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岡山スライダー

世の中の構造を変えて、理不尽に苦しむ人を減らしたい

Entrepreneur
2016/09/12
インタビュー
  • 40
Story Design house株式会社 代表取締役
岡山 史興
(比較文化学類 2003年入学 / 大学院 2007年入学)

長崎に生まれ、いまだ苦しむ被爆者を目にしてきた岡山さん。高校時代には4万人もの署名を集め、平和大使として国連でローマ法王に特別謁見した、その経験が筑波大への進学を決意させている。現在は会社代表としてスタートアップ企業や大企業の新規事業をサポートする傍ら、NPO団体理事として被爆者の体験をアーカイブにまとめるなど「世の中の構造を変える」べく、生涯のライフワークに取り組み続けている。この情熱は一体どこからやってくるのだろうか?

アメリカの国連でローマ法王と謁見

会社取締役でもあり、「NPOノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の理事も務められていますね。

このNPO団体は、広島や長崎で被爆し、全国各地に移り住んだ人たちの記録や資料を集めて、後世に伝えていく基盤を作っています。2010年には“ナガサキアーカイブ”といって、グーグルアース上に被爆者の体験をマッピングすることで、世界中どこからでも被爆者の体験が見られるコンテンツの制作に参加しました。それをきっかけに現在のNPOと出会い、日本中から集まったたくさんの資料をアーカイブ化したり、会の広報活動に取り組むなどしています。

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こういった活動に取り組むきっかけは何だったのでしょう?

僕は長崎県に生まれ、被爆者の声を伝える活動を高校生時代から継続して行ってきました。長崎では、被爆地の声を世界に伝えるために1998年から毎年、高校生平和大使をアメリカや欧州の国連本部に派遣していますが、僕が高校1年の時に国連を訪問した先輩が「ただ国連に行くだけではダメだ」という感想を持って帰って来たことで、何かアクションを起こさなければと。その先輩らと“高校生1万人署名活動”の立ち上げに参加、高校生が取り組める継続的な活動をしようと呼びかけ、翌年の2002年、平和大使に選ばれた僕は目標を超える4万人以上の署名を持って国連に行きました。この活動は今の高校生たちにも引き継がれています。

その時、なんとローマ法王に謁見したとか。

はい。ローマ法王と信者の方が何千人も集まっている中で特別謁見をする機会を得て、会場内はまるでロックコンサートのように盛り上がっていたことに驚きました。そんな雰囲気に触れたことで“宗教の力”を実感し、ちょうど大学進学を考えていた時期でもあったので、宗教や宗教社会学が学べる比較文化学のある大学に行こうと。色々調べてみたら、筑波大には文学部や社会学部内のコースといった形ではなく、比較文化学が学部単位で設置されていたので進学することを決めました。

どんな学びが得られましたか?

比較文化学を学びつつ、原点に立ち返ったといいますか、被爆者の証言にフォーカスして「彼らの証言や体験をどう後世に伝えていくか」について考え抜いた4年間でしたね。その後、修士課程ではただ「伝えること」だけでなく「継承することとは何だろう」というテーマに取り組んで、たくさんの被爆者の話を聞いたり、原爆を取り巻く対立構造についてなど様々な研究者の見解を参考にしながら、僕なりの結論に行きつきました。

「継承するということは、聞いたことをそのまま人に言うだけではない。聞いたことを自分の人生に置き換えて、彼らの体験を知恵として目の前の課題に適応していくことだ」と。そういった内容をまとめて修士論文としました。

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その答えに行きついた経緯を教えて下さい。

論文を書き進めていく段階で、ふと自分の中に「ただ研究しているだけでは自己満足で終わってしまうんじゃないか」という疑問点が浮かんでいたとき、担当の先生に「君の論文はアカデミックというより、どちらかというとジャーナリズムだね」と言っていただいて。研究することや体験を人に伝えていくことも重要だけれど、被爆者たちの体験を自分自身の人生に適応していくこと、つまり実社会の問題解決につなげることこそに意味があるのだと気付かされました。と、同時に自分の目指す方向も明確になりました。僕がいた人文社会科学研究科は5年間をかけて修士、博士と進めるコースでしたが、より実践的なことがしたいと、修士を終えた時点で就職することに決めました。

研究に集中していた学生生活だったんですか?

勉強や社会活動だけではなく、バンド活動にも明け暮れていましたよ。筑波音楽協会というサークルに所属しながらサークルの外でも活動していて、東京のライブハウスに出演したり、茨城県内だとつくばだけじゃなく水戸や日立でも活動していました。バンド仲間と一緒に自分たちでライブイベントを立ち上げたりもして、良い思い出ですね。

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充実した生活を送る中で、どんなことを考えていましたか?

長崎から筑波に来て驚いたのは、原爆や平和というテーマに対する熱量が全く違うことでした。長崎だと毎月被爆者が座り込み運動をやっていて、「原爆をなくそう!」と叫んでいる。それが日常風景でしたが、つくばや東京ではそういう活動が異様だとみなされることに気づきました。でも僕としては、このテーマ自体は日本や世界全体共通のものなのだから、どうにか東京やつくばでも伝わる方法はないか、と考えて「I LOVE キャンペーン」という活動を始めました。

これはニューヨークが発信している「I LOVE NY」というキャッチコピーのNYの文字を空白にして、みんなにとっての大切なもの、LOVEなものを書いてもらうワークショップを開催し、その活動を通して「LOVEなものを大切にすることが、あなたにとっての平和なんですよ」というメッセージを伝えようと。日本全国だけでなく海外でも開催して、皆さんに書いてもらったものを僕が主宰したライブイベント会場で展示したり、ライブの来場者にも書いてもらったりもしたんですよ。

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社会活動をする際のモチベーションとは?

高校生の頃は単純に「楽しそう」という好奇心でした。今までになかった0の状態から1を立ち上げたり、世の中に必要なものを作っていくことって面白いなと。それがだんだんと関係者が増えてきて、期待をしてくださる方、話をして下さる被爆者の方、さらに僕らの活動を通じて刺激を受けた若い世代が増えてきたことで、「僕がやらなければ」と使命感が芽生えたといった感じです。

なるほど。では、筑波大に行って良かったと感じることはありますか?

筑波大には体育や芸術、文系・理系など色んな人たちが混在している多様性がありながら、その中でみんなが上手く共存し、自分を確立してやりたいことに向かっていける環境がありました。そのことに気づいたのは、今、東京で生活をしてみると、東京って多様性があるようで、実は1つの固まった価値観で社会が動いているんだという感覚があるからです。地元の大学でもなく東京の大学でもなく、筑波大に行く選択をしたことで自分を確立できたことは大きなターニングポイントでしたし、良い決断だったなと今改めて思います。

「できない自分」への自覚が僕を突き動かしている

筑波大での生活を終え、就職したのはベンチャーのPR会社。

平和を訴えたり、被爆者の声を伝えることは深刻かつ暗く捉えられがちで、活動をしている人たちが危ない人のように見られて損をすることが多いので、「伝え方って重要だな」と考えた時に、伝え方のプロであるPR会社でノウハウを知りたいと思いました。急成長のベンチャーだったので、深夜1時、2時までが当たり前なほど仕事はハードでしたが、発想を固定化させず、いつも最先端の手法を取り入れる会社だったので得るものは多かったです。

その会社に5年間務めた後、起業されました。

当時務めていたPR会社で、大手IT企業をクライアントにした、国内の中小企業向けに新しいサービスを作っていく新規事業の立ち上げに携わる中で、国内の99.7%を占めている中小企業のうち、インターネットを上手く使えている企業は3割に満たないということを知りました。しかも、そのプロジェクトでインターネットを使えていない会社を、東北から九州にかけて何百社と巡った時に、とても魅力のある企業が全国にあることを知って。彼らがウェブやマーケティングの力を使って商売を成長させていけば中小企業全体が活性化し、日本がもっと元気になるんじゃないかと考えて、直接的に彼らの力になるために独立することにしました。

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具体的に事業内容を教えていただけますか?

大きく分けて2つのことをやっていますが、まず1つめはビジネス支援事業で、主にスタートアップ企業や大企業の新事業の立ち上げにおける戦略づくりからマーケティングやPR、販路開拓などのコンサルティングサービスを提供しています。例えば、自社の立ち上げ期からご一緒しているお客様で、昨年上場したスタートアップ企業がありますが、広報戦略、実行を支援することで成長に貢献しました。世の中に新しい価値を生み出そうとしている企業が、より世の中に活躍できるよう土壌を整えて実行していくことで、結果的に世の中がより面白く、より魅力的なものになっていくことがこの事業のゴールです。

2つめは?

メディア事業です。IT業界の新しい業界フリーペーパーである「24hour IT PEOPLE」をタブロイド誌として発行しています。いわゆるITソリューションは開発側と導入側の知識の差が大きく、なかなか適切な形で導入できている会社が少ないので、このメディアでは、スペックではなくて“人”という新しい切り口、判断軸で「こういう人がやっているサービスです」と、しっかり伝わるように構成しています。

そして「70seeds」という戦後70年の節目に立ち上げたメディアでは、「戦後70年の“知らなかった”と出会う」というコンセプトのもと、戦争や平和のトピックスを皆さんの生活と結び付けて知ってもらうための情報発信に取り組みました。例えば、戦後の長崎を舞台にした映画『母と暮らせば』の山田洋次監督にインタビューするなど、今の時代にも共感できるような記事を掲載しています。今年からは、「ハートに火をつける」という新コンセプトを立てて、社会に新しい価値を生んでいる人、すなわち「ハートに火をつける人」を取り上げるようにリニューアルしました。興味を持った読者がすぐにその商品を購入したり、イベントに申し込めるような「社会的価値の持続性」を支援するEコマースの仕組みを作ろうと考えています。

仕事もそうですが、高校時代から一貫して世の中に何かメッセージを発信したい気持ちが強いのですね。

幼い頃から被爆者の話を聞いて育った経験が基盤を作っていますが、僕はとにかく理不尽なことが嫌いです。原爆のことで言うと、歴史の流れで必然だったかもしれないという声もありますが、事実、原爆がいきなり落ちてきて死んだ人がいて、なんとか生き延びた人だって苦しみながら生きています。その人たちの子供や孫は遺伝を気にしたり、昔は差別意識を持たれたこともあったそうです。

それって、ものすごく理不尽なことだと思いませんか? 自分がよそ見をして包丁で手を切ってしまった、というような不注意とは違って、自分に何も直接的な原因はないのに被爆者は一生苦しんで生きているんです。こういうことって戦争のような大きな話に限らず、今の社会構造のひとつひとつに入り込んでるような気がしていて。少しでも苦しむ人を減らしていきたい、その1つの策としてベンチャー企業や中小企業の方々をサポートすることで、世の中の構造をもっと変えていきたいと僕は思っているんです。

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情熱的ですね。

情熱がないと、やってられないです(笑)。

かつ実行力があると感じます。以前からそういう性格なのでしょうか?

面白がって、とりあえずやってみる性格ではあります。あとは、ある意味、できないことを埋めようとするコンプレックスが働いている部分があるのかもしれません。僕は運動は全然できないし、高校時代は数学がダメダメだったんです。でも人って「自分はこれができないから、できるようになりたい」という気持ちがあるからこそチャレンジできるし、かつ自分ができる分野からの自信が得られていれば、より前に進めていくことができると思います。逆に、自分は何でもできると思っている人ってチャレンジしようという思いに至らないと思うんですよね。自分ができること、できないことを両方客観視できる人が強いのだと思います。

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では、今後のビジョンを教えて下さい。

ビジネス支援事業とメディア事業それぞれで支援している“点”をつなげて“面”にしていくことです。事業者さん同士をつないで価値を生み出していくこと、“ビジネス”にまだなっていない活動を“ビジネス”にしていくこと、そしてともに成長していくこと。これらを持続していける“面”になるような事業を作って、世の中の構造に小さくとも変化を生んでいきたいです。

そのためにはもっと会社の規模を大きくしていかなければいけないですし、より多くの思いを一緒にしていける仲間と取り組むために、採用に力を入れることも今後の課題です。

仕事を通して喜びを感じる瞬間はどんな時ですか?

成果が出た時ですね。僕たちにとって成果というのは、お客様のビジネスが上手くいくことです。ちゃんと売り上げにつながった、組織が上手くいった、ブランドの価値が上がった、これだけたくさんの人に知ってもらえたという話をダイレクトに聞かせていただけると、これはお客さんと面と向かっているコンサルティング事業ならではの“やりがい”だなと日々感じます。

あなたの“つくばウェイ”とは?

「自分は自分、人は人」を貫く力。色んな人の価値観に影響を受けつつも、「自分の生き方はオリジナルだ」と自信を持って貫くことで芽が出ると、筑波大の多様性が教えてくれました。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波ののどかな環境で、都会に振り回されず自分なりの生き方を見つけられる時間にしてもらいたいです。

プロフィール
岡山プロフィール
岡山 史興(おかやまふみおき)
1984年生まれ、長崎県長崎市出身。長崎県立長崎西高校に、「高校生平和大使」として国連訪問し、ローマ法王への謁見を果たす。2003年、筑波大学第二学群比較文化学類に進学し、現在思想を専攻。在学中は、筑波軽音楽協会でのバンド活動の傍ら、「愛・地球博」市民プロジェクトリーダーを務めるなど、幅広い社会活動に携わる。2007年、筑波大学大学院人文社会科学研究科へ進学。2009年より、戦略PR会社のビルコム株式会社へ勤務。2014年に独立し、現共同創業者の隈元瞳子とともに会社設立。事業開発コンサルティングやマーケティング、広報戦略など、大手クライアントのプロジェクトに携わる。現在、Story Design house株式会社 代表取締役。NPO法人 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 理事。
基本情報
所属:Story Design house株式会社
役職:代表取締役
出生年:1984年
血液型:B型
出身地:長崎県長崎市
出身高校:長崎県立長崎西高校
出身大学:筑波大学
出身大学院:筑波大学大学院
所属団体、肩書き等
  • 特定非営利活動法人 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 理事
筑波関連
学部:第二学群比較文化学類 2003年入学
研究室:現代思想専攻
部活動:筑波軽音楽協会(筑音)
住んでいた場所:天久保三丁目
行きつけのお店:くぼや、じんぱち、あじ彩
プライベート
趣味:水泳、漫画鑑賞、ビール
特技:楽器演奏、利きビール
尊敬する人:ジョー・ストラマー、マイケル・ムーア
年間読書数:150冊
心に残った本:「計画と無計画のあいだ」「なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか」
心に残った映画:「ショア―」「あっちゃん」「けいおん!」
好きなマンガ:「宮本から君へ」「うしおととら」「花マル伝」
好きなスポーツ:プロ野球(NPB)
好きな食べ物:カレー、もつ鍋、串カツ
訪れた国:15カ国
大切な習慣:朝、子供と触れ合う
口癖は?:結局、
座右の銘
  • 意志あるところに道をつくる

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