バスケを始めた小学生から社会人まで全てのカテゴリーでキャプテンを務め、リーダーシップを発揮してきた有明さん。バスケットボール選手としては一度現役を引退。民間企業の人事として働き、NPO法人理事を務めながらも、3x3バスケットボール選手という新たな形で現役復帰し、2018年の得点王に。多忙を極める中、時間や自分自身をマネージメントする、その術はバスケを通じて学んだのだという。
5歳上の兄の影響で、小学4年の時にバスケを始めました。兄が練習メニューを考えて、指導もしてくれて。両親が「お兄ちゃんは、あなたを育てる役割を背負っている」と言っていたほど熱心に指導をしてくれていました。その頃から、バスケットでプロを目指すことを目標にしていました。
秋田県で一番バスケットボールが強い高校に進学し、とことん根性を鍛えられました。ノート1冊分の部則を覚えて、部則が守れていないとすぐにミーティング。直接バスケットとは関係のない規則もありましたけど(笑)「これを守っていればチームが強くなるんだ」と信じて、まっすぐな気持ちで取り組んでいました。ただ、あまりにも理不尽な内容だったり、バスケで戦う上で弊害となる部則は自分たちの代で撤廃をし、継承しませんでした。
私の人生の指針である、「何事も中途半端にはやらず、目の前の事をとことん頑張る」という姿勢は、中学校から高校時代に培ったものです。
当時、バスケは高校卒業後にトップリーグに進む選手が多く、「大学にいくと変な癖がつく」と言われたりしていました。私は選手生活を終えたら教員になりたいという将来のビジョンがあったので、大学進学するつもりでいましたね。進学コースを選択肢し、授業のコマが多く、練習に遅れて参加する日もありました。
よく「文武両道」と言いますが、学業とバスケはセットで取り組むことで相乗効果があると当時から考えていて、すき間時間をいかにつくるかと、物事の優先順位を意識して生活していました。勉強にもバスケにも真剣に取り組んでいたので大学にいくことは自然な流れでしたね。
高校3年の時、当時筑波大4年だった田渕明日香さん(元デンソーアイリス所属)がインカレで優勝をした姿に憧れたのが決め手でした。
勉強もスポーツもトップレベルの筑波大に身を置いて、たくさん苦労した方が教員になった時に役立つのではないかという考えもありました。
他の競技で活躍するトップアスリートとの出会いが、私を大きく変えてくれました。
高校では先輩の前で話をしてはいけないという部則があり、「それをひたすら守っていた。」と他競技の友人に話したら、「スポーツって普通はコミュニケーションありきなんじゃないの?なんのための部則?」と指摘されて。当時は部則を守れば強くなることを疑わなかったけれど、よくよく考えてみたらバスケはチームスポーツだし、コミュニケーションが大事なはずだと。
自分が正しいと信じていたことでも、正しくないことがあるのだと気付かされ、いろんな人の意見を取り入れ、いろんな視野を持つようになりました。「自分の思っている当たり前は、他の世界では当たり前ではない」ことに気が付きました。この気付きをきっかけに、自分の知らない世界にもたくさん触れる意識を持てました。
はい。それからは自分の考えややり方にこだわりすぎず、自分の中の扉を広げて、まずは何でも吸収するようになりましたね。そうすることで、自分の引き出しが増えましたし、それが今私の財産になっています。
大学の早い段階でこのことに気づき、たくさんの友人を作るために行動できたことが、私の人生のファインプレーだと思っています。
例えば大学1年であまり試合に出られなかった時、「スピード」に課題がありました。そこで、陸上部の友達に相談をして「走り方の基礎」を一緒に練習させてもらったり、ダンス部の友達にお願いして、緩急をつけることで「速く見せる」方法を聞いたり。バスケだけにこだわらず、いろんな種目のアスリートが実践していることを取り入れて、結果バスケに還元できた4年間でした。
大学時代にいくつかの実業団の練習に参加させていただく中で、富士通はコートの中ではお互いの思いをストレートにぶつけ合いながらも、オフの時は仲が良い、私が理想としている雰囲気があり、「このチームに入れたら成長できるな」と。
富士通の合同合宿の際には、特に気合いを入れて凄くアピールして(笑)、運よくスカウトして頂きました。
富士通での私の大きな変化は、キャプテンとして「チームが勝つこと」を軸に、自分が活躍することだけでなく「仲間を輝かせること」を意識するようになりました。
ポイントガード(チームの司令塔)というポジションだったこともあり、特に意識するようになりました。
例えば、まずは相手の考えを受け入れた上で、自分の思いを伝える。コートの中でストレートにぶつけたとしても、その後、オフではしっかりとフォローし、「より深く理解しよう」とする。そして、次は少しでも気持ちよくプレーしてもらう。以外とオフの時間が重要なんですよね。
そのために“マイメンバーノート”を作って、1人1人の特徴や傾向だけではなく、私がこう言ったら、相手がどう反応した、といった些細なことを記録するようにしたんですね。
他愛もない会話も含め、チーム全員とのコミュニケーションはもちろん、観察するという作業を意識するようにしました。自分が「見ようとしているか、理解しようとしているか」意識次第で見えてくるものも変わると実感しています。
そういったことを積み重ねていくうちに、“人をいかす”ことの面白さに目覚めていきました。「アオイとプレイすると上手くいく」という言葉をメンバーにもらった時は純粋に嬉しかったです。
逆に言えば、それをやることでしかチームの中で生きていく術がなかったんです。自分の武器と思っていたものが社会人になってからは全く通用せず、最初の頃は選手として活躍できる機会が少なかったので。
でも、仲間を生かすことを意識し始めてからチームメイトとの関係性が良くなり、結果として試合に出られる機会が増えていきました。
考えたことはありますが、辞めるというラインを超えたことは一度もなかったですね。
もしも自分のためだけにバスケをやっていたら、辞める選択を簡単にできるのかもしれませんが、小学生でバスケを始めてたくさんの方々と関わり支えていただき、恩返しのためにも頑張りたいと。地元の秋田に活躍を届けたい、喜んでもらう顔が見たいという気持ちも強かったので、中途半端なまま引退を決断することはできなかったです。自分のためにやるのはもちろんですけど、「誰かのために」という気持ちで私は何度も奮い立っていましたし、その力の大きさも感じていました。
自分の役割を見つけてチームメイトとの関係性が良くなった3年目で試合に出られるようになって、じゃあ次は5年までやろうと。引退後は教員になろうと思っていたので、活躍していても5年で辞めようと考えていました。
ところが6年目にBTテーブス監督が就任することになり、彼の元で学ぶことは大きな財産になると思い、ラスト1年と決めて現役を続行し、引退をしました。
筑波大バスケ部の同期で教員になっている友人の話を聞くと、生徒の中には当然ながらスポーツをやっていない人もいるのだなと。でも私はバスケがメインの人生を歩んできて、アスリート寄りの生活をしてきたので、アスリート以外の視点が足りないと思い、富士通に残って社会人としての経験を積むことにしました。
富士通ISサービス株式会社の人事総務部に配属され、最初の頃はエクセルも使えなければ、会社の財務処理も分からない。1から学ぶことが多々ありました。でも、新たな世界に足を踏み入れる覚悟は持っていたので、すべて修行と思い、粘り強く取り組んでいました。この覚悟と粘り強さは、アスリート時代に鍛えられたもので今それが活きています。(笑)
会社員として働きながら、これまでの私の経験も生かせたら…思う瞬間があって。アスリートとして培われたチームワークや目標を達成する力やそのプロセス、コミュニケーション能力など、社会で通用するスキルがある一方で、スムーズに還元できないことがあるなと。アスリートは大きい社会の中で限定された存在だと思い知らされたんですね。
そんな時、富士通のアメフト部を引退された白木栄次さんとお話しする機会があり、「社会におけるアスリートの価値を最大化する活動をしよう」と、それでNPO法人Shape the Dreamを立ち上げることにしました。
簡単に言うと、学生アスリートにキャリア教育をしています。
ワークショップ形式を取り入れたり、現役アスリートや元アスリートで社会に出て活躍されている方々のセッションを企画したり、内容は多種多様です。独自のプログラムである「Shape」を提供しています。
スポーツをする上では、勝負に勝つことや好成績を残すことが目的ですが、それだけを追い求めていたらアスリートとしての限定的な引き出ししか持つことができません。スポーツを通して様々な能力が潜在的に身についていることはもちろんですが、アスリートの枠を越えて、”自らの未来を自らの意志で選択し作り上げていく力”をアシストしたいと考えています。「Shape the Dream」とは、アスリートが自ら夢を形作るという意味があるんです。
NPOを立ち上げ、学生に向けて私の経験を語るうちに、引退している立場ではなく私自身もアスリートとして活動していた方が、より近い目線に立つことができ、言葉に説得力があるのではないかという思いもありました。
それに、プロ選手として不完全燃焼で終えてしまった心残りもあり、3×3ならの本来のスタイルというか、原点に戻り自己表現できるという気持ちもありました。
時間は1日24時間、皆に平等に与えられていて、それをどうメイクするかにこだわっていますね。私の場合はそれぞれの活動が相乗効果を得ながら、それぞれの質が高まっているような気がします。より質の高いパフォーマンスが発揮できる方法を考えることが楽しいです。中途半端にならない範囲で、やりたいことがあれば、やれるように工夫し、実現していきたいです。
余談ですが、実は、自宅から会社まで通勤時間は往復4時間かかるのですが、パソコンを持ち込んで資料を見たり、映像を見たりして通勤時間を有効に使っていたりします。
それが重要だと知ったのは、富士通でプロ選手として活動していた頃。どうしてこの練習をしているのか?と問われた際に、恥ずかしことに答えられない時があって。その時「やらされているという意識だったんだ」と気付かされた経験があって。
それからは、やみくもに努力だけしても身にならないから、何事も自分の意思をもち、主体的に考えながらやっていこうと思うようになりました。その結果が今の形です。
学生に教える立場として、私自身が常に成長していることが大切だと思うので、3×3だけではなく、成長するための機会をいろいろと考えているところです。大学院やビジネススクールにも興味があります。自分がやりたいと思うことはとことんやりたいと思います。
筑波大への進学を目指した時と同じで、「苦労する道を進んだほうが成長できる」――そんな期待もありますし、人生のチャンスの場面で自分を120%表現できるために準備したいです。
「スラッシュキャリア」とも言われていますが、同時に複数の仕事に全力投球するという自分らしいスタイルを極めていきたい。人それぞれの人生観があるとは思いますが、自分の人生の当たり前は、自分で決めたいと思っています。
様々な組織に入ることで新たな出会いがあり、人との出会いが私の財産になっていると実感しています。今後もいろんな方々と関わり、いろんな経験を積んでいきたいですし、なんらかの形で「教育」には常に携わっていたいですね。
無限の引き出しを開けるための鍵。筑波時代にその鍵を得ることができました。自分次第でいかようにも学べて、自分が行動すれば何かを得られる環境が筑波大にはあります。自ら行動することの価値という鍵を体感することができました。筑波大学で出会ったすべての人に感謝していますし、社会に出てたくさんの方々と出会い成長できているのは、その鍵に気づけたお陰です。
大学時代に築き上げた人間関係は一生の財産になります。自分の所属しているコミュニティに限らず、より多くのネットワークを構築した方がいいと思いますし、そのための行動は惜しまないでほしいです。卒業後に友人がいろんな分野で活躍している様子を知るだけでも刺激になります。
筑波大学で、自分なりの鍵を見つけてほしいと思います!
所属: | 富士通株式会社、NPO法人Shape the Dream、3x3 TOKYO DIME |
---|---|
出生年: | 1986年 |
血液型: | AB |
出身地: | 秋田県大仙市 |
出身高校: | 秋田経済法科大学附属高校(現・明桜高校) |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 |
---|---|
研究室: | バスケットボール方法論研究室 |
部活動: | 女子バスケットボール部 |
住んでいた場所: | 春日4丁目 |
行きつけのお店: | まかない亭(もう閉店してしまいました…) |
ニックネーム: | コズ(コートネーム)、アオイ、アーリー |
---|---|
趣味: | 旅行 |
特技: | 少林寺拳法、体幹トレーニング |
尊敬する人: | 両親、岡田優介さん |
年間読書数: | 約30冊 |
心に残った本: | 他動力(堀江著)、心を整える(長谷部誠著)、リーダー論(高橋みなみ著) |
好きなマンガ: | ONE PIECE(尾田栄一郎著)、スラムダンク(井上雄彦著) |
好きなスポーツ: | バスケはもちろん、スポーツ全般 |
好きな食べ物: | フルーツ全般(ドリアン以外)、魚介類、たこやき |
嫌いな食べ物: | かりんとう、大学いも、パクチー |
訪れた国: | 4カ国 |
大切な習慣: | すき間時間の確保、振り返リング(自分の1日の行動を振り返る) |
口癖は?: | 「大丈夫」「いいね」「チャンス」 |
TSUKUBA WAYに関するお問い合わせはこちらから!
お問い合わせ