中学時代、まさかの反則負けに納得がいかず、空手少女は柔道家に。長身を生かし、63㎏級から78㎏級に階級を上げてからは、めきめきと頭角を現していった。筑波大学在学中、ロンドンオリンピックに出場。2回戦敗退という結果を受け、「誰かのためではない。これからは自分のために柔道をやろう」と意識を改めて、今、再び世界に挑もうとしている。
中学から柔道を始めた兄が『帯をギュっとね』という柔道マンガを持っていて、それを何気なく読んでみたことがきっかけです。物語の中で女の子が柔道を始めてどんどん強くなっていく様が描かれていて、「私もやってみたい!」と。女の子でも柔道で強くなれるんだという気持ちでしたね。
小学から空手を習っていて、全国で優勝したこともあります。中学1年で柔道を始めてからは、しばらく空手と柔道を同時進行していましたが夏頃に突然、空手を引退しようと思った出来事があって。
ある空手の試合で、開始3秒で相手の顔にパン!っと拳が入って相手をKOさせてしまい、反則負け。私としては相手に当たらないように引いたつもりだったんですが、相手が救急車で運ばれて……。初めての経験でした。相手には申し訳なかったですけど、自分としては引いたつもりだったから先生に頭ごなしに私に非があると責められたことに、どうしても納得いかなくて。「これ以上、空手を続けられない」と引退することにしました。
当時63キロ級で、中学2年の時に地元・熊本県で優勝。全国大会に出られるようになったので習得は早いほうだと思いますね。初めての全国大会ではすぐに負けてしまいましたが、中学3年では全国3位になり、初めてジュニアの強化選手に選ばれました。
県で一番強い学校に進学しました。それから3年間は寮生活、もう二度と戻りたくない地獄のような生活を送りましたよ。朝は授業の前に1時間練習して、授業が始まるギリギリまで練習をするからシャワーを浴びる間もなく、汗でびしょびしょのまま授業に行くんです。男子は完全に引いてましたね(笑)。
そして、授業が終わったら4時半から練習。夜の10時、11時まで打ち込みや乱取りなど基礎的な練習をずっとして。クタクタになって寮でご飯を食べて、シャワー浴びて寝るという生活が3年間続きました。
身長が高かったので、指導者の勧めもあり、まず高校2年の時に70㎏級に上げましたが結果が出ず。3年で78㎏級になってから結果が出始めて、インターハイで優勝しました。ただ、増量のためにハードな練習後に毎日、丼2杯を食べなければいけないのが本当につらくて……。ご飯が嫌いになった時期もありましたけど、78㎏級になって結果が残せたことを思えば頑張った甲斐があったなと。
インターハイで優勝した後、初めて講道館杯というシニアの大会に出場することができたんですね。そこで、その年の北京オリンピックに出場した中澤さえさんと準決勝で当たって、「失うものは何もない」と思い切りいったら寝技で勝てたんです。ところが、そこで満足してしまったのか、決勝で負けてしまって先生にすごく怒られて。
「このままではいけない。もっと上を目指さなければ」と、世界で戦うことに対して強い意識を持つきっかけになりました。
声をかけて頂いた大学や実業団に見学に行って、総合的に「筑波が良い」と思えたからです。一番大きな理由は、練習相手が男子というところでしたね。それまでは女子の中でしか練習したことがなかったから、それだと自分が一番強くて、どうしても力が余ってしまうんです。筑波大なら男子と練習できる、それに他の大学に比べて理不尽な上下関係がないと感じられたので、思いきり練習ができる環境として筑波大を選びました。
実際に入ってみると、先輩の厳しさはもちろんありつつも先輩後輩がとても仲が良く、思いきり練習ができたので良かったと思います。
自分よりも強い男子と練習できたことで力をつけて、どんどん勢いづいていきました。大学2年で世界選手権に初出場して3位になれた時、「2年後のロンドン(オリンピック)は私しかいない!」と自信を持つようになりました。
世界ランキングで14位以内じゃないとオリンピックには出られないので、そのポイントを稼ぐために世界の大きい大会、小さい大会に出場して優勝したり入賞したり。とにかく試合に出続けて、高いポイントを獲得することが必要最低限の条件になります。
当時は海外遠征から帰ってきたら、日本で合宿、そしてまた海外……といったスケジュールだったので休む暇がなかったです。少しでも休める時があれば全力で休むことを心がけていましたが、学生なので学校の授業にも出なければいけない。今思えば、大学の時は本当に大変でしたね。
オリンピックイヤーの時は大変でした。4月の選抜で代表に決まって、その2日後ぐらいから熊本で1週間の合宿。一度筑波に帰って洗濯をして、次は佐賀に合宿に行って、また筑波に帰って、すぐに北海道の合宿に参加。スペインでの国際合宿にも参加して、帰国して少し調整してからロンドンオリンピックの本番を迎えました。
ロンドンオリンピックの年を振り返ると、自分のやりたいことができなかった反省が残りますね。先生に言われるままに行動をするだけで、自分のためというより先生のために柔道をしていた感覚です。身体的にも精神的にも参ってしまって、あの時は柔道が嫌いになりかけました。ロンドンから帰ってきて1か月は柔道の練習ができないほどでしたから。
男子と違って女子は進路が結構限られてくるので、少ない選択肢の中から今も所属している了徳寺学園にお世話になることにしました。今の監督と面識があったのと、当時は筑波大の先輩がたくさん所属していたんです。福見(友子)さんに佐藤(愛子)さん、男子選手もたくさんいました。
最初の頃は戸惑いがありました。学生時代は時間の制約があったぶん、集中して練習ができる良さがあったんだなと。社会人になると、余った時間で何をするかは自分で考えなければいけませんから、基本的に朝練をして寝るかウェイトトレーニングをして、午後の練習に行く。そういったサイクルに慣れるのに、少し時間がかかりました。
しかも入社一年目に前十字靭帯をケガして、手術。リハビリに専念しなければいけなかったので、練習という練習はできなかったように思います。
そうですね。大学生の時は、オリンピックが終わって気持ちが立て直せないまま大学最後の団体戦に臨んで、身が入っていなかった自分のせいで負けてしまったニガい思い出もあります。このままではいけないと、就職してからは気合いを入れ直したつもりだったんですが、ケガをしてまた低迷……。一度ケガをすると恐怖感を持つようになってしまって、1~2年は思うような練習ができませんでした。
柔道界は下から若い選手がどんどん出てきますから、試合に出続けて、勝ち続けないといけないとは頭で分かっていながら、なかなか体と心が追い付いてこない。かなり厳しい世界だと実感しています。
自分1人で日々の生活に向き合い、自分自身と向き合うことは筑波大で身に付いたように思います。筑波大の練習環境はとにかく自由で、朝練にしても皆でやることはなく自分1人でやらなければいけなかったので、やるもやらぬも自分次第。
今は東京で一人暮らしをしながら柔道を続けていますが、基本的に朝練は自分一人ですから、気分が乗らない日でも「やらなければいけない」と自分を奮い立たせるのは自分しかいません。そういった“自立心”を大学時代に身に付けることができたのは、筑波大に行って良かったことの1つです。
大学の後輩の中には、この子は強くなるだろうと期待していた子が人に依存し、特に女子の場合は男性に依存をして練習を怠けてしまうと、どんどんダメになっていきますから。そういう人をたくさん見てきて、「自立しないと強くなれない」ことを学びましたし、自立心を育てることができたのも、筑波大の自由な環境だからこそ。その環境の中で私は強くなることができて、本当に良かったと思います。
目の前の1年、1年かなと思っています。まずは4月に開催される皇后杯で優勝し、そこからチャンスが広がればまた世界を狙っていきたい。これまではオリンピックにいくことだけを目標にして肩の力が入っていたので、もう少し肩の荷を下ろして、初心に戻って柔道をすることができたら楽しいだろうし、自然と結果もついてくるのではないかと思っています。
実際、最近また柔道が楽しいんですよね。調子もいいですし、「また世界を目指せるかもしれない!」という気持ちも湧いてきています。
自立。
やるも自分、やらぬも自分!
所属: | 了徳寺学園 |
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出生年: | 1990年 |
出身地: | 熊本県宇城市 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | 柔道研究室 |
部活動: | 柔道部 |
住んでいた場所: | 天久保三丁目 |
趣味: | 格闘技 |
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特技: | 水泳 |
年間読書数: | 2冊 |
好きなマンガ: | 帯をギュッとね |
好きなスポーツ: | 格闘技 |
好きな食べ物: | アイスクリーム |
嫌いな食べ物: | ピーマン |
訪れた国: | 約10か国 |
大切な習慣: | 1日1回は汗をかく |
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