2社のベンチャー企業を東証マザーズに上場させた、敏腕経営者。大学時代はバイト、サークル、麻雀に精を出す平凡な青年であったというが、上場という偉業を成し遂げた背景には、大学時代の経験が大きく影響している。自身の「人生の原点」と振り返る、海外でのバックパッカー生活。知らない土地を1人放浪しながら感じた孤独、希望、後悔が、彼を突き動かすエネルギーとなっている。
ベンチャービジネス界で生きている今の私からは想像できないかもしれませんが、高校時代は考古学や歴史に興味がありました。そういった学科が設置されているのが筑波大で、つくば万博に行った時の良いイメージもあったので指定校推薦をとって入学することにしました。
受験前に初めて大学見学に行った時は、「なんだ、この田舎は!?」と驚きましたが(笑)、4年間を通して大好きな場所になりましたね。自然に溢れていて、住むエリアは整備され、バイクがあれば移動も便利。今も第二の故郷のような感覚を持っています。
当時、筑波大の中央図書館は日本有数の素晴らしい図書館だったので、授業よりも図書館でひたすら本を読んでいたことを覚えていますね。あとは筑波サーキットでバイトをしたり、入学前から興味のあったハングライダーもやったりしたんですけど、次第にバイトを優先するようになり、結局はテニスサークルとバイトが中心になりました。
生まれ育った和歌山県を出て一人暮らしを始めて、自分でお金を稼ぎながら、日本全国から集まった仲間たちと時間を過ごす中で、やはり人との出会いは大きな影響を与えてくれるなと感じました。大学4年の時に休学してバックパック1つで放浪の旅に出たのも、パックパッカーだった先輩に刺激を受けたことがきっかけです。あの出会いは、確実に私の人生の転機となりました。
まずは北京に飛んで、シベリア鉄道で当時ソ連だった時代のモスクワまで行きました。そこからレニングラードを経由して北欧に入り、フィンランドを抜けてヨーロッパを南下。エジプト、トルコも見て回りましたよ。ユーレイルパスという、いわゆる青春18きっぷみたいなチケットを持っていたので、経路を決めずにヨーロッパの鉄道を自由に乗り降りしながら半年間、貧乏旅行をしたことで私のベースとなる価値観が固まったと思います。
ほとんど下準備をせず、ガイドブックも持たずに地図とチケットだけあれば何とかなるだろうと日本を飛び出して、旅先では「日本人と群れない」「1日の予算はこれだけ」とルールを課していたので結構大変だったんですね。そんな状況で風邪を引くと、「日本にいたら誰かが助けてくれるし、お金だってバイトすればすぐに稼げる。日本は天国だな」と、身に沁みて感じます。そのような経験を通して、たとえ、どんな失敗をしても日本であれば生きていける自信がつきました。だから、「とにかく自分の好きなことをして生きていこう」という価値観が芽生えたんです。
就職に関しても、放浪の旅に出る前は名の知れた企業に入ることがカッコイイと思っていたけど、旅を通して、「会社の名前なんて関係ない」と考えるようになり、イタリアの上質な革製品やエジプトの安くてお洒落なインテリアを眺めながら「輸入販売のセレクトショップを経営するのもいいな」と想像を膨らませたり。海外で色んなものに触れたことで、自分のやりたいことがどんどん明確になっていきました。
放浪中にやりたいと思うようになった、セレクトショップ事業ができるところと思い、百貨店を3社ほど受けましたが、見事に全滅(笑)。すぐに就活をやめて、英語を修得するためにイギリスに留学しました。
放浪で一番印象に残ったのが、トルコ西部のエフェソスで知り合った国民的歌手の存在でした。その人が経営するペンションに宿泊したことが縁で、イスタンブールで開かれる彼のリサイタルに連れて行ってもらうなど、お酒も飲みながら色んな話をする中で、「もっと英語が喋れたら、もっと深い会話ができたのに」という心残りがあったんですね。英語が喋れないことで、たくさんのチャンスを逃しているなと。そういう思いがあって、イギリスに渡ることにしたんです。
1年間、語学学校に行った後に大学に2年。筑波大を卒業していれば大学の途中で大学院の試験を受けられるので、大学院に飛び級して1年在籍しました。最初の頃は授業で先生が喋っている英語が聞き取れず、筑波大時代とはうってかわってたくさん勉強しましたよ(笑)。
当初の目的であった英語を修得し、大学と大学院でマーケティングについて勉強したことで、英語を使って仕事ができるシンガポールか香港で働きたいという夢を持つようになりました。ところがビザの問題で上手くいかず。大学院の時に卒論の担当教授に「マーケティングコンサルタントに興味がある」と話したら、日本のコンサルティング会社へのインターンを紹介してくれました。そして、帰国後、その株式会社シーアイエーに就職。そこでユニクロ、青山フラワーマーケットなどのコンサルを務めました。
イギリスにいた頃から温めていた「アジアでビジネスがしたい」という気持ちに引き戻されて、アジアンカフェを日本に持ってくるための資金を作ろうと、大学時代の友達に紹介されたベンチャー企業の執行役員に就任しました。30歳の年でした。「3年間で3億円作る」との目標を掲げて必死に働きましたが、ある時テレビ番組で、私のやりたいアジアンカフェのアイディアを話している人がいて、なんだか急に熱が冷めてしまいました。
大変でしたけど、今振り返ると「面白い体験をしたな」という実感がありますね。若い人間が集まって、部活のようにやっていくベンチャーの世界に身を置くことは新鮮でしたし、それまでのコンサルティングのイメージが覆され、自分の生き方の幅を広げてくれた機会となりました。
入社直後にネットバブルがはじけて、2億円調達できるはずだった出資の話が立ち消えた時は大変でした。当時5人しかいなかった人間の中で、唯一基礎的な財務知識のある私がCFOの役割を担うことになりました。素人に毛が生えたようなものですから、専門知識を持つ友人に話を聞いたり、自分で調べたり、自分が何とかするしかないという気持ちで必死にやってました。その中で、どうやって自分に足りないノウハウを持つ人を味方に付けるかという点には気を配りました。そして、上場が決まって「よっしゃー」と喜んだのも束の間、取引所の鐘を鳴らした直後から株価の形成や流動性の拡大などについて電話で証券会社とやりとりしていましたね。上場してからの方が大変なんだと気付きました(笑)。
「人生の原点はバックパッカーの旅だった」と思い、新たな自分探しの旅に出ることにしました。約1か月半でしたが、思い出の地であるロンドンに飛んで、ヨーロッパを回って。ただ、学生時代と違って、人間は年を取ると弱くなるのだなと実感させられました。昔泊まっていた安宿にはもう泊まれなくなっていたんですね。当時は町のインフォメーションセンターに安い宿を紹介してもらっていたけれど、2度目の旅ではインターネットでホテル予約をして、しかも四つ星の良いホテルが直前割引をしていますから、「断然こっちだ」と。弱くなってしまった自分自身に気が付きました(笑)。
まだ、「自分はどういう生き方がしたいんだろう」というところで立ち止まっていたので、すぐには働かず、ニートでした(笑)。本を読んだり、海外の映画やドラマを見倒したり、雀荘に行ったり。でもそんな非生産的な生活を半年間も過ごしていると、だんだんと暇になってくるんですよね。そんな時に、前々から声をかけてもらっていたトレンダーズ株式会社の顧問を務めることに決めました。
2000年の創業以来、女性向けのマーケティングやPRを手掛け、とくにWEBやソーシャルメディアを使ったマーケティングを展開しています。
これまでの経験を通して実感しているのは、上場するとかしないとかはタイミングの問題であって、良い風が吹いてくれば、それに乗るだけということです。ただその前に、赤字を止める、利益を作る、良い社員を揃えて強化するといった体制を整えておくことが肝心。それさえ上手くいけば、あとは「今、これに乗ったらいける」という風を捉えるだけかなと。この時の私の役割としては、上場の手続き、証券会社や東証との交渉、経営全般でいうと、若い役員の育成とリーダー教育をすることに集中していました。
ベンチャーの良い点は、経験が不足していてもチャンスが回ってくることです。例えば私のように財務をやったことのなかった人間でもCFOになれるだとか、大手企業のマーケティングコンサルをいきなり任されたりだとか。実践を通して経験を積むことが何よりも大事で、最初から100点がとれなくてもいい。失敗しながらもなんとかミッションをクリアしていくと、いつの間にか力がついていき、次のステージに進める。若いうちから自分の可能性に挑戦できる機会がベンチャーにはたくさんあると思いますね。
上場をさせた、事業が立ち上がったなどたくさんありますけど、終わってしまえば過去のこと。「あの時は良かった」と振り返ることには興味がない代わりに、若い社員が、ふとした瞬間に成長した姿を見せてくれると、その先にある“未来”を感じて嬉しくなりますね。
放浪の旅に出る前までは、私も平凡な大学生だったと話をすると、「そんなはずない。昔から人とは違っていたはずだ」と、みんな信じてくれません。でも、旅を通して、仕事を通して、ギリギリの状況に追い込まれたことで身についたものがいっぱいあっての今ですから。「ワニがいる川に飛び込めば、泳ぐのも速くなる」という例を挙げて、挑戦する前に諦めてしまわずに思い切って飛び込んでみれば「自分の想像を超える自分の姿に出会えるよ」と、アドバイスをしています。
昨年“Anny magazine”というギフト特化型の新メディアを立ち上げ、今年はインスタグラムの食トレンドを発信するWEBメディア“おうちごはん”を立ち上げるなど、どんどん新しいメディアビジネスが生まれています。これは全部、社内の役員または社員からの起案です。社内でアイディアをプレゼンし合うコンテストを開催したり、それ以外でも、熱意のある人間が若い力と感性をフル活用して、新しい事業を発案したりすることはいつでも大歓迎です。私がやりたいものをやる会社ではなく、彼らの若いエネルギーによって、今、会社がさらなる進化を遂げているところです。
ビジネスで一番大事なのはもちろん情熱ですが、一方で冷静さも必要です。アイディアを生む力はエモーション、パッションから発生し、そのアイディアを具体化するためには、冷静さを持ってどういう戦略が必要かを論理的に考えなければならない。もし発案者のアイディアに論理的な部分が足りなければ、そこをみんなでサポートすることもやっています。
社内では“ユナイテッド タレント”と呼んでいますが、色んな個性や才能、文化を持った人間がいる中で、一番大事な価値観だけは共通して持っていようという目標を掲げています。例えば、アメリカでは出自関係なく成功した人間をリスペクトします。社内でも、色んな考えを持った人間が共存していくこと、そして世の中で必要不可欠な存在となって、お客様やユーザーに「トレンダーズがあって良かった」と思われるような会社になることが私たちの存在意義だと思っています。
昔は私がリードをして目の前のゲームに挑むスタイルでしたが、今、社長として思うのは「社長というのは監督なんだ」ということです。例えば、甲子園に出る目標があったとしたら、私はプレイヤーではなく、選手たちを目標にしている場所へと導く監督です。つまり、ベンチャースピリッツを持って色んな可能性に挑戦できる環境を提供し、どんどん新しいものを世の中に発信していける人間を輩出することが、私の役割だと考えています。
欲しい物はタダではない。それを手に入れるために必要なものを身につけることが大事だけれど、我慢や努力という言葉ではなく、欲しいから夢中で追っかける――そんな生き方ができるようになったのは、筑波大に行ったからだと思います。
自分が好きなことに夢中になること。漫画を読むことでも、音楽でも本でも、とにかく自分の世界観を創ること、これだけは譲れないなという自分のコアを創ること、そうすればいつか自分のやりたいことに辿り着くはずです。
所属: | トレンダーズ株式会社 |
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役職: | 代表取締役社長 |
出生年: | 1970年 |
血液型: | O型 |
出身地: | 和歌山県 |
出身高校: | 清風南海高等学校 |
出身大学: | 筑波大学/ストラスクライド大学 |
出身大学院: | ストラスクライド大学院 |
学部: | 人文学類 |
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研究室: | 西洋史 |
部活動: | テニス(ラブオール)←もうなくなってるそうです |
住んでいた場所: | 春日三丁目 |
行きつけのお店: | らんらん |
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