母に連れられ、ダンス教室の門を叩いたのは3歳の頃。踊ることの魅力にとりつかれ、大学までダンス漬けの毎日を送った。卒業後は教員としてダンス部を指導していたが、自分のやりたいことを追求すべく起業。ライフスタイルクリエイターという肩書きで活躍する、友村さんの想いや生き様に触れてみた。
大きく分けて3つあります。ひとつはoffice QREVIAの代表として、自身もモデルとして活動しながらモデルのキャスティングや、プロモーション制作、イベントのディレクション、そしてアートディレクターという形で日本、海外と色んな企業さんのイベント演出や広告、振り付けを手掛けています。
他に主として携わっているのは、株式会社ブライズシーンの専属プロデューサーとしてウエディングフォトや映像のコーディネートを担当、海外で挙式がしたい方へのサポートもしたり。もう1つは、つくば市にある株式会社カスミのブランディングチームの一員として、広告の制作やイベント企画に携わっています。
私の活動を、ひと言で言い表せる肩書きだと思っています。私の生き方やこれまでのダンスの経歴、普段の日常などが全て仕事につながっているので。
時々はダンスのパフォーマーとして、タレントやモデルとして出演する仕事も継続しているので、とても忙しいのですが、自分が5人いると思って毎日を過ごしています(笑)。
それはダンスで培った根性といいますか。ずっと挑戦し続けてきた生活でしたし、ダンスの経験から得たコミュニケーション能力も含めて「できないことはない」という自信があるんです。
それ以外にも、大学時代の先輩の紹介で出会った方々のサポートも大きくて、私のことをうまく引き出して下さったからこそ、今があるという感じですね。
小さい頃からダンスで舞台に立っていたので、自分でお化粧をしたり衣装を作ること、自分自身をどう見せるかについて常に考えていて。そういった幼い頃からの習慣が今の仕事に活きていますし、高校時代や筑波大在学中、作品の創作、舞台制作をしてきた経験が起業のきっかけになっています。
起業に至る前に、大学卒業後は教員として高校ダンス部を指導し、日本一を達成したいという目標を持っていたので、大阪にある帝塚山学院高等学校の教員になりました。
運良く1年目で日本一になることができたのですが、「このまま教員やっていてもダンス以外に教えられることがなく、社会をもっと知らなければ…」と。それで教員を辞めました。
小さい頃から大学までダンス漬けで、ダンス以外のことを全く知らなかったため、後悔なくやりきった気持ちもあり、「次は新たな道を歩き始めたい」と思ったんです。
はい。教員を辞めてからは、ずっと興味があった美容やファッション関係の方にお話を聞きにいって、多くのクリエイティブな現場に立ち合わせてもらい「ダンスじゃない世界でも活躍したい」と意欲が湧きました。それでダンスの経験も生かしながら他の分野で起業することにしました。
起業してすぐにコロナが始まり、それから1年間、本当に暇な時間を過ごしました。仕事ができないなら芸を極めようと、6つ以上の免許や資格を取得し、SNSを使って自分のやりたいことをとことん発信していたら、それをきっかけに企業さんから「あなたのインスタグラムのような感じで、広告を作りたい」とオファーを頂けるようになったんです。
コロナで立ち止まる時間があったからこそ、自分自身としっかり向き合えた、その遊び期間が良かったのかなとも思います。
日本舞踊をやっていた母が、私にも何か踊りをさせたいと思ったようで3歳の頃に、地元・山口県の加藤舞踊学院でモダンバレエを習い始めました。
全国レベルで活躍できるような指導を受けていたので厳しさもありましたが、踊ることが大好きだったので、小学生になってからは週に4回レッスンに通い、ひたすらダンスに取り組んでいましたね。
小学生の頃、初めて親から離れ、コンクール出場のため遠征に行ったことが、忘れられない楽しみと緊張感のある経験でした。
中学3年生のとき、ターニングポイントになった出来事がありました。体育祭で足をケガして、入院。踊ることができない状態で、ふと福岡に住む友人に連絡してみたら、ダンスで全国1位の常連校であった福岡大学付属若葉高等学校のことを教えてくれたんです。
それからインターネットで情報を検索すると、どんどん踊りたい気持ちが強くなって。退院後、ケガが完治していない、歩くのもやっとという状態で体験入学に行きました。
はい。私の熱意をダンス部の先生に伝えたら、「特待生でぜひ」と。これからはダンス漬けの生活になる――、そういう覚悟で地元を離れ、高校の寮に入りました。
数年に一度開催される世界大会があり、私たちが3年生になる時に開催されることが決まっていたので、1年生の時から、まずは日本大会優勝を目指してひたすら練習に取り組みました。
3年ではキャプテンを務め、私の「何でもできる!」という強い精神は高校時代に培われましたし、恩師である松尾京子先生のおかげだと思っています。
アメリカ・テキサス州で行われた世界大会で優勝することができました。パフォーマンスが終わった後、会場の皆さんがスタンディングオベーションをしてくれた時は涙が溢れ、全身に鳥肌が立つほどで……。あれほどの感動は、もう二度と人生で味わうことはないでしょうね。
そして、その実績で筑波大のAC入試に合格しました。
全国の高校と大学が出場する大会が毎年夏にありまして、筑波大は常に優勝を狙う強豪チームで、先輩方の踊りがダントツにカッコイイと思っていたんです。恩師の松尾先生のような教員にも憧れていたので、筑波大ならダンスでも上を目指しつつ教員の勉強もできるだろうと。
私がいた高校から筑波大に進学した人は周りにいなかったので、全て自分1人でAC入試のことを調べるのは大変でしたが、本当に奇跡的に合格できたと思っています。
レポートを30ページぐらい書き、本当に大変でした(笑)。運良く、高校3年の間にダンスノートを書き溜めていたので、日本一、世界一になった時にどうやって作品を作っていったか、その反省や感想を盛り込み、そしてキャプテンとしてチームをどうまとめたかということもプラスして、レポートにまとめました。
そして面接は40分。どんなことが聞かれるのか全く分からないまま臨みましたが、結果は合格でした。
チーム一丸となり、これまで見たことのないオリジナルの表現を追求し、どこの学校よりも練習して、もう後悔はないというところまで追い込んだので、そこに結果がついてきたのではないでしょうか。
他の学年が5、6人だったのに対し、私たちの代は22人もいたので、1つにまとまった時の強さと、22人の保護者の方々のサポートの力も大きかったと思います。
お正月の1日、2日以外は休みなく、毎朝6時から朝練をして、部員とは家族よりも一緒にいたので絆の強さがありましたし、まずは私がキャプテンとしてお手本になれるよう、ダンスの技術はもちろん学校の勉強も手を抜かないことを心がけていました。
筑波大はダンスはもちろん、ダンス以外の分野でも自分の想像をはるかに超えるほど、プロフェッショナルな学生や先生方が集まっているので、すごく刺激を受けましたし、自分をまた奮い立たせることができましたね。
ダンスを通じてフランス人とブラジル人の友達ができたことで、その子たちの外国人コミュニティーに呼んでもらったことも大学ならではの良い経験でした。彼女たちとは現在、私が海外で仕事をする際に通訳をしてもらったり、広告のモデルを務めてもらったり。今でもつながりがあるんですよ。
サッカー日本女子代表の猶本光さんは福岡出身なので身近な存在でしたし、私はチームで世界一になりましたけど、個人の力を発揮して活躍している人が大学にはたくさんいて。
そういう人を目の当たりにすると、私は個人で全国に通用する人間ではないと思い知らされ、もっと個人としての力をつけたいと思うようになりました。
それと、プロフェッショナルな先生方から受けた影響も大きかったです。
ダンスの平山素子先生は歩いているだけでオーラを放っていて存在感がありましたし、剣道部監督の鍋山(隆弘)先生は福岡出身で友人の父が同級生ということもあり、色んなお話を聞いたり、私の悩みを聞いて頂いたり。
プロとして生きている先生たちの格好良さを目の当たりにして、私もこんな素敵な大人になりたいと思うようになりました。
3年次に自分たちで学校外の方に声をかけて会場を借り、協賛を募って公演を作り上げたことです。高校時代にはなかったことなので、とても大変でしたけど、良い経験になりました。
今の仕事で、自分に何が求められ、どう作り上げていくかを考える時のベースになっているのは、その時の経験が大きいです。
まずは趣味的なこととして、バイクでアメリカを横断すること。大型二輪免許を持っているほどバイクが大好きなんです。
もうひとつは、日本の伝統文化を継承していくことです。一級きものアドバイザー資格を取得しており、着付けや生花を通して伝統を受け継ぎ、魅力を発信していきたいです。また、現代と歴史の融合を考え、着物をアップサイクルしたファッションショーを2024年2月21日に東京で開催予定です。ショーのテーマは「Close the Loop」。廃棄予定だった日本の着物、そしてインドネシアのバティックに新たな命を吹き込み、サーキュラーエコノミーを体現します。憧れのパリでも披露できるよう、今仕掛けているところです。また、年内にはSDGsの取り組み活動、研究している筑波大生と一緒にイベントやショーの開催も検討中です。
映像制作やイベントをプロデュースしている立場として、日本だけに留まらず、世界中で人の心に響き、心に残る作品を創っていくことが常にある目標です。新しい発想を生み出すために、自分が知らない世界を知ってアップデートし続けることが大切だと思っています。
ウェディングでは新たにクルーザーのメーカー、ホテルと提携して、海でのオリジナルプランもリリースできることとなりました。自由な発想でお客様の好きを込めたウェディングスタイルを作っていけるよう、オンリーワンを目指していきます。
また、動物が大好きなこともあり、茨城県で「ホースウェディング」というものにも力を入れ、茨城のPRも兼ねたその活動をもっと多くの方に知っていただきたいです。
競馬を引退して殺されてしまう馬たちの保護や、その実態を知ってもらうきっかけとして、新郎新婦さんが馬と一緒に過ごす時間をウェディングという形にしています。馬は幸運を呼ぶといわれていて、馬と触れ合いながら写真や映像を残す「体験型ウェディング」とも言っています。主に茨城県で撮影をしており、その撮影料の一部は馬の餌代や施設に寄付をし、動物の命を守るために使っています。
母はもともと私にダンスか乗馬をさせたかったようですが、結局はダンスの道に進んだという経緯があり、ずっと馬への興味は持っていました。
そして教員後一人で仕事をするようになってから乗馬を始め、競馬引退馬の悲しい実態を知り、何かできることはないか考えていました。そんな中、馬と一緒に私がウェディングモデルとして撮影をする機会があり、その写真を見て同じように馬と写真が撮りたい!と色んな所から連絡をいただいたことをきっかけに、ホースウェディングが誕生します。コロナ渦で馬のことを勉強し、乗馬ライセンス3級の資格も取りました。まだまだ活躍できる馬たちにウェディングに協力してもらうことで、命を救うことにつながればと思っています。
極めることを学べる場。社会に出て、ふと筑波大で出会ったプロフェッショナルな友達や先生の存在、そして彼らから学んだことを思い返し、筑波大での学びを今に活かせていることを実感します。
自分らしさを大切に今できることは、今、チャレンジしてください!
私は日々後悔のないように生きようと、やりたいことは先延ばしせず、すぐ行動することを心がけています。
卒業して8年経って思うこと、筑波大のネームバリューと人脈は宝です!!
所属: | office QREVIA代表 株式会社ブライズシーン・ジャパン |
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役職: | アパレル関連会社 取締役 |
出生年: | 1993年 |
血液型: | A |
出身地: | 山口県山口市 |
出身高校: | 福岡大学付属若葉高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | 舞踊研究室 |
部活動: | ダンス部 |
住んでいた場所: | 春日 |
行きつけのお店: | バンバン |
ニックネーム: | れいな |
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趣味: | バイク・ゴルフ・船・乗馬・生花・ハンドメイド雑貨 サーフィン |
特技: | 動物と仲良くなる |
尊敬する人: | 高校時代の恩師、母 |
年間読書数: | 1 5前後 |
心に残った本: | 夢をかなえるゾウ |
心に残った映画: | ジブリ映画「紅の豚」・「魔女の宅急便」 |
好きなマンガ: | 漫画読んだことがない |
好きなスポーツ: | ゴルフ サーフィン 乗馬 |
好きな食べ物: | オリーブ、ゴールデンキウイ |
嫌いな食べ物: | 牡蠣、アワビ、サザエ |
訪れた国: | 17カ国 |
大切な習慣: | 睡眠時間7〜8時間 物を大切にする 加工食品はできるだけ食べない |
口癖は?: | できる |
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