
人との出会いに突き動かされ、現在、経営者として活躍。ただ授業に出て、講義を聴くことだけが正解ではない、大学のあり方を示してくれる彼の行動力に学びたい――そう思わせてくれる先輩のこれまで、そして、これからとは。
株式会社ハイヤールーというスタートアップの会社で、取締役COOを務めています。業種としては、エンジニア採用に関連する“HRテック”という領域。企業がエンジニアを採用する際に、面接だけでは技術力が分からないので、それを可視化する術を提供しています。
例えばサッカーでいうと、面接で足元の技術やピッチ上の動きは分からないじゃないですか。その場合、セレクションをやると思うんですけど、それに近い形でエンジニアにそういった環境を提供しています。
そうですね。我々のサービスを導入している企業があり、そこに応募をしてきたエンジニアに”HRテック”を実施しています。これまで、我々のサービスを使った人は5万人以上いるんですよ。
大学では生物資源学類で、エンジニアとは全く関係のない学問を学んでいました。ところが在学中に、大学の提携校であるフランスのボルドー大学に留学したことがきっかけで、エンジニアを志そうと。
農業経済を学ぶために農業大国であるフランスに1年間留学した際、農業とテクノロジーをかけ合わせたら、それが僕なりのソリューションになるのではないかと思いました。
もともとボルドー大学は人類学と医学という、一見交わらない2つの専攻を持っていた人が建てた大学ということもあり、1人の学生が2つ以上の専攻を持つのは当たり前の文化なんですね、その影響を受けて、じゃあ僕は農業×ITをやろうと。
大学1,2年の時に“Tsukuba Creative Camp”や“Startup Weekend”という起業系のイベントに度々参加していて、インターネットで物を作れる技術は、最低限必要だと感じたことがきっかけです。
例えば、あるイベントではたった3日間で新しいサービスを作り、お客さんの目に触れる状態までにしてピッチをする課題がありました。その経験を通して、“作れる人”になっていると、ビジネスのアイディアが浮かんだ際に最初の一歩を踏み出すのが早い、ということを実感させられました。
はい。祖父が鳥取で農業をやっているのですが、人の少ない地域なので農業を維持することがとても難しいんですね。その姿を見て僕に何かできることはないだろうか?と。そういったことが学びたくて、一般受検で筑波大に入りました。
筑波大には国の研究機関の半分ぐらいがあり、国土地理院やJAXAなど色んな研究機関がすぐ身近にあります。しかも、自ら足を運ぶのは自由。そういった環境に刺激を受けましたし、専門的に学びたい人にはとても良い環境だと感じました。
学類・学群が様々なのと、留学生比率が高いので、見渡せば海外の方がたくさんいて、その影響で文化的にも考え的にも多様であること。しかも、博士やドクターといったノーベル化学賞に近い学者さんがたくさんいて、体専にはオリンピアンがいる。トップレベルの人たちと出会う機会が持てたのは、筑波大だからこそだと思います。
生物資源だけかもしれないんですけど、他の学類の授業を10単位ぐらい取らなければいけないんですね。僕はコンピューターサイエンスや芸術の単位を取ったのですが、芸専の授業では3日間でポスターを作り、それがTXのつくば駅に貼られるという面白い経験をしました。
電通や博報堂で活躍する、筑波大出身の有名なコピーライターさんにお会いできたことも刺激的でしたね。
自分の専攻以外のことを学ぶ機会があったおかげで新たな挑戦や、学びが得られましたし、体育も芸術も一般的な学類も、同じ敷地内にあるので自転車でパッと行けるのは筑波大の良い点だと思います。
大学の先輩たちとの出会いですね。社会工学類の先輩が作った“地域ブランディング研究所”に1年次からインターンで参加して、メールの送信から何から社会の基礎を学んだことにはじまり、“つくばクリエイティブキャンプ”での出会いは特に刺激が大きくて。
LINEの生みの親である森川亮さん(第三学群情報学類卒)や、タリーズコーヒージャパン創業者の松田公太さん(第三学群国際関係学類卒)にお会いして、筑波大は多くの起業家を排出していることを知りました。
そういった先輩方に感化されて、今の自分があると思います。
帰国したのが、4年次の夏。それから、留学していた間に取れなかった1年分の単位を半年で取りました。ストレートで卒業できることになったのはいいんですが、全く就職活動をしていなくて。
どうしようかと思っていたら、先ほどお話した“Tsukuba Creative Camp”で出会った東音企画の社長をしている福田さんが、「うちでエンジニアやらないか」と声をかけて下さって。そこでエンジニアとして経験を積んだのが最初のキャリアです。
はい。その会社で2年働いた後、東南アジアで決済サービスを提供しているOpn株式会社がエンジニアを募集していることを知り、「これはチャンスだ!」と感じて転職をしました。
以前から、「誰かに対して課題解決するプロダクトを作りたい」という思いがあったので、ひとつの挑戦として東南アジアで、日本人だけじゃないチームでプロダクトを作って提供する。その過程に携われたことは、とても幸運なことでした。
今の会社に関わって約4年。個人では解決できないことを解決するため、チーム作りをしたり、経営者として様々な意思決定をしてきました。その中には、事業を伸ばすためやピポットするための意思決定もありますし、ピポットに即して人に辞めてもらう選択肢をとることもあります。
特に、人に辞めてもらう際のコミュニケーションは記憶に残っていますね。一方で新しい人を迎え入れて、会社の事業に貢献してもらったときは非常に嬉しい。スタートアップ企業の経営は、ジェットコースターのようだと感じます。
組織を動かすという点で、大事にしているのは”論拠”です。なぜそれをやるのか、なぜそう思うのかを人に説明できる状態まで、自分の中で腹落ちさせること。そして一度決めたことは最後まで貫く、そういったことを意識しています。
「オリンピックで金メダルを獲るぞ!」といった明確な目標はありませんが、ビジネスマンとして、かつ、ものづくりをやっていた人間として「ものづくりでもう一度、日本を一番にする」ことを意識しています。これは会社のミッションにも掲げている言葉です。
日本は自動車や工学系でものづくりの国として認知されていますが、ソフトウェアはまだまだこれから。そのために、この業界を根本的に変えたいという思いで会社をやっています。
GDPにしても他の国に比べて下がっていますから、そういった根本を解決することが中長期の目標であり、それを達成できるような人間になりたい。そして、死ぬ瞬間に「あれだけやったんだから、もういいか!」と思える、悔いのない人生が送れたらいいですね。
ワンワードで言うと“多様性”ですね。色んなすごいものが筑波大に集まっていて、それに影響を受けて僕自身、様々な武器を身につけて総合値を上げることができたと思います。
他の大学にはない特徴を持った大学なので、目指すなら本気で目指し、自ら学ぼうという姿勢を持つと、その後の人生が豊かになると思います。
所属: | 株式会社ハイヤールー |
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役職: | 取締役COO |
出生年: | 1993年 |
血液型: | A型 |
出身地: | 横浜 |
出身高校: | 横浜市立金沢高校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 生命環境学群生物資源学類 |
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研究室: | 農業経営および関連産業経営学 |
部活動: | サッカー同好会 |
住んでいた場所: | 天久保二丁目 |
行きつけのお店: | 清六家 |
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