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松村スライダー

努力した人がちゃんと報われる社会を作りたい

Entrepreneur
2016/07/18
インタビュー
  • 31
株式会社リアセック 代表取締役
松村 直樹
(社会工学類 1982年入学/大学院 1986年入学)

筑波大第三学群に進学後、「自分の強みとは何か?」を模索する日々。悶々とした状況を打破できたのは恩師との出会い、そして大学時代から始めたヨット部での活動だったという。大学4年間、そして大学院で培った新しい価値観はリクルート入社後、キャリア教育事業に携わる中で花開き、独立後は学生のキャリア支援に奔走している。

大学時代、自分の強みを知った

筑波大を目指したきっかけを教えて下さい。

石川県の能美市という田舎で育ち、どうしても都会に出たい一心でした。国立大に絞って東京近郊の大学を調べていたら、当時の国立大学としては珍しく、筑波大学は推薦制度を設けていることを発見。早速先生に頼み込んで推薦をとることに。出身の高校から筑波大を目指す人は、その頃はかなり少なかったと記憶しています。

筑波大に行ってみた感想は?

学びの場と住んでいる場が隣接していることは、他の大学では考えられないほど良い環境だと思います。何かを学びたいと思えば、すぐにキャンパスを使うことができますし、仲間がすぐ近くに住んでいるから密な交友関係が築けます。今は交通の便も良くなって、東京から通っている学生もいるみたいですが、あの筑波の環境でしか培われないものは必ずあると思うので、筑波での生活を楽しんで欲しいと思いますね。

第三学群社会工学類に進んだ理由は?

建築や設計に興味があったので、(都市計画のある)社会工学類に進んだのですが、実際、学部に入ると社会工学とは一体何だろう?と、かなり考えました。経済や経営のように分かりやすい学問ではないので、学部のアイデンティティ(この学部を出て何になるか?)を自分ながらに模索しました。そんな時に読んでいた本を通して、社会工学を「社会で起こっていることを工学的(数量的)に分析、モデル化すること」と定義してみることに。いったん「自分はモデル屋になるんだ」と思って見ると、数理モデルを作ることが、実社会でいろいろ必要とされていることが分かってきました。その中で、自動車や鉄道の交通量を予測することが、道や橋を作る時に役立っていることを知り、都市交通の研究室に入ることにしました。そこで人生の師である黒川洸先生と出会うことになります。

松村6

どんな学びがあったのでしょうか。

今、私が良く使う「Why?(なぜ)」「Because(どうして)」の口癖は、黒川先生の受け売りなのですが、何かを究めたり、突き抜けたりすることは、「なぜ」「どうして」を繰り返すことなのだと教わりました。さらに感銘を受けたのは、先生の“仕事に対する所作”(真摯に仕事に向かう姿勢)です。都市計画の先生は国や都道府県の委員会に入っていて、ほとんど大学にはいないので、大学に帰ってきた夜9時、10時からゼミをやるんですね。そして翌朝にはまた仕事に出かけていく。そうやって身を削りながら一生懸命、学問を学生に徹底させようとしている姿を見て、仕事に向かう所作を示して頂いたように思います。

4年間を通して印象に残っていることは?

若い頃なら誰しも「自分の強みとはなんだろう?」と悩むことがあると思いますが、私が大学院に進む際、黒川先生に書いて頂いた推薦文をこっそり盗み見して見ると、「彼は独創性とオリジナリティがある」という趣旨のことが書かれていました。とても厳しい先生で、それまで褒められたことなんてほとんどなかったので、その一言がとても嬉しかったですし、以来、独創性が私の強みなんだと自信が持てるようになりました。

先生との出会いもそうですし、ヨット部の活動など、筑波大に入ったことがその後の私の人生を決定づけたといっても過言ではないと思います。

松村帆走

ヨット部に在籍していたのですね。

大学に入るまではずっと剣道をしていたので、県内では「そこそこの実力」という多少の自負を持ちつつ道場に見学に行ってみると、筑波大剣道部にはトップレベルの選手が大挙していて、全国屈指の1年生でも全く歯が立たない。「ああ、ここは自分が来る世界じゃない。4年間頑張ったところで試合には出られる可能性はほぼゼロだな」と直感し、入部を諦めました。もし、自分が他の国立大学に入学していたら、恐らく何の迷いもなく剣道部に入部し、今の人生は無かったと思います。ひとつの目的を失って「さあどうしよう」と思っていた時、同郷の先輩に誘われて霞ヶ浦に行くことに。競技用のボートをひいひい言って漕いでいると、すぐ隣を白いヨットがスゥーッと通ったわけです。瞬間「これだ!」と思いました。高校でヨットをやっている人はほとんどいないだろうから、大学から始めても勝てるんじゃないかと思ったのが入部のきっかけです。

硬派な剣道部からヨット部へ。

この転向が自分の性格も変えました。田舎で長らく武道をやっていたせいか、何事も「こうあらねばならない」という頑な考えに囚われがちだったのが、ヨットの影響で開放的な性格になりました。頑なに思い込むこと以上に、考えを柔軟にオープンネスでいることの方がいろいろメリットがあるぞと。これが、後の就職活動にも影響したと思います。

大学院修了後、リクルートに入社していますね。

当時のリクルートでは、就職活動をしている学生を対象に、就活モニターとしてグループインタビューを実施していて、1回につきアルバイト料が5000円くらいもらえました。筑波から東京に行って、他の会社で就活をしつつ、アルバイト代をもらって帰れるのはお得だなと参加していたら、そのうち食事や飲みに誘われるようになりました。これは、リクルート流の採用活動の一環だったようです。

そんな時に出会ったある事業部長は、おそらく40歳を少し過ぎたばかりでしたが、こちらが何も聞いていないのに「こんなこと辞めて、本当は農業やりたいんだよね」と、20歳そこそこの私に本音を打ち明けてきました。組織人として偉くなるには、自分のことはさておいても、会社の成長を一番に考えるものと思い込んでいた私には、年齢を重ねても、まだ自分の夢を(青っぽく)語る人に出会ったことが新鮮で、「リクルートってどんな会社なんだろう。いい年過ぎてこんなことが言える人になれるなら、そんな会社で暫く過ごしてみるのも面白いかもしれない」と興味を持つようになったんです。こんないい加減な考えは、ヨットをやっていなかったら思い浮かばなかったと思います。

リクルートではどんな仕事を?

最初は、新規事業の通信事業部に配属され、2年目からは就職情報誌を扱う部署に異動。いろんな企画を手掛けるなどしばらくは無我夢中で楽しく仕事をしていましたが、91年にバブル景気が終わりを迎えると世の中が冷え始めます。リクルートも社内の事業を整理・統合する必要に迫られ、その企画セクションに配属されることになります。入社5・6年目のことだったと思います。事業統合は人員の削減を意味します(つまりはリストラです)。暫くは、そんな企画をする立場に罪悪感もありましたが、事業整理のタイミングで会社を去った人が、その後の転職先や、独立起業で成功している話を聞くと、世の中にはほんとうに様々な活躍の場や、幸せな働き方があるのだなと実感するようになって来ました。思い返せば、入社のキッカケになった事業部長は、40歳を過ぎてまだ新しいキャリアを築こうと夢を持っていました。翻って「いったい自分は何がしたいのだろう?」「自分は何の為に働くのだろう?」。この仕事を機会に、自分のキャリアについて初めて真剣に考えるようになりました。

松村バブルの最後

学歴フィルターは無くしたほうがいい

その後、やりたいことは見つかったのでしょうか?

会社が発行している求人誌を1枚1枚めくって、気になる言葉を全部書き出してみたら、次第に「オリジナリティを活かして、自分の手で形にしていく作業に拘りたい」、「新しい社会システムの構築に携わりたい」ということが見えてきました。社内でそのニーズに叶うこところがないかと探して見ると、ちょうどアメリカ留学から帰ってきた先輩が「キャリア事業」という新規事業を立ち上げようとしていました。「まだ日本では聞きなれないキャリア形成支援をビジネスに出来れば、それは自分にとってかなりヤリガイのある仕事ではないか」と考え異動を自己申告。結果、そこで、大学で学んだ知識が大いに役立つこととなりました。

大学での学びが、どう活かされたのですか?

都市交通の研究室で修得した統計や多変量解析の知識があったからこそ、R-CAP(リクルート・キャリア・アセスメント・プログラム)という適性テストを開発することができました。「Why?」「Because」を繰り返すことで、合点がいく着地点を見つける。黒川先生から学んだこの姿勢は、新商品の開発にとても役に立っています。そういえば、リクルート時代の上司も同じようなことを言っていました。「商売はグー、チョキ、パー」。ようするに、全てにつじつまが合わないとその商売はうまくいかないということですね。

松村3

キャリア教育事業に携わり、10年後に独立。

43歳の時に仲間と独立し、株式会社リアセックを設立しました。株式会社リクルート・マーケティング・ソリューションズから、R-CAPを中心としたコンテンツを継承する形で拡大し、キャリア教育に関する事業を幅広く行っています。

お客様は大学と高校がメインで、会社の生業は、大きく3つの事業に分かれています。ひとつは、R-CAPなどの適性検査や、PROGという社会に求められる能力を測定するテストの製造・販売。もうひとつは、なかなか大学の先生がカバーできないキャリア支援の授業やワークショップの企画・運営。そして3つめが、調査や分析を基に教育改善を支援するコンサルテーション的な事業です。

独立後は順調ですか?

会社員時代はそこまで深刻に考えなかったこと、例えば収益や資金繰りの問題、仲間との意思疎通やメンバーの成長度合いなど、本当にいろんな問題が起きては消え起きては消え。何事も思い通りにいかないことのほうが多いと感じます。けれど、いつからかそれが面白いなとも感じるようになりました。決して何かを悟ったわけではなく、ヨット部での経験を通して学んだように、思い詰めてもしょうがない、どうしようも無いことを悩むより、自分では想像も出来ないことを受け入れて、多様性を楽しもうとしているかも?(つまりは楽になりたいだけ?!) だからこそですが、リスクを想定して、事前にいくつか手を打っておくことが大事だと考えています。何か悪いことが起きそうだなということは、必ず起きるのが常なので。

やりがいを感じるのは、どんな時ですか?

私の中では、経営者というより“職人”である意識が強いので、R-CAPにしろ、PROGにしろ、ハンドメイドで生み出したものが世の中に出て行って、イメージ通りの効果を出してくれる時が一番嬉しいですね。1人で職人に徹する道もあるかも知れませんが、そこは欲張りで、みんなと喜びを共有したい。これからも次々と共感してくれる人を巻き込みながら、自分自身のやりがいを実現できたらいいなと思っています。

松村4

この記事を読んでいる学生に、キャリア形成で大事なことを指導するとしたら?

何か目標を立てる時に、自分がやりたいことなら目標を立てやすいですが、会社に入ればやりたいことばかりができるわけじゃない。だからといって、やりたくないとか、自分の興味ではないので適当にと言っている限りはパフォーマンスが上がらない。例えやらされ仕事であっても、いかに自分で面白くしていくか、つまり目的化していくかが大事。これを「自己目的的な姿勢」と言います。自分なりに工夫してやってみたら意外と面白かったり、成果が評価されたりして、仕事の幅や能力、思考、興味関心が広がっていく。そういう姿勢を持ち続ければ、偶発的な出来事の連続の中でも、自分のキャリアアンカー(これだと思える仕事)が見つかるハズです。

なるほど。では、今後のビジョンを教えて下さい。

この会社を始めた時からずっと変わっていませんが、「努力した人がちゃんと報われる社会を作りたい」というのが、この仕事をやっている意義だと思っています。大学のキャリア教育にフォーカスしているのもその為です。現在、770を超える大学が日本にはあり、実際あまり有名でない大学も中にはある。けど、どんな大学に行っても頑張ってる学生は必ずいて、「わっ、この子優秀!」って思うことが度々ある。

一方で、企業がどんな視点で学生を見ているか、採用でどんなことをやっているかというと、就職活動を合理的に進めるために、ついつい学校名でフィルター(いわゆる学歴フィルター)をかけてしまう。でも必ずしも、企業側もそれがやりたいと思ってやっているわけでもないんです。だとしたら、もう学歴フィルターをかけることはやめたがほうがいい。
大学側が、もっと企業が望む学生情報を積極的に提供して、その質を保証してあげる。企業はその情報を信じて、もっと公平でオープンな採用活動を行う。そこに我々のPROGや適性検査が機能してくれれば嬉しい。そう思っています。

松村2

あなたの“つくばウェイ”とは?

探求すること、Why、Becauseを繰り返すこと。そしてヨット部に入って身についたオープンマインドの精神と、あまり思い込まずに受け入れることの大切さでしょうか。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

図書館が12時まで使える大学なんてほとんどないですから、大学の近くに住んで、大学のいいところを使い倒して下さい!

松村 直樹さんが所属する
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プロフィール
松村プロフィール
松村 直樹(まつむらなおき)
1963年生まれ、石川県能美市出身。石川県立小松高等学校を卒業後、1982年、筑波大学第三学群社会工学類に入学。在学中はヨット部に在籍。1986年、筑波大学大学院環境科学研究科へ進学し、都市交通を専攻する。1988年、株式会社リクルートへ入社。1997年にはR-CAP(リクルート・キャリア・アセスメント・プログラム)などの開発に携わるなど、キャリア教育の領域で活躍。2006年、株式会社リクルートマネジメントソリューションズよりキャリアアセスメント、キャリア教育事業を継承し、株式会社リアセックを設立、取締役COOに就任。2011年には、同社代表取締役CEOに就任。 株式会社リアセック http://www.riasec.co.jp/
基本情報
所属:株式会社リアセック
役職:代表取締役
出生年:1963年
血液型:B型
出身地:石川県能美市末信
出身高校:石川県立小松高等学校
出身大学:筑波大学第三学群社会工学類
出身大学院:筑波大学大学院環境科学研究科
所属団体、肩書き等
  • 株式会社リアセック 代表取締役
筑波関連
学部:社会工学類
研究室:都市交通研究室
部活動:ヨット部
行きつけのお店:三学の学食の定食屋さん、とうかけん
プライベート
ニックネーム:こぶへい
趣味:ヨット、 微弱な鉄ちゃん傾向
特技:早起き
年間読書数:30冊程度
心に残った本:経済学とは何か、海辺の生活
心に残った映画:バック・トゥ・ザ・フューチャー
好きなマンガ:ワンピース
好きなスポーツ:ラグビー
好きな食べ物:麺類
訪れた国:6カ国
口癖は?:何故? なんで?
座右の銘
  • 恐れず、羨まず、諦めず

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