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浅川スライダー

純粋に勝ちを求めるアスリートの姿勢に心を打たれる

Sportsperson
2016/07/11
インタビュー
  • 30
公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構 専務理事・事務局長
浅川 伸
(体育専門学群 1988年入学 /大学院 2005年入学)

筑波大学在学中はアスレチックトレーナーになることを夢見ていたが、現実を思い知らされ、商社へ就職。約9年、商社マンとして働いたのち、「スポーツをやっていた頃の価値観に戻ろう」と日本アンチ・ドーピング機構へ転職した。世界的アスリートがドーピングにより出場停止処分を受けるなど、嘆かわしいニュースが絶えない昨今。その陰に潜む社会的問題を直視しつつ、「それでも許されるものではない」とアンチ・ドーピングに取り組む浅川氏の思いを聞いた。

バルセロナで“スポーツの持つ力”を感じた

筑波大に進学した理由を教えて下さい。

高校で進路を考えて、将来はアスレティックトレーナーになろうと目標を定めた時に、トレーナーになるのであれば筑波大だなと。私自身、中学・高校とバスケットボール部だったので、受験勉強をしていた時期に、筑波大のバスケットボール部がインカレで準優勝した様子をテレビで観て「この大学でプレーできるんだ!」と、まだ合格する前からワクワクしていたことを覚えています。

大学生活は部活動が中心でしたか?

そうですね。ただ、プレイヤーとしてはそれほどの実力はなかったので、2年生になり、学年で1人マネージャーを選出するという時に立候補をしてマネージャーになりました。以降、トレーナー見習いとして、テーピングを巻いたりしながらマネージャーをしていました。トレーナークリニックに出入りするようになると、他の部のトレーナーたちと横のつながりを築いて情報交換をするようになり、自分の目指しているトレーナーへの道に一歩ずつ近づいている気がしました。
浅川インタビュー6

部活動を通して、何か印象に残っていることは?

マネージャーとして1軍と時間をともにするようになり、初めて迎えたインカレでのこと。先輩達が練習している姿やチームの雰囲気を間近で感じて「今年こそ優勝できるだろう」と思っていたら、決勝戦で日本体育大学に負けてしまいました。その試合が終わった後、ロッカールームでキャプテンがチームのみんなを集めて「自分たちも努力をしたけれど、それを上回る相手がいたということ」と潔く敗戦を認めると同時に対戦相手をリスペクトする言い方をしたことが私の心に今でも残っています。キャプテンの言葉は「努力に上限は無い」というメッセージの中に対戦相手を尊重する気持ちが感じられて、スポーツマンとして尊敬できる姿勢だと胸を打たれました。

筑波大の良いところは何だと思いますか?

当時は分からなかったのですが、今実感しているのは、学生の時にやるべきことに集中して過ごすこと、私にとってはバスケットボールですが、何か1つのことにコミットする能力を身につけることが若いうちから身についたことです。それを学生時代にやってこなかった人は、頑張っているようで、なかなか目の前のことにコミットできない、スイッチが入らないといった様子を見かけます。筑波大は、1つのことに集中して過ごすにはとても良い環境だったと実感しています。

ところが卒業後は、目標としていたトレーナ―の道には進んでいませんね。

当時は、トレーナーになって第一線で活躍している人はほんの一握りでした。トレーナーで飯を食おうと思ったら、手に職のある鍼灸師や柔道整復師には勝てないと言われていました。色んな先輩方から「筑波大を出たからといって、トレーナーになれる保証なんてない」と厳しい話を聞くうちに、それを突き破るほどのパワーが私にはないと気付かされて。同期の中には初志貫徹してトレーナーをやっている人間もいますが、私はあの時、尻尾を巻いて逃げた、つまり負け組になりました。
浅川インタビュー4

それで就職活動をすることに。

本格的に就職活動をする前に、土浦市の英会話教室に通い、1年間休学をしてイギリスに語学留学をしました。中学時代の英語の先生の影響で、中学1年から高校卒業するまで毎日NHKのラジオ英会話を聞いていたので、これまで蓄えた英語力が就職活動の足しになればと、まずは留学をして英語力を伸ばすことにしたのです。

留学中の思い出はありますか?

留学をしていた1992年にスペインのバルセロナでオリンピックが開催され、しかも、アメリカのプロバスケットボール集団で結成されたドリームチームが初出場しました。「なんとしてでも見たい!」と、水球でバルセロナに留学していた同級生が滞在していた部屋に転がり込み、プレミアチケットを何とか手に入れて座った席は、手を伸ばせば天井に触れるぐらいコートからは遠く離れていましたが、テレビでしか見たことがないマイケル・ジョーダンなどスター選手が目の前でプレーしている姿に大感激。その他にも、柔道の吉田秀彦さんが金メダルを獲った試合も観戦しましたし、マラソンの有森裕子さんも40キロ地点の沿道で応援したんですよ。

歴史の1ページに残るような試合を体感されたのですね。

あのバルセロナでの経験が原体験となって、今につながっていることは確かです。オリンピックの何が凄いって、あの期間は試合だけでなく、バルでたまたま居合わせたどこかの国のおじさんが「今日、日本人が優勝した試合を見に行ったんだ!」と興奮気味に話しかけてきて一緒に祝杯をあげたり、知らない人と街中でハイタッチしたりするなど、街全体に高揚感があるんです。1週間半、そんなお祭りムードに浸って、部活動のいわゆるスポ根の世界とは明らかに違う“スポーツの持つ力”を初めて感じる機会になりました。

そして復学後、就職活動をして日商岩井株式会社に就職。

商社に入れば、仕入れから販売まで自分でデザインできるというイメージを学生ながらに抱いていたので、商社を選びました。結果として約9年働きましたが、その間、合弁企業の運営担当者として海外の組織と働いたり、国内外の様々な取引先と働くことは学びの宝庫でしたし、経理や法律的な視点も持たなければならないなど経営の根本を教えてもらったと思います。会社を辞める時は課長代理でしたが、チームをまとめる直前のところまでやれたことは良い経験でした。
浅川インタビュー5

順風満帆のように見えますが、なぜ会社を辞めたのですか?

企業で働く立場においては、当たり前のことなのですが、利益を追求することが優先される環境で働いている自分に疑問を持つようになったのです。上長の下でプレイヤーとしてならこの責任を担うことはできるが、いずれ課長となり、リーダーという立場でこの組織を率いることは私には向いていないのではないかと。そして「もう一度、スポーツに関係する世界に戻りたい」と考えるようになり、その頃ちょうど法人が立ち上げられたばかりだった、今働いているアンチ・ドーピング機構(JADA)の採用面接を受けることにしました。

JADA側では、英語の能力があり、組織を運営できる人間を求めていると聞き、それなら私がこれまで培ってきた経験を存分に活かせると確信しましたが、面接で「その会社を辞めるって大変なことだよ⁉」と驚かれて(笑)。会社員時代と様々な待遇が変わるのは当然でしたし、当時は34歳、家内も小さな子供もいましたが、それよりもスポーツに携わっていた頃の価値観に戻ることが、私にとっては最も重要なことでした。

なぜ、ドーピングが終わらないのか?

今のお仕事について教えて頂けますか。

日本のアンチ・ドーピング活動の統括組織として、ドーピング検査の立案と実施、そしてドーピングを未然に防ぐためにスポーツ団体、スポーツ界に働きかける教育啓発をしています。特に今年はオリンピック・パラリンピックイヤーですから、代表候補が参加する合宿などに赴くなどして、研修会を実施するなどの教育啓発活動を行っています。

せっかく試合で良い結果を得られたとしても、アンチ・ドーピング規則に触れるようなことで、記録が取り消されるといった悲劇を生まないためにも、選手自身にルールについての理解を深めて頂きたいとおもいます。
スポーツは、スポーツ界だけではなくて、社会のみなさんが注目しています。アスリートにあこがれている子供達も大勢います。フェアに戦う姿勢を示すことにより、スポーツを通して、子供達が目標とするようなロールモデルとして、活躍して欲しいなと考えています。
浅川インタビュー2

日本人アスリートのドーピングに対する意識は?

日本人アスリートや、そこに関わる指導者は何かズルをしてまでより良い成績を残そうとか、アドバンテージがある状況を作ろうという発想は持っていないと思います。それは日本人の倫理観に依るものが大きいかもしれません。

ドーピングをしてまで勝ちにこだわるアスリートは、スポーツで得られる収入やビジネスチャンスを見越しているのでしょうか。

それは大いにあると思います。近年、商業的な価値がスポーツに生まれてきたことは良いことですが、スポーツの価値が上がれば上がるほど、それを利用してお金儲けをしようとする人が出てくることも確かですから。

過去にドーピングをした人の自叙伝を読んでみると、多くは、信頼する指導者の指示によるケースですが、もう一方で、選手自身の決断によるものも少なくありません。私たちの生活と同じようにアスリートも、結婚をして子育てをするという生活をしている部分があります。サラリーマンであれば、就業年数に比例して、ある程度の収入の上昇が見込めます。しかし、アスリートの場合は、選手としてのピークが必ずしも資金需要とはリンクしない場合があります。

アスリートは、チームとの契約関係があってはじめて、何千万円、何億円とあった収入を得られますが、年齢と伴にパフォーマンスが下降してくると、来期の契約がもらえるのかどうか、一年一年が勝負の年になってきます。そのような状態で、若手の選手と契約を争う立場に立つと考えれば、ドーピングに手を染めることのモチベーションが生まれてしまうことは容易に考えられます。とはいえ決して許されることではありませんが。

比較的、海外の選手がドーピング違反により出場停止になったニュースを耳にしますが、その背景にはあるものとは?

2007年、世界アンチ・ドーピング機構の独立監視員のメンバーとして、ブラジルのリオデジャネイロで開催されたパンアメリカンゲームズに参加した時に、世界と日本の意識の違いを思い知らされたことがあります。ある日の業務後の雑談の中で、「なぜ、ドーピングが終わらないのか」と議論を交わす中で、リオデジャネイロの実情について、メンバーから聞いた話しです。「ここでは、公園の滑り台の下で生まれて、親も知らずに滑り台の下で育つ子がいる」という現実を教えてくれました。

そのような環境で育った子供たちが、少しでも豊かな環境を得ようとするために、サッカー選手になることを目指して、日々の生活をおくる。地域で頭ひとつ抜けられたとしても、州の代表として、目立つ活躍をしないとならない。そんな時に、ドーピングの誘惑があったらどうする?という様な話しでした。ドーピングをする背景には、私たちが想像もできない社会的な問題が潜んでいることを知りました。とはいえ、ドーピングを擁護しているのではありません。スポーツの根本にある「フェアな競技環境」を踏みにじる行為を、周囲の環境に流されて、一線を越えてしまう。多くのケースで、きちんとした価値観が身につく様な教育をうけていない、いわば選手は被害者なのだと感じることが多々あります。

日本人の倫理観だけでは語れない問題ですね。ところで日本アンチ・ドーピング機構に就業された後、2005年には、筑波大大学院に進学されていますが?

今は退任されましたが、佐伯年詩雄先生や、菊幸一先生の講義を通して、「社会的な側面からスポーツを観ること」が身につき、今に活きていると思います。大学時代、佐伯先生の授業を受けていたにもかかわらず、失礼ながら内容を覚えていませんでしたが(笑)、「学びたい」というスイッチが入っていた大学院時代は、これほど面白い講義は無いと感じました。講義を受けることが楽しくてしょうがなかったですね。

大学院時代の学びが、仕事に活かされたことは?

それまでは、例えて言うならば、私の話はビール片手に話しているぶんには面白いけどというもので、ちゃんとした文章として、論旨をまとめてというレベルではなかったので、それを大学院で論文を書く訓練を受けたことで、説明をする際の説得力がたかまったように思います。商社マン時代の上司によく言われましたが、商談相手に納得してもらうためには情報を持つこと。そして情報量が多いことは説得力につながると言われていたことも、論文を書く際に役立ったと思います。
浅川インタビュー3

浅川さんのパワーの源は何ですか?

純粋にスポーツが好きな気持ちです。スポーツは、物的な対価を求める行為ではないからです。もちろんスポーツ選手は、金銭的に恵まれるステージに立てますが、目標額の貯金ができたら現役引退すると思っているような人は大成しないでしょう。ということは、金銭は後からついてくるものであり、アスリートが求めているのは、純粋に少しでも上に行きたい、強くなりたいというチャレンジするということです。そういった姿勢に、みな心を打たれるのです。

では、今後のビジョンを教えて下さい。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを成功させることですね。大会に出場する選手、役員や様々な持ち場で係わる全ての人が10年後20年後に振り返った時に、「良い大会だった」と思ってもらえること。1988年のソウル大会の記憶として、多くの人がベン・ジョンソンを思い浮かべます。選手のすばらしい活躍の記憶が、たった一人のドーピング違反者によって、上書きされて末代まで継承されてしまうというドーピングの負のインパクトが起こらないようにすることが、私の目標です。
浅川インタビュー1

確かに、世界記録樹立後に金メダルをはく奪されたニュースは世界を落胆させました

オリンピックに参加したアスリートの最高のパフォーマンスが上書きされ、ドーピングの記憶が残ってしまったことは残念でなりません。そのような悲劇を生まないためにも、日本人アスリートへの教育はもちろんですが、世界から集まるクリーンなアスリートが、安心して競技に打ち込める環境を、ここ、東京でも作っていかなければならないと身が引き締まります。

あなたの“つくばウェイ”とは?

目の前の仕事に熱を持ち、丁寧に仕事をすること。そういう気質は筑波大での4年間で培われました。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波のスタンダードが、実はグローバルスタンダートだったりすることがあります。同級生が世界チャンピオンだったり、先生が世界の名だたる人だったりするなど、私のように田舎から出てきた小粒の高校生が一気に世界と接点が持てる機会が筑波大にはあります。

プロフィール
浅川プロフィール
浅川 伸(あさかわしん)
1969年生まれ、群馬県甘楽郡南牧村出身。群馬県立富岡高等学校から、筑波大学体育専門学群へ進学。大学2年次よりバスケットボール部のマネージャー兼トレーナーとして活動。在学中、イギリスへ11ヶ月間の語学留学を経験。卒業後、日商岩井株式会社へ入社し、中国やアジアにおける多くのプロジェクトに関わる。2003年、財団法人日本アンチ・ドーピング機構(JADA)へ転職し、2004年のアテネ五輪では、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)の教育啓発活動のメンバーとして参加する。JADAで勤務する傍ら、2005年より筑波大学大学院体育研究科に進学し修士号を取得。2016年、2020年の東京オリンピック・パラリンピック招致のため、IOC評価委員会に対するテーマプレゼンターを務めた。現在、公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構(JADA) 専務理事・事務局長。
基本情報
所属:公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構 
役職:専務理事・事務局長
出生年:1969年
血液型:O型
出身地:群馬県甘楽郡南牧村
出身高校:群馬県立富岡高校
出身大学:筑波大学
出身大学院:筑波大学大学院
所属団体、肩書き等
  • 2005年~現在 公益財団法人日本オリンピック委員会アンチ・ドーピング委員会委員
  • 2012年~現在 公益財団法人日本スポーツ仲裁機構理事
  • 2012年~現在 一般財団法人嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター理事
  • 2013年〜現在 Institute of National Anti-Doping Organizations (iNADO) Board member (理事)
筑波関連
学部:体育専門学群 1988年入学
研究室:スポーツ医学研究室
部活動:バスケットボール部
住んでいた場所:追越24号棟 ⇒ 春日4丁目
行きつけのお店:ともづな1号店、太助
プライベート
ニックネーム:じょりー
趣味:料理
特技:15〜20冊
年間読書数:15〜20冊
心に残った本:菊と刀、戦う経営(稲森)、人を動かす(D・カーネギー)
心に残った映画:Invictus、
好きなマンガ:コナン
好きなスポーツ:バスケットボール、スキー
好きな食べ物:焼き肉、寿司、餃子
嫌いな食べ物:たくわん
訪れた国:36ヶ国
大切な習慣:前向きに考える
口癖は?:なんとかなる

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