:スポーツコーチング
部活動:バスケ部
住んでいた場所:天久保3丁目
行きつけのお店:とり吉、ミラ(インド料理屋さん)、コスモス、半田屋
プライベート
ニックネーム:キイ
趣味:映画鑑賞、温泉、音楽ガンガンにして部屋を掃除すること
尊敬する人:母、有明葵衣さん、NC州で出会った大学の教授(Ms. Becky)
年間読書数:20冊
心に残った本:Spark
心に残った映画:A STAR IS BORN
好きなマンガ:スラムダンク、Dear Boys
好きなスポーツ:バスケ、クロスフィット
好きな食べ物:寿司 (特にサーモン、甘えび、つぶ貝)
嫌いな食べ物:キウイフルーツ
訪れた国:アメリカ、オーストラリア、タイ、インドネシア、トルコ、中国、カナダ
大切な習慣:MeditationとYogaを必ず毎日行う。
口癖は?: ”Everything happens for reasons”
座右の銘
  • Travel is fatal to prejudice, bigotry, and narrow-mindedness.

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