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長谷川様スライダー1

「負けたくない」、「悔しい」という思いが原動力に

Sportsperson
2016/05/26
インタビュー
  • 19
ガンバ大阪 監督
長谷川 健太
(体育専門学群 1984年入学)

1991年設立のJリーグ人気をけん引した清水エスパルスの初期メンバーであり、ワールドカップ最終予選で“ドーハの悲劇”を味わった日本代表メンバー。選手引退後は、清水エスパルスやガンバ大阪で監督の手腕を発揮するなど、常に注目を集める“王道”を歩んできた。J2だったガンバ大阪をJ1に昇格させた年に、三冠達成するなど偉業を成し遂げた名監督の人生の歩みとは?

エスパルスの成功なくして、Jリーグの
成功はない

まずはサッカーとの出会いを教えて下さい。

静岡県の清水市(現・静岡市)出身で、周りにサッカーをやっている人が多い環境の中で自然とサッカーを始めるようになりました。サッカー部に入ったのは小学3年生の時ですね。静岡清水は勝って当然という周囲の期待もある中で、小学6年生の時に清水FCの一員として全日本少年サッカー大会で優勝。日本一になることが当たり前という環境で、小・中・高と育ってきているので、いつも一番上を目指しながらプレーしていたように思います。

筑波大に入学したきっかけは?

当時、まだJリーグがなかったのでプロチームは存在しませんでしたが、高校時代、進路を考えた時に「大学卒業後は現役でプレーして、その後、教員に」との思いで教員免許を取る目的で筑波大に進学を決めました。

いくつかの大学から推薦の話がきましたけど、筑波大のサッカーは強かったですし、親に迷惑をかけないためにも国立大学にしようと。

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それまで筑波大にはどんな印象を持っていましたか。

静岡県に住んでいたので、当時は筑波大がどこにあるかも知らなかったんです。単純に僕の勉強不足もありますが、初めて筑波に行った時は、「一体、上野からどれだけ離れるんだろう?」と、電車に乗りながら不安になりました。

いざ着いてみると、「静岡より田舎じゃないか」と(笑)。まだ筑波万博をやる前でしたので、万博に向けて高速道路が整備されようとしている真っ最中で。常磐道はたしか2年生になった時に開通したのかな。そして筑波万博を向かえて、ちょうど街が変化していく様子が感じ取れました。

筑波大サッカー部での思い出は?

1年生の時から使ってもらっていたので、少々生意気というか、正直、天狗になっていたと思います。上下関係も厳しくなかったですし、緊張感のないダラっとした雰囲気でしたから最後の1年となる4年生になるまで全然優勝できなかったんですよ。今思えば、3年間をもっと有意義に使えば良かったな……と。勉強もあまりしていなかったので、教授から「君は留年したほうがいい」と、よく言われました(笑)。

3年の間、何に時間を費やしていたのですか。

なんというか……、皆さんが思い浮かべるような不真面目な生活とだけ言っておきましょう(笑)。

4年生の時に生活に変化が?

4年生になって就職を考えるようになった時に、ようやく意識が変わったんです。「卒業後はサッカーができなくなるかもしれないから、最後の1年ぐらいは真面目にサッカーに向き合おう」と。その後、総理大臣杯準優勝、4年ぶり6度目の関東大学リーグ優勝を経験しました。副主将としてチームを引っ張っていく立場になり、「真剣にやらなければ」という状況に追い込まれたことで、大きく変われたのだと思います。

トレーニングなども変化しましたか?

4年生になってスイッチが入った時、ちょうど山中邦夫先生が監督に就任されて、田嶋幸三さん(元日本代表、現日本サッカー協会会長)がサッカー部のコーチになられました。さらに、当時バレーボール部のコーチをやっていた方がサッカー部のフィジカルコーチになったことで、当時最先端のトレーニングだったバウンディングを実践したり、朝から陸上トラックを走ったり。それまでの3年間とは全く違ったことに挑戦することが刺激になって、チーム全体の雰囲気が変わっていったと思います。

筑波大に行って良かったと思う点は?

仲間との出会いですね。特に僕が副主将だった時の主将である平岡和徳(現サッカー指導者)、田口禎則(元日本代表)、2学年下の後輩には中山雅史、井原正巳(ともに元日本代表選手)など非常に質の高い選手が揃っている時代でしたし、先輩にしろ後輩にしろ、筑波大出身というだけで強いつながりを感じます。

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そういったメンバーと共に4年生で結果を残したことで、卒業後もサッカーの道に進むことに。

幸運なことにプロ契約という形でチームから誘いがあったので、Jリーグの前身である日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現 横浜F・マリノス)に入部しました。1988年のことです。日産では2年連続で三冠(リーグ、天皇杯、JSL杯)を獲ることができました。

1991年にJリーグの設立に伴い、地元の清水エスパルスに移籍。

その頃、ケガをしていて即戦力になれるかどうか分からない状態の時に、地元の清水エスパルスが声をかけてくれたことが嬉しかったですね。その気持ちに応えるために、地元に貢献しようと頑張りましたし、当時は市民クラブが清水しかなかったので(注:その他は責任企業が運営主体のクラブ)、サポーターと一緒になって地域全体でサッカーを盛り上げるロールモデルとして、「自分たちの成功なくして、Jリーグの成功はない」との意識で臨みました。選手のほとんどが静岡県出身者ということもあり、みんなが一丸となって盛り上げようとする雰囲気が充満していましたね。

市民クラブであることが選手の強みになっていたのですね。

他のチームの多くは既存のチームから派生していたので、しっかりした設備が整っていましたが、清水エスパルスの場合は自分たちの練習場がありませんでしたから、色んな練習場を転々としながら練習をしていたんですよ。だからこそ、「僕たちが頑張らければ未来はない」という強い気持ちで臨めたのかもしれません。

93年には日本代表としてワールドカップの出場をかけた最終予選に出場。“ドーハの悲劇”を味わうなど辛酸を舐め、Jリーグ発足から5年が経った1996年、清水エスパルスはようやく初めての優勝を手にします。

サッカー人生の中で一番嬉しかった優勝と聞かれて、真っ先に思い浮かぶのは、清水エスパルスの初優勝。あの時のナビスコカップでは大変感慨深いものでした。

プロで活躍できるのは、ハートが強い選手

1999年に現役を引退し、サッカー解説者や指導者として活躍。

指導者としての道を歩むことになったのは、浜松大学から声をかけてもらったことがきっかけです。いつか「Jリーグの指導者になる」という目標を持っていたので、大学で指導することは良い経験になるのではないかと思って、挑戦してみることにしましたが、そこで指導することの難しさを思い知らされました。

どんな点で難しいと感じましたか?

それまでコーチをした経験もなかったですから、「サッカーってどうやって教えればいいんだ?」というところから始まって(笑)。特に伝え方に関して、選手にこうして欲しいという思いをどうやって言葉で伝えれば一番伝わるのか?と試行錯誤しました。あの5年間の経験がなかったら、今こうしてJリーグの監督にはなれていなかったんじゃないかと思うほど勉強させてもらいましたね。

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伝え方に関して、どのように工夫されたのですか?

選手とのコミュニケーションに時間をかけることができれば、それほど難しくはないんですが、例えばJリーグでは、初めて会う選手たちとたった数週間でコミュニケーションを取ってシーズンに向かわなければいけません。期間が短いからといって成績を残せなかった時の言い訳にはなりませんし、ダメだったらすぐにクビになる世界です。「限られた時間の中で、いかに簡潔に伝えるか」、日々その方法を考えるようになったのは、大学での指導がきっかけです。

理想の監督像はありますか?

選手時代に指導してもらった監督を思い浮かべながら、いいところを取り入れたこともありますが、人の真似をしてもしょうがないなと。自分のスタイルをやっていこうという気持ちのほうが強いです。

長谷川監督のスタイルとは?

熱血漢ですね。指導者がヘコんでいたらチーム全体に影響してしまいますから、負けても明るく、「それでもいくぞ!」といった雰囲気を作るようにしています。例えばケガをしている選手には、「これからまだ長い人生があると思えば、今の苦労はたいしたことない」と声をかけるなど、できるだけポジティブに持っていけるようにと。

僕も選手時代にケガを経験して、なかなか試合に出られなかった時は「休んでいたらポジションが取れてしまう」「なんで僕だけケガするんだ!?」とネガティブな気持ちも芽生えましたが、それでも日々できることを毎日積み重ねてやっていくしかないですから。

アマチュアとプロの指導を経験されて、プロになる選手にはどんな素質が必要だと感じますか?

何かひとつ秀でていればプロになることはできるかもしれません。ただ、そこからさらに上にいくにはハートの強さを持ち合わせていることが大事で、負けず嫌いな人が一番成長できると思います。とはいえ、気持ちだけでは強くなれないので、トレーニングなど行動に移せる選手がプロになっても活躍できる選手だと思います。

それを体現している選手は?

先日、ヨーロッパのプレミアリーグで優勝した岡崎慎司(レスター・シティFC所属)もそうですし、木村和司さん(元日本代表)、遠藤保仁(ガンバ大阪所属、元日本代表)は、ずば抜けて足が速いとか、ずば抜けて背が高いかというとそうではない中で、あれだけ長くプロ生活を続けられるのはハートの強さがあるからです。カズ(三浦知良選手)にしても、そんなに点を取る選手ではなかったけど地道なトレーニングを重ねながら、今も現役と続けられているのはやはり精神面が強いから。中山(雅史)も同じだと思います。

大学サッカー部の指導者を経て、J1の清水エスパルスで5年、その後、2013年に現在所属されているガンバ大阪の監督に就任されます。

当時はJ2でしたけど、もともと攻撃力はあるチームだったので守備力さえ上がれば、すぐにJ1に上がれるだろうと。あとは個人任せにしていた攻撃に関して、チーム全体で取り組めるよう意識作りをしていくことを意識しました。

ただ最初は、選手たちが「この人は、自分たちに何を教えようとしているんだろう」と身構えていましたから、お互いが分かり合えるまでに少し時間はかかりました。5月ぐらいに、ようやくコミュニケーションが円滑に取れるようになると、それから結果がついてくるのは早かったと思います。

1年目でJ2優勝。J1に昇格したその年に、なんと三冠を達成。

何かひとつタイトルをと思っていたぐらいで、まさか三冠取れるなんて思っていませんでしたよ。リーグ戦は非常に苦しいスタートでしたし。ただ、夏ぐらいにパトリック(ガンバ大阪所属)が入ったことによって、攻撃力と破壊力が一気に上がりました。彼に乗せられるように他の選手のモチベーションも上がって5連勝、7連勝と勢い乗っていきました。

ガンバ大阪は勢いに乗ると、手が付けられないという印象があります。

大阪の街全体にラテンのような雰囲気があって、それがチームにも影響を与えているのかもしれません。選手がノッている時は手が付けられないほど勢いがつきますし、一度火がついてしまえばガンガンやってくれる。それがチームの特徴ですね。大阪に来て初めて感じたのですが、大阪は球技をはじめとするスポーツが盛んな地域で、しかもラテンのような気質の人が多いですから、スポーツをやるのに向いているのかもしれません。

では監督ご自身のスイッチが入るときは、どんな時ですか?

「負けたくない」とか「悔しい」という思いが僕の原動力になっています。自分で意識してスイッチを入れているわけではないので、勝っている時は自然とスイッチが入りっぱなしだし、負けてヘコんでいる間はスイッチは入っていないんですけど、ここぞという場面で当たり前のようにスイッチが入っていないと、やはり勝負の世界ですから負けてしまうということはあると思います。

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大阪で何かご苦労されたことは?

就任当初は僕が冗談で言ったことが関西の人には通じなかったり、少し言葉のニュアンスが違うと感じたりしたことがあったので、大阪出身のスタッフにアドバイスを求めることもありました。今は4年目なのでずいぶん慣れましたが。

最後に、今後の日本サッカーに期待することは?

大舞台での場数を踏んで、海外のアウェイの試合でも雰囲気に呑まれないようにすることが大事だと思います。僕自身の経験としても、ピッチに立った時に頭が真っ白になったこともありますが、大抵そういう時は自分の準備不足が原因です。

年々世界と戦える実力はついてきていますし、日本サッカーはまだまだこれから成長できる可能性を秘めている。ベスト16の壁に何度もチャレンジしている間に、いつの間にかベスト8に到達できる、そんな日がきっと訪れると信じています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

仲間の存在。これが一番の財産だと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波大は良い先生も指導者も揃っている、スポーツや勉強には非常に良い環境です。スポーツや勉強など何か目的を持って、有意義な時間を過ごして下さい。

プロフィール
長谷川様プロフィール
長谷川 健太(はせがわ けんた)
1965年生まれ、静岡県静岡市出身。小学6年時には清水FCの一員として全日本少年サッカー大会で優勝。静岡県立清水東高等学校から筑波大学へ進学し、1年からレビュラーとして活躍した。1988年、日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現 横浜F・マリノス)へ入部。2年連続三冠(リーグ、天皇杯、JSL杯)に貢献した。1991年、Jリーグ設立に際して誕生した地元の清水エスパルスに入団。日本代表としても活躍し、1993年ワールドカップ最終予選では「ドーハの悲劇」を味わった。引退後は、NHKサッカー解説者、浜松大学サッカー部監督を経て、2005年から2010年まで古巣である清水エスパルスの監督を務めた。2013年、前年にチーム初のJ2降格を経験したガンバ大阪の監督に就任。1年目でJ2優勝、J1昇格を果たす。翌年2014年、チームを9年ぶりのJ1リーグ優勝へ導き、Jリーグアウォーズでは最優秀監督賞を受賞。ナビスコカップ、天皇杯も制し、日本人監督として初の国内三冠を達成した。現在、ガンバ大阪監督。 ガンバ大阪 http://www.gamba-osaka.net/
基本情報
所属:ガンバ大阪
役職:監督
出生年:1965年
出身地:静岡県静岡市
出身高校:静岡県立清水東高等学校
出身大学:筑波大学 体育専門学群
所属団体、肩書き等
  • ガンバ大阪 監督
筑波関連
学部:体育専門学群 1984年入学
研究室:サッカー研究室
部活動:蹴球部
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