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高橋スライダー

押さえつけられている“創造性”を呼び覚ますのが仕事!

Entrepreneur
2016/06/16
インタビュー
  • 25
株式会社創造開発研究所 代表
高橋 誠
(東京教育大学教育学部 1962年入学/筑波大学大学院 1998年入学)

創造性と聞いてもピンとこない人もいるでしょうが、これは誰もが生まれながらに持っている能力。人の創造性を伸ばそうと、子供から大学生へ教育、電通・日本テレビ・日本生命・日産などの社員や行政職員の教育、また誰もが耳にしたことがあるネーミングの開発などで活躍しているのが、高橋誠さんだ。10年後には、多くの職業がロボットに取って代わられるとも言われている時代に、いかに創造性を磨くことが大事かを教えてくれた。

ビッグエッグ、ゆうパックの名づけの親

創造性の教育と研究をされていますが、創造性とは何でしょうか?

人間の能力は大きく2つに分かれます。ひとつは“知能”を使って知識を持つ力。これは学生向けに実施される学力テストなどのように、IQという知能指数で数値化されていますね。もうひとつは、自らの工夫をするなど、知能をどう使いこなすかの“創造力”。創造性テストの結果が良かった子の方が、知能テストの成績の高かった子より、大人になって業績を上げる確率が高いという研究結果が、2010年のニューズウィークに掲載されましたが、とても重要な能力です。

人間には知能と創造力の両方が必要ですが、創造力は社会ではブロックされる傾向があるので、人々の創造力を呼び覚まし、発揮させる創造性の教育に力を入れてきました。

高橋2

具体的にはどんなことをされているのですか?

企業の新入社員研修の例で説明します。通常は上司が一方的に講義で進めるのが多いと思います。しかしほとんど聞いてくれません。そこで“会社案内を作る”をテーマに発想から企画までの進め方、チーム運営の仕方などを1日か2日、私が教えます。あとは新入社員に自分たちで取材させ、発想し、企画案にまとめさせます。このように各自に創造性を発揮させ目的に達成させますが、その過程で新入社員は会社全体のことが分かるようになるといった利点があり、とても効果があります。もちろん中堅社員や管理者への創造性教育も数多く手掛けました。商品開発部門の部長たちを教えたこともあります。

日本テレビでは、“会社の課題”をテーマに、グループ別に課題解決をさせ、最後に社長にプレゼンするという3泊の研修をほとんど全社員対象にしたこともあります。また他社で次代の取締役を選ぶ年間のカリキュラムを実施したこともあります。採用に関してはこれまでに30年以上、多くの企業に採用試験を実施してきました。

そもそも、なぜ創造性という分野に興味を持ったのでしょうか?

高校時代は弁護士になろうと思い、現役の時、私学の法学部を3校に絞り受けたのですが全て落ちました。自分は記憶力が悪いから弁護士には向いていないと気づき、「弁護士に代わる、人に関わる仕事は」と考え、心理学に興味を持ちました。それで1962年に東京教育大学(現・筑波大)に進学し、教育学部で心理学を専攻することにしたのです。

高橋1

どんな学生時代を送りましたか?

大学2年の時、教育大文学部の先輩である伊藤アキラさんに出会いました。彼は卒業後、CMソングの作詞家となり、有名な日立のコマーシャルソング「この木 なんの木」を作った方です。彼が日本独創性協会という創造性の研究会を紹介してくれました。この会は東大、早大、慶大など関東から東海地方の大学生まで200名ぐらいが集まり、熱心に創造性の学習や普及活動をやっていて、私はここで創造性について学ぶようになりました。

それが創造性との出会いなのですね。

はい。この会では米国発のブレイン・ストーミングや日本発のKJ法などの発想法を企業に普及しようと、私も大学生なのにネクタイを締めて企業に教えに行ったりしました。メンバーは毎日学校が終わると集まり、土日も集まって創造性について熱心に研究し、週刊誌まで発行していました。私は3年時に委員長になりました。同時に伊藤アキラさんの紹介で、ラジオのコントやCMソングの作詞も手掛けました。

大学卒業後はCM作家か研究者かどちらか、悩んだのですが、まず創造的な組織を知ろうとの思いで広告会社に就職。人事で採用や社員教育の仕事をしながら、テレビのクイズ番組の問題作成、各種雑誌への寄稿など外部でも仕事をしました。結局3年半いました。

そのあと独立されたのですか?

そうこうするうちやはり創造性の研究者になろうと考え、前々から誘われていたこともあり、産業能率短期大学で専任講師と経営管理研究所研究員として勤務することにしました。その間に、以後長いお付き合いとなる電通と日本テレビがお得意様になり、30歳の時に独立。株式会社創造開発研究所という会社を設立して、今に至ります。

その頃のお仕事で印象に残っているものはありますか?

電通と組んで、たくさんのネーミングの仕事に携わり、ビッグエッグ、かもめ~る、ゆうパックなどを開発しました。ネーミング作業は、従来はコピーライター個人の仕事でしたが、私は社外メンバーも含めて5~6名ほどでネーミングを発想し決定するシステムを作りました。ネーミング開発では一つのネーミングにつき平均500~700の候補を考えます。一番多い発想数はビッグエッグの7000。これはさすがに空前絶後の数ですけれど(笑)。

高橋著書

なぜ、そんなにも候補案を考えるのですか?

商標登録をするのに既存のものと類似はいけないというのが大きな理由です。その他にも、お客様がどのような考えでその商品を開発したのか、ライバル会社はどうかなど色んな要因を配慮すると、最低でも300は候補案を出すことになります。私は“300分の1の法則”と呼んでいますが、最終的にアイディアが採用されるのはそれぐらいの確率です。そのアイディアを発想しまとめる段階で、私が研究してきた創造技法が活用されます。

ネーミングの仕事で何か印象深いものがありますか。

地図に残るネーミングですね。富山県知事を24年間務めた中沖(豊)知事は「富山県を創造の県にする」と創造性に大変関心があり、私も県内の企業や教育委員会、学校で教えるなど、延べ400日以上も富山県に滞在しました。ある時、知事の懐刀で大変お世話になった方が、突然「明日ネーミングの会議があるから出てよ」と言うのです。県内のスキー場の名前を考える審査会があるから、臨時審査員として出席して欲しいと。

気軽に「いいですよ」と答えたのですが、職業病といいますか、すぐに富山県の鳥や草について調べました。すると県の鳥がライチョウ、そしてスキー場は山の谷間にあることが分かりました。そこで審査会でたくさんの候補案について論議した後に「らいちょうバレーという名前はどうですか」と言ってみたら、後日その名前に決定したと知らされました。

なんと、1分の1で採用されたのですね。

こんなことは滅多にありませんが、これは私が長年やってきた仕事で唯一地図に残る名前となりました。地図に小さく名前が載っているのを見ると、いまだに嬉しく思います。

創造性を磨かなければ、ロボットに仕事を
奪われる

第一線で活躍されてお忙しいのに、1998年に筑波大学大学院に進学された理由は?

51歳の時に妻を亡くし、自分の人生を見つめ直す時間を持ちました。そこで「そうだやり残した仕事がある」と、筑波大の夜間の修士コースに進むことにしました。大学を卒業してからもずっとカウンセリング関連の勉強は続けていて、関連する本なども出版しましたが、本格的には学んでいないと心に引っかかるものがあったのです。

大学院の教員たちは学生時代の先輩や後輩です。先輩だった教授から、面接の時に「冷やかし?」なんて言われました(笑)。私は入学生の中では、年齢が最も上のほうでしたが、昼間は仕事、夜間の授業が始まる18時10分に大学に駆けつけるという非常に忙しい2年間を過ごしました。しかし生まれて初めてオールAをいただく、充実した日々でした。

高橋4

修士コースを修了後はどうなさったのですか?

私はこれで大学院での勉強を終えようと思っていたら、当時、東洋大学で教えていたのですがその同僚で、創造性研究の仲間でもある教授から「せっかくマスターを取ったのなら、ドクターも取ったら?」に勧められ、2年間のブランクを経て、東洋大学文学部教育学科の博士課程に進学。3年でドクターを取りました。残念ながら当時、筑波大の夜間コースには博士課程がなかったので、そのまま進学することはできませんでした。

しかし私が学んだ教育や心理の分野は筑波大の仲間ネットワーク力は大変強いので、同じ道を志す先輩や後輩たちとこれからも繋がっていきたいですね。

日本では、博士号を取る人は少ないように思いますが。

欧米では博士号はかなりのステータスですが、日本ではあまり影響力はありません。しかし博士号の取得はその後、大変役に立ちました。以前から日本一の学習塾・栄光ゼミナールでコンサルタントをやっていました。そのオーナーに「教員養成の大学を作るから協力をして欲しい」と頼まれ、文科省との折衝からカリキュラム作り、教授の選任などをし、2006年に日本教育大学院大学を設立しました。そして理事・研究科長・教授になりました。この際、大学院の教員は博士号を持つのが基本ですから、大変役立ったわけです。

栄光ゼミナール、Z会、市進、第一ゼミナールなど学習塾の社長たちとは、これからの新しい教育を考えるということで、“一般社団法人 次代の教育を共に創る会”を創り、理事長になりました。そこでは新学力テストを開発し、4万人の中学生に実施しました。

海外でも講演をされているそうですね。

ある日、韓国の毎日経済新聞社の会長が来日され、韓国で開催する‟ワールド・ナレッジ・フォーラム“という国際会議に招く講師を紹介して欲しいと言われました。その会議は、ビル・ゲイツが基調講演し、サムソンなど韓国の企業関係者が約3000人も出席するような大規模なものです。私もそこで「創造する企業」というテーマで講演をさせていただきましたが、これが後にサムソンが「創造企業」と言い出すきっかけになったと聞きました。

創造性の研究では社会人になってから、創造性研究者の学会“日本創造学会”の創立に当初から参加し、理事長と会長を務め、現在も理事です。世界の創造性研究者とも連携してきました。特にアジアでは韓国だけではなく中国、台湾の研究者と深い交流をし、中国と韓国では創造学会を作る手伝いもしました。

長年、色んなお仕事を手掛けていますが、子供の教育関係ではどんな仕事を?

子供の教育には昔から関心がありいろいろな活動をしました。例えば、読売新聞社の協力のもと全国で“わんぱく発明学校”を主宰しました。例えば富山県を例にすると、小学4・5年生を約100人集めて5人ずつのチームを作り、「雪をテーマにしたテーマパーク」を考えさせます。子供たちはチームごとにアイディアを出し合い、画用紙に具体的なプランを描く、そして綿、割りばし、粘土などでミニパークを創るのです。子供の創造性を伸ばす活動です。

また、日本テレビとJTBそして我社がタッグを組んで、中学、高校、大学の学生を対象にホームステイのプロジェクトも実施しました。毎年約300人、14年実施し、総計5000人を海外に送り出しました。グローバルな意識を持った子供づくりの活動です。日本テレビと組んだ仕事では、東京の子どもを長野などで自然体験をさせる「スクスクスクール」も実施しました。これは私の手を離れても続き、参加者は総計2万人になりました。

高橋3

これまで子供から大人まで創造性の教育をして、何か気付いたことがありますか?

天才と呼ばれる人間は必要ありませんが、一般の人々に創造性教育はとても重要です。全ての人に創造能力があるのですが、多くの人は学校教育や家庭教育など成長過程において「みんなと違うことをしてはいけない」と押さえつけられてきています。小さな子供のうちはまだ豊かな創造性を持っていますが、年を取れば取るほど制約は増え、創造性の発揮がしにくくなってきます。

それをどう開放するかがとても大事です。私が研修時によく実施するのは、「新聞紙の使い道を3分間で考えましょう」などの創造性テストです。今まで何千人の人に実践してきましたが、平均して発想数は6つぐらいです。ところが、「判断しない、大量に自由に出しましょう」など、発想の制約を取ると、発想数は8くらいに増えるのです。制約を外すと、もともと持っている柔軟な発想力がよみがえってくるからです。

創造性を呼び覚ます重要性とは?

昨年、オックスフォード大学と野村総研が、こんな論文を発表しました。今から10年後に、現存している職業のうち702種はロボットに置き換えられる。囲碁の対局にしても、人間はロボットに負けてしまいましたよね。

ロボットは同じ作業を延々と続けられますが、人間はできません。今、ロボットはディ-プラーニングで進化し続けています。人間がロボットに勝つには創造性を磨くしかありません。創造力を磨かなければ人間は間違いなくロボットに仕事を奪われるでしょう。

では最後に、ご自分の今後のビジョンを教えていただけますか?

長年やってきた創造性教育の普及と、創造的な人々の支援を、私が培ってきたネットワークを使ってこれからも広めていきたいと考えています。この年になっても、皆さんから注目していただけて、今でも現役を続けることができているのは、ありがたいことですね。

私は60歳で引退し、趣味である羊グッズのコレクターとして世界を飛び回ろうと思っていました。ところが、亡き妻の7回忌が済んだ後、60歳近くになって再婚したら、2005年には初の子供が生まれました。子供が二十歳になるまで、あと10年間、頑張って働かなければいけませんし、子供と遊ぶことで私自身の創造力が再生しているとも感じています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

創造学は心理学のメインではなく異端の学問です。そんな中、筑波大の王道の心理学の教育を受けられたことは、その異端を支えるという意味で僕にとって大きな支えです。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

東京にある主要大学は入学生の約7割が首都圏出身者で占められています。ところが筑波大には全国から多様な学生が集まってきます。色んな価値観に揉まれて学べる環境としては、筑波大はトップ大学だと思うので、その利点を生かして欲しいですね。

プロフィール
高橋プロフィール
高橋 誠(たかはしまこと)
1943年生まれ、静岡県清水市(現・静岡市)出身。静岡県立清水東高校を卒業後、東京教育大学教育学部に進学し、心理学を専攻する。広告代理店に勤務ののち、産業能率短期大学にて専任講師・経営管理研究所研究員として勤務。1974年に独立し、株式会社創造開発研究所を設立。日本創造学会の創設に参加、理事長、会長を歴任。欧米、アジアの創造性研究者と共同研究を数多く実践。創業当初より、電通、日本テレビで創造性研修を始めて以来、企業戦略・商品開発・マーケティング企画・ネーミング等の企画開発を多数実施。ネーミング実績ではビッグエッグ、ゆうパック、TOSTEM、くるりんポイ等、多数。1998年には筑波大学大学院(修士課程)を修了、続いて2002年には東洋大学大学院(博士課程)を修了し博士号(教育学)を取得。日本教育大学院大学特任教授、一般社団法人 日本起業アイディア実現プロジェクト理事長なども兼任。国内外での活躍は多岐にわたる。
基本情報
所属:株式会社創造開発研究所
役職:代表取締役会長
出生年:1943年
出身地:静岡県静岡市
出身高校:静岡県立清水東高等学校
出身大学:東京教育大学 教育学部心理学科
出身大学院:筑波大学大学院(修士課程) / 東洋大学大学院(博士課程)
所属団体、肩書き等
  • 日本教育大学大学院 特任教授
  • 日本創造学会理事(元理事長・元会長)
  • 経営関連学会協議会 特命理事
  • 一般社団法人日本起業アイディア実現プロジェクト 理事長
  • NPO法人エコリテラシー協会 理事長
筑波関連
学部:東京教育大学教育学部 1962年入学
プライベート
ニックネーム:まことちゃん(昔、そう呼ばれていました)
趣味:羊グッズコレクション、旅
特技:発想すること
尊敬する人:多胡輝(東京未来大学元学長)
年間読書数:約40冊
心に残った本:発想法(川喜田二郎著)
心に残った映画:日本で一番長い日
好きなマンガ:名探偵コナン
好きなスポーツ:サッカー
好きな食べ物:焼肉、ステーキ
嫌いな食べ物:ピーマン
訪れた国:35カ国
大切な習慣:朝6時から新聞と本を読むこと
口癖は?:だじゃれをいう事(笑)

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