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柄本真吾slider

“自分の人生に真剣に向き合う”という価値観を持って欲しい

Entrepreneur
2016/06/02
インタビュー
  • 21
株式会社メイキップ 代表取締役社長
柄本 真吾
(第二学群生物資源学類 1999年入学)

原動力となっているのは、筑波大時代の反省。ラグビー選手として培った経験が社会人としての柄本さんを奮い立たせている。そして掲げた目標は“30歳で年収1千万円”を稼ぐこと。その目標は、いかにして達成されたのか? 現在はインターネットビジネスの起業家として、社員に“週3日出社”を提案するなど人生を豊かにする働き方の提案を、自らの経験をもって知らしめている。

“30歳で年収1千万円”を目標に

週3日、1日1時間しか部活動ができない静岡聖光学院ラグビー部の出身ですね。

中高一貫の男子校で、どちらかというと文武両道の“文”に力を入れている学校でした。それでも高校のラグビー部は強豪校として有名で、僕が中学生の頃は、3学年上の小野澤宏時さん(元日本代表/現キャノンイーグルス所属)が活躍され、指導者は葛西祥文さん(元・日本代表/サントリー出身)という恵まれた環境にありました。

ところが高校に進学したのと同時に小野澤さんが卒業し、葛西さんが監督を退いたので、僕たちはラグビー経験のない先生の指導のもと、自らメニューを作りながら練習。的確なアドバイスをくれる指導者がいなかったので、何が正解か分からないまま手探り状態で練習をこなすといった感じでした。

それでも3年生の時には、東海代表として全国7人制ラグビー全国大会に出場しています。

卒業生の小野澤さんが指導に来てくれたおかげです。2年生の時には総体でベスト4に入ることもできました。高校時代は勉強もしっかりとする環境があり、ラグビー部で副キャプテンを務めたり、様々な責任のあるポジションをやらせていただけたので、学校内の評定も良く、筑波大学に推薦で入ることができました。

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筑波大でのラグビーはいかがでしたか?

高校時代と比べると、筑波大ラグビー部は格段に練習量も多ければ、入学当初は体重が50キロしかなかった僕と比べて、体の大きな選手も多い。部員の大半は体育専門学群の学生でしたし、スポーツ推薦や選抜チームで活躍した選手。最初の数か月は練習後にご飯を食べて21時頃に帰宅すると、疲れ過ぎて着替えもせずベッドに倒れて。翌朝9時頃に起きるというギリギリの生活を送っていました。

何度も逃げ出しそうになりましたが、同じ学部の友達に「勉強とラグビー部を両立する」と宣言していたので、逃げ出したらカッコ悪いなという気持ちで、なんとか部活を続けていたという感じです。

ラグビーでの壁はどう乗り越えたのですか?

ラグビー部には推薦だけではなく、一般入試で入ってきた選手もたくさんいて。彼らが必死に練習している姿を見ていたら、「僕と大して実力が変わらない人たちに負けてたまるか!」と。大嫌いな筋トレを始めて、プロテインを飲んだり、卵やバナナなど体に良いものを摂取するよう心がけました。

そうして1年が経った頃、体重が15キロ増えて、なぜか足が速くなったんです。当時のポジションはウィングでしたから、これならやっていけるかもしれないという実力まで自分を高めることができました。

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4年間の活躍でいうと?

じん帯を2回切るなどケガも多く、レギュラーにはなれませんでしたが下のチームのゲームキャプテンなどはリーダーシップを評価していただき任せていただきました。ただ、今でも心残りなのは引退後、中川監督(当時、ラグビー部監督。現在は部長。)に「お前ほどの能力がある選手を育てられなくて申し訳なかった」と言われたこと。正直なところものすごくびっくりしました(笑)。自分のように活躍できなかった選手に対して、そんな風に思ってくれていたなんて知らなかったですし、能力があると思っていただいていたとは全く思ってもみなかったので。この経験は僕の反省材料となり、社会人になって生かされています。自分の能力を最大限に生かしきるためには事前に戦略を立てること、そして意思決定者であるトップに直接聞くことなどが重要だという学びは現在でも非常に大きな起爆剤になっています。

そもそも、筑波大を目指した理由は?

高校生の時“砂漠の緑化”について興味を持ち、大学の農学部で研究をしたいと思ったことがきっかけです。農学部で有名な国立大学を調べたら、筑波大に推薦入学ができるという情報にたどり着き、第二学群生物資源学類に進みました。

砂漠の緑化に興味を持ったのはなぜ?

静岡県の田舎の学校で、野菜や花を育てていた中で自然と「砂漠を森や畑にできたらどんなに素晴らしいだろう!」と考えるようになったんです。ところが大学に入って、砂漠化の原因は、中国や周辺国がカシミヤなど高級な繊維を作るために動物を過放牧し、その動物たちが草を根っこから食べてしまうこと、つまり経済問題が関係していると知りました。

おむつの吸水材を使って種を蒔き、芽を育てるといった技術的なアプローチに興味を持っていた私は、経済問題を解決するということに全く興味を持てず、「何のためにココに来たんだろう」と立ち止まってしまいました。

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ラグビーも勉学も、入学直後に壁にぶち当たったと。

勉強に関しては、3年生で研究室を選ぶ際にもう一度「何が学びたいのか」を考え直し、「将来は香水を作る人、パフューマ―になりたい」との思いで花卉・蔬菜研究室を選びました。自分で育てたキンギョソウやタバコの花に、袋をかぶせて香り物質を吸引し、分析するという研究に熱中しました。ラグビーでも勉強でもそうですが、自分の人生に真剣に向き合うことで、充実した学びを得ることができました。

卒業後は、どんな会社に就職したのですか?

大学の同期は大手企業に就職をした人も多く、先生になる同期も多くいました。そんな中私は「絶対に同期にも誰にも負けない」との思いで、最短で一端の社会人になるためにはと考え、インターネット広告やダイレクト・メールの発送を代行しているネットベンチャーの会社に就職しました。その中で“30歳で1千万円プレイヤーになる”という目標を掲げ、戦略を練りました。

どんな戦略を練ったのですか?

筑波大時代の反省点である“トップに直接聞くこと”を実践すべく、上司に「どうやったら1000万円もらえますか?」と聞きに行きました。人には恵まれることが多く、優秀な上司にアドバイスをもらいながら、がむしゃらに働きました。また、なかなか自分の欠点やネガティブな点を受け入れることは難しいのですが、目標のためであれば素直に聞き入れ、改善することができました。

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具体的な行動とは?

同期と同じ働き方をしても出世はできないですから、週5日は夜中まで働きつつ、土曜日はビジネススクールや英会話の勉強をする。“30歳になるまで貯金をせず全て自分に投資する”と決めて積極的に人に会ったり、習い事をしたり、本を読んだりと、自分の能力を伸ばすことに時間とお金を全て投資しました。

目標は達成できたのでしょうか?

できませんでしたね(笑)。新規事業や子会社の立ち上げに参加するなど仕事は順調でしたし、最短コースを走っていましたが、このままの環境では30歳で1000万円プレーヤーという目標達成は難しいだろうと思い、27歳で株式会社ドリコムに転職し、31歳で達成しました。きっと30歳でと目標を立てていなければいつまでたっても達成できていなかったかもしれません。ドリコム入社前も、上司に「30歳で1,000万円いただけるにはどうしたらいいですか?」と聞くなど、目標がブレることは一度もなかったですね。

週3日出勤の会社で楽しく仕事を

転職先であるドリコムでの仕事内容を教えて下さい。

もともと、その会社が経営危機を立て直す人を求めていたこともあり、リミットは3年という中で必死に働きました。入社当初は行動ターゲティング広告というインターネットを利用する人の閲覧履歴などを元に、利用者が興味を持つだろう広告をバナーで出すという仕事を中心にしていました。

どんな苦労がありましたか?

チーム作りとプロダクト作りを同時に行うという荒技には散々苦労しました。メンバーと一緒に飛び込み営業をしたり、朝駆けや出待ちも平気でやりました。1日200件の電話をかけ、夜に何件のアポイントが取れたかを確認するなど、メンバーそれぞれの行動管理を徹底的にやりました。それと同時にクライアントがどういう広告を求めているのか?を自分の足と頭でヒアリングし、考えをまとめてプロダクトに落とし込むということを言葉通り毎日行いました。夜中の2~3時に帰宅というのはしょっちゅうでしたよ(笑)。
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心身共にタフな状況に置かれながらも「事業部を立て直すまでは」という責任感で何とか働き、入社7年、34歳の時に退社しました。コツコツと積み重ねてきた努力が実を結び、事業を黒字にする目標も達成できましたし、退社をする頃には会社の部長まで任せていただけました。本当に大変な想いをしましたが、間違いなく実力は付きました。ここでもやはり人には恵まれ、社長や役員、同僚、部下からも(いろんな意味で)かわいがっていただきました。今の自分があるのは思い切って火の中に飛び込み、もがき続けたこの経験があるからだと胸を張って言うことができます。本当に感謝しか有りません。

そこから独立をするに至った経緯とは?

会社内で新規ビジネスを立ち上げて、組織を自分で作っていく中で、もっとこういう風にやったらうまくいくのにと色々アイディアが湧きました。インターネット業界というたくさんのチャンスが転がっている環境に身を置いていたこともあり、今までの概念では不可能だったことを可能にできると感じたことも大きいですね。ただ、雇用されている身だとどうしてもすべては僕の思い通りにはできませんし、全責任を負って判断を下すこともできません。

30代はビジネスパーソンとして体力的にも気力的にも人生で最も旬な時期ですから、僕が信頼する好きな仲間と好きなことをやろうと思い、起業することを決意しました。

そうして立ち上げた「unisize」では、どんな業務を?

「サイズレコメンドエンジン」という新しいサービスを作っているのですが、ネット上で洋服を買う人に、身長、年齢といくつかの質問を記入してもらうだけで「あなたにはSサイズがぴったりですよ」とか「Mサイズだとこんなサイズ感ですよ」とご提案するサービスを展開しています。

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そのアイディアどこから湧いたのでしょう。

筑波にいた頃は東京と違って欲しい洋服がすぐ手に入る環境ではありませんでした。ネット上で買うと、ラグビーをやっていた僕にはパンツの太もも部分が入らず、サイズが合いません。きっとこういった悩みを持っている人は意外と多いのではないか?と思い、それをビジネスにできたら素敵だなと思っていました。メジャーでサイズを測るというサービスもありますが、今の時代スマホ片手にネットショッピングしながら、メジャーで測るという不便さはどうだろう?と。

そんなことを考えていたら、海外に似たようなサービスがあることを知り、これを日本でやろうと思い立ちました。今年夏からはアパレル企業様にも、unisizeを使い始めて頂けそうですし、今後はもっと日本に根付かせることができると思っています。

起業から1年半。会社はどんな雰囲気ですか?

弊社は少数精鋭で優秀な社員が多いですし、家族も仕事も大切にしながら、自分の力量で働ける環境を作りたいと思い、彼らが最も効率良く働ける環境を作るために社員は週3日の出社でOKにしています。あとの2日は家で勤務することが可能です。各々のやりやすいように働いてもらっています。皆ファッションが大好きという情熱を持っているメンバーばかりなので、なんとかユーザーの使いづらさという課題を解決したいという想いでサービスの立ち上げに従事してもらっています。非常に熱量が高い会社です。

理想的な環境ですね。

社員全員非常に優秀だからこそ、この会社にいる理由を私が作らないと、みんな簡単に他の会社に引き抜かれてしまうのではないか?というのも、この制度を取り入れた理由です。社員が「この会社で働きたい!」と思える魅力的な会社にしないと、みんなに辞められたところで僕ひとりでは何もできません。

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今の仕事で喜びを感じるのは、どんな時ですか?

僕のビジョンや理念、サービス、戦略などに共感をしてくれた仲間が会社に入ってくれる時ですね。社員の中には入社前に、「妻に『その会社、大丈夫なの?』と心配されました」という人もいましたが、そういう時は僕の家族を連れてその社員のご家族にお会いしに、すぐお伺いしに行くんです。膝を付け合わせて、ご家族にもどういう会社にしたいのか、どんなことを旦那さんにお願いしたいと思っているのか、僕自身、そして僕の家族を含めて全部見ていただき、何か不安なことやご不満、クレーム、お願い、何かあればすぐにお電話してきていただいて結構です。とお名刺をお渡しします。そういった行動で誠意を見ていただき、ご家族にも安心してもらったりしています。その一方、責任が増えることによるプレッシャーを感じて夢でうなされたりしてますが(笑)。

そんな時のストレス解消法は?

仕事とは関係ない仲間、例えば筑波大ラグビー部の仲間と飲みに行くことですね。仕事を始めると、駆け引きなしに話ができる相手がどうしても減ってしまうので、僕が社長という肩書を忘れて本音で語り合える仲間は、本当にかけがえのない財産です。完全なプライベートで飲みに行ける機会は1か月に1回あるかどうかですが、その1回の2~3時間が心から楽しく、息抜きになっています。

今後のビジョンについては、どう考えていますか。

東京オリンピックの2020年までに上場して、将来的に海外展開することです。そのために、洋服のサイズだけでなく靴や下着、バッグなど利用者が必要としているサイズの商品を間違いなくネット上で購入できるよう、もっとジャンルを広げていかなければなりません。
もうひとつは、僕が大学時代に学んだ“香水”の分野に関しても、利用者がイメージする香りが間違いなくネットショッピングでも買えるビジネスなども展開していきたいと思っています。

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事業が拡大しようとも、絶対に変わらない“理念”を教えて下さい。

会社名の語源である“Make it possible”ですね。インターネットやテクノロジーを使って概念を変えることで、今まで不可能だったことを可能にしていこうとの思いが込められています。この理念のもとに、僕はよくこんな質問を人に投げかけます。「どんな人生にしたいですか?」と。

嫌いな会社で毎日働きながら、なんとなく生きている方もいらっしゃると思います。でも、自分の人生をどう生きるかを明確にすれば、人生は豊かになる――と、筑波大ラグビー部で学んだ“自分の人生に真剣に向き合う”という価値観を、僕と触れ合う方、また、弊社のサービスを通して触れ合う方、そしてこの記事を読んでいるひとりでも多くの方に持ってもらえたら、僕の人生は幸せだと思っています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

自由な環境の中で、自分の頭で考え抜く能力が培われました。自主性が身についたと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波大に限らず、大学4年間はすごく短い。“今の環境は恵まれている”と思って色んなことにチャレンジしつつ、今を生きて下さい。これは当時の僕自身にも言ってあげたい言葉ですね。

柄本 真吾さんが所属する
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プロフィール
柄本プロフィール
柄本 真吾(つかもとしんご)
1981年生まれ、静岡県三島市出身。静岡聖光学院中学・高校を経て、筑波大学第二学群生物資源学類に入学。在学中は、体育会ラグビー部に所属するとともに、花卉・蔬菜研究室にて花の香りを研究する。2003年、株式会社セプテーニへ入社。社内新規ビジネス部署や子会社にて、新規事業の立ち上げを数多く経験。その後、2007年に株式会社ドリコムへ転職し、広告本部部長を歴任。2015年、株式会社メイキップを設立。現在、洋服を買うときにより良いサイズを推奨するレコメンドシステム「unisize」をリリースし、EC業界、アパレル業界から注目を集めている。 株式会社メイキップ HP  https://makip.co.jp/
基本情報
所属:株式会社メイキップ
役職:代表取締役社長
出生年:1981年
血液型:A型
出身地:静岡県三島市
出身高校:静岡聖光学院高校
出身大学:筑波大学
筑波関連
学部:第二学群生物資源学類 1999年入学
研究室:花卉・蔬菜研究室
部活動:ラグビー部
住んでいた場所:一ノ矢
行きつけのお店:純平
プライベート
ニックネーム:しんご
趣味:ガーデニング
特技:人の懐に飛び込むこと
尊敬する人:柳井正、白洲次郎
年間読書数:50冊
心に残った本:人を動かす(カーネギー)
心に残った映画:幸せのちから
好きなマンガ:キングダム、海賊と呼ばれた男、ギャングース、フットボールネーション
好きなスポーツ:ラグビー、フットサル、サッカー
好きな食べ物:寿司
嫌いな食べ物:牡蠣
訪れた国:8ヶ国
大切な習慣:週末の整体、朝風呂
口癖は?:なんで?本当に?
座右の銘
  • 意志あるところに必ず道あり

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