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スポーツと医療の世界で活躍し続けたい

Sportsperson
2016/10/06
インタビュー
  • 48
理学療法士 / アスレティックトレーナー
岡田 瞳
(体育専門学群 2001年入学)

高校までは全国大会に出場するバスケットボール選手として活躍し、筑波大入学後は主力選手をサポートする立場として優勝を支えた。その経験から“試合に出ていなくても得られる達成感”を実感し、理学療法士の資格を取得すべくドイツへ。異国の地で言葉の壁にぶつかりながらもプロスポーツ現場で実績を積み、帰国後もFIFA U-20女子W杯を機に国際舞台で活躍。理学療法士・アスレティックトレーナーとして第一線を歩む彼女の生き様には、女性ならではの感性が光っている。

理学療法士の資格を得るためドイツに留学

筑波大を目指したきっかけを教えて下さい。

私は茨城県出身ですので、「地元が誇る国立大学」というイメージが強かった筑波大には、幼い頃から漠然と憧れを抱いていました。小学校3年生でバスケットボールを始めて、競技生活の中でご縁のあった指導者や親族の多くが筑波大、あるいは東京教育大の出身者だったということも大きく影響していると思います。バスケだけではなく勉強にも励み、それを活かして社会で活躍されている先輩方の姿に「私もこうなりたい!」と強く思いましたし、彼らを通して“文武両道”の大切さを意識するようになりました。現実的な進路として筑波大を目指したのは本当に自然な流れですね。

早い段階から目指していたのですね。

そうですね。周囲からの影響は大きかったですし、中学生の時に購読していた『月刊バスケットボール』や『バスケットボールマガジン』も現職のきっかけとなりました。そこに掲載されていたコラムを読んでアスレティックトレーナーという職業があることを知り、「これなら選手として引退した後も、ずっとスポーツにかかわれる」と。そういった専門的な学びが得られる筑波大を目指すことに何の迷いもなかったです。

そもそもバスケットボールを始めたきっかけは?

父の影響で半強制的に、ですね(笑)。父は現在、茨城県バスケットボール協会の副会長を務めておりますし、以前は日本バスケットボール協会でも仕事をしておりました。幼い頃から練習や試合に連れ回されていたので、体育館で過ごす時間がとても多かったんです。

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自らの意思で始めたのではなかったにせよ、中学時代は県選抜に選ばれるほどの実力に。

当時、茨城県の中学バスケはとてもレベルが高く、全国大会でも優勝候補の一角と言われるほどでした。選抜メンバーとして出場したジュニアオールスターでも全国制覇を目標に挑みましたが、残念ながら結果はベスト8。ただ、日頃活動していた部活動のチームから離れ、さらに高い目標を持つ他校の仲間とともに全国という舞台にはじめて立った経験は、「もっと広い世界を見たい」という好奇心の源になった気がします。

高校での成績はいかがでしたか?

お誘いをいただいた県外の強豪校に進学することを大反対され、「もうバスケットはしない!」と半ば反抗する形で地元の進学校に進もうと。中途半端には続けたくなかったんですよね。ところが、バスケ部は無名だったその学校に、中学時代のライバル校からたくさんの選手が進学してきまして。私を含めた1年生が主力として試合に出る中で、どんどん強いチームになっていきました。

そして顧問の先生だけではなく、強化のためにより専門的な指導が必要と判断され、外部コーチを招いていただけることになったんです。そして出逢ったのが、石川苑子先生。東京教育大を卒業され、選手としても大活躍された後に青山学院大学、筑波大学勤務を経て現日立ハイテクの監督を女性として初めて務められた先生です。それから県で優勝するまでは、あっという間でしたね。

高校総体茨城県予選会優勝。そしてインターハイ、熊本国体に出場する傍ら、筑波大には一般入試で合格するという文武両道を体現しました。いざ筑波大女子バスケ部に入ってみていかがでしたか?

先輩も同級生も相当レベルが高く、主力選手として活躍するには努力だけではどうにもならないとレベルの差を突き付けられましたね。そのことに気付いてからは、「選手としてAチームに入り、Aチームのユニフォームを着てAチームの公式戦に出場すること」、あるいは「代々木第二体育館のコートにAチームのユニフォームを着て立つこと」というのが最初の目標になりました。そして3年生のときに初めてAチームのメンバーとしてベンチ入りを果たし、実際にコートに立てた時は達成感で一杯でしたね。

ただ、もっと大きくもっと大切な目標がありました。それはやはり、大学日本一。4年生になるときに、「どんな役割でもいいから、チームが日本一になるためなら何でもしたい」という想いがとても強くなりました。そして新しい目標を定めて4年生として最後の1年に賭けた結果、関東リーグとインカレで優勝。自分のことよりも、主力選手をサポートすることを第一に過ごしましたが、「試合に出なくても、これほどまでの達成感が得られるんだ」と実感できた瞬間でした。

最後の1年はどんな改革があったのでしょう?

勝つための最適な環境を整えることを徹底しました。田渕(旧姓)明日香キャプテンのリーダーシップは見事でしたし、強くなるためにはどうしたらいいか4年生では何度も話し合いました。優秀な後輩たちも付いて来てくれました。当たり前のことですが、競技に集中できなければ練習の質も上がりません。伝統と引き継がれた理不尽な決まりごとは撤廃し、先輩も後輩も関係なく「チーム」として結束できなければと。例えば、モップ掛けやボール磨きなどの練習前の準備は上級生が率先して行うようにしました。1年生は朝から夕方まで授業があって、急いで駆けつけても練習開始までには十分な時間がありません。以前は、ウォーミングアップもできないまま練習に合流するというような状況だったんです。しかし上級生は授業数も少なく時間的に余裕がありますから、学年に関係なく協力し合う姿勢を持って、コンディションを大切にし、練習に集中できるような環境を作ることにしました。私自身も、トレーナーとしての勉強は始めたばかりでしたが、空き時間に研究室でペアストレッチやマッサージの練習をして、練習後にそういったサポートを行うようになりました。

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勉強面ではいかがでしたか。

3年生になってからは、スポーツ医学(外科系)研究室で勉強に打ち込んでいました。入る前から厳しい研究室だとは聞いていましたが、朝から0限と言われる勉強会に参加したり、発表の内容が甘いと怒られたり(笑)。シビアな環境でしたし、トレーナーになるための難しさを痛感したため、空き時間はほぼ研究室で勉強するようになりました。深夜0時を回っても研究室で過ごしていましたね。

進路についてはどう考えていましたか?

幼少時代からの夢であるトレーナーの道に進むことを考えていましたが、スポ医に入って、大学を卒業しただけではトレーナーとして活動するのは難しいという現実を思い知らされて。さらに勉強するために大学院に進学するか、鍼灸師や柔道整復師などの養成校に進み医療資格を取るか、アメリカに留学してATCというトレーナーの資格を取るのがいいのではないかと考えました。それはトレーナーを目指す方々が一般的に考える選択肢でもありました。

結果、ドイツに留学されています。

実際にアメリカに見学に行った際、素晴らしい環境に感銘を受けましたが、日本人留学生の多さにもびっくりしました。筑波大を卒業した上で、これから時間とお金をかけて他の人と同じことをして、それを上手く活かすことができるのか、それだけの価値を生み出せるのか、疑問に思ってしまったんです。そして、既存の選択肢にとらわれず、一度リセットして自分に必要なものは何かと考え直しました。視野をさらに広げて調べてみたら、世界的に見るとスポーツ現場で選手のメディカルサポートを行っている職業はトレーナーよりもPT、つまり理学療法士のほうが多いことが分かってきたんですね。

ではスポーツが強くて、医療水準が高い国はどこだろうと調べるうちに「ドイツしかない」と。下見にも行かずに直感で、大学4年の秋にドイツのミュンヘンに渡ることを決めました。

思い描いていた学びは得られましたか?

ドイツ語は馴染みのない言語でしたし、最低でも1年間は語学学校に通わなければ理学療法士の養成校に入るレベルには達しないと言われましたが、語学のみを勉強する毎日に飽きてしまって。少しでも専門的な勉強を始めたいという気持ちから、2つの語学学校を掛け持ちし、空き時間は図書館で勉強。半年で語学力を身に付けて養成校に進みました。

夢に一歩近づきましたね。

でも、そこからが大変でした。医学・専門用語はラテン語で覚えなければいけませんから、例えば「肩甲骨はラテン語でこう言います」と言われても、まずドイツ語で肩甲骨という言葉が分からない。しかも文献は英語で書かれているものがほとんどなので、授業の内容をボイスレコーダーで録音して、ドイツ語、ラテン語、英語を修得する必要がありました。

勉強漬けの日々でしたが、忘れもしない最初の筆記試験で、言葉が分からないばかりに、必要箇所を一生懸命に丸暗記して試験に臨んだら成績が1位になってしまったんですね。ところが次の実技・口頭試験でドイツ語がうまく喋れず、筆記試験でカンニングをしたんじゃないかと疑いをかけられてしまいました。ドイツ語ができないのにその点数はおかしいだろうと。その後の試験からは私だけ身体検査を受けさせられました。とても悔しかったですし、「差別じゃないのか?」と随分落ち込みました。でも、その気持ちを切り替えて「結果を出し続けるしかない。見返すにはそれしかない」と猛勉強し、3年半で国家資格に一発合格。理学療法士の資格を取得することができました。

“目の前の人より元気でいること”がモットー

資格取得後の進路について教えて下さい。

資格は取ったものの社会経験もないまま日本には帰れないと思ったので、職務経験を得るために、地域にブンデスリーガをはじめ強いクラブがあり、スポーツ外来があるベルリン、ミュンヘンなど大都市のクリニックを中心に履歴書を送りました。結果、44のうち43の医療機関に断られ…。というのもドイツで働くための就労ビザを取得するには、まずクリニックと雇用契約を結んだ上でビザを申請し、いつ来るか分からない返事を待たなければいけないんです。ビザが下りる可能性は相当低いですし、理学療法士として就職するには何か特別な事情を除いて、ドイツ人と結婚しない限り不可能と言われるほど難しいことでした。

そんな状況の中、スポーツ=リハ=ベルリンに入職。

学生ビザの有効期限まであとわずかという状況で、諦めて帰国することを現実的に考え始めた時に、スポーツ=リハ=ベルリンから電話がかかってきました。面接しても先があるとは思えず、電話の段階で事情を説明したんです。するとやはりビザの問題で断られてしまったんですが、2日後にまた電話がかかってきて、「とりあえず直接話してみませんか?」と。このチャンスを逃してはいけないと、とっさに「お給料は要らないから実習だけでもさせて下さい!」とお願いをしました。そしていざ実習を始めてみたら、3週間後に上司が「ここで一緒にやろう。ビザの問題は一緒に解決しよう」と言ってくれたんです。同時にアシスタントとして活動していたブンデスリーガのハンドボールチームの監督も協力して下さることになり、クリニック、ハンドボール連盟、弁護士の力強い後ろ盾のおかげで、2度目の申請で何とか就労ビザが発行されました。

それからは常勤として勤務。

月曜から土曜の日中は保険診療を中心に、選手や一般の患者さんに対して治療やリハビリ、トレーニング指導をして、夕方以降や週末はクリニックと業務提携を結んでいる地域のブンデスリーガやアマチュアスポーツのチームサポートをしていました。臨床と現場のどちらも経験できたことは大きかったです。

大変だったことはありますか?

クリニックは指名制、完全予約制で、最初の頃は私だけ予約が埋まらない状況でした。逆の立場に立って想像すると分かることですが、たとえば膝をケガした選手が、流暢とは言い難い言葉しか話せない新卒の外国人にリハビリを任せるのは正直不安ですよね。でも、それはどうしようもことですから、ハンデを埋めるために「時間を厳守する」「どんなに疲れていても笑顔で丁寧に接する」ことを心がけるようにしました。そうしていると予約が少しずつ埋まるようになって。国際舞台で活躍する選手たちのサポートをしたり、クリニックに来ていた選手の紹介で、ブンデスリーガ1部のラグビーチームと専属契約を結んだりと、活躍の場がどんどん広がっていきました。

3年勤務された後、2012年に日本で開催されたU20女子W杯のFIFAメディカルスタッフに名を連ねていますね。

ドイツで働くために必要な理学療法士以外の資格をさらに取得し、ドイツでやるべきことを一通り実現し、日本に帰国するタイミングを探っていた頃、このような大きなチャンスをいただけました。ドイツ語と英語でコミュニケーションを取ることができ、サッカーでの職務経験もあり、ヨーロッパの資格を持つ女性ということで、推薦していただけたみたいです。長年暮らしたドイツを離れるには何か大きなきっかけを必要としていましたし、そんな時に迷わずこれだと思えるチャンスが訪れたことは本当に幸せだったと思います。

突然の退職願にびっくりされましたが、ドイツの上司や同僚からは「帰って来たくなったらいつでも帰って来なさい」と温かい言葉をかけてもらい、ベルリンのクリニックを退職してすぐに帰国しました。

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FIFAメディカルスタッフとしてどんな仕事を?

主な役割は、国際レフェリーのコンディショニングです。大会期間はレフェリーのトレーニング帯同やホテルでのケアを行い、試合の際はスタジアムで緊急時に備えました。国籍の異なるたくさんの関係者と国際大会という場にて、運営側の立場として活動できたことは私の人生においても貴重な財産となりました。

その後もフットサル日本女子代表にトレーナーとして帯同し、選手たちの頑張りにより2013年にはアジア3連覇という素晴らしい瞬間を共有させていただきました。続いて帯同したサッカーU23日本女子選抜でも、招待枠として参戦した東南アジア女子サッカー選手権で優勝。帰国して間もない頃から、こういう現場に立たせていただいたことに感謝するばかりです。日本と海外を行き来する現場での活動のみならず、国内の養成校で講師を務めたり、語学力を活かして通訳や翻訳業も行ったり、専門誌では連載もさせていただいたりと、お仕事は充実していきました。ただ、ドイツで取得した理学療法士の資格を日本の厚生労働省に認めていただくことは本当に難しく大変でしたね。

資格の互換性はないのでしょうか?

アメリカをはじめとした他国での前例はあるようですが、ドイツの理学療法士の資格を特例認定した過去はなかったようで、本当に苦戦しました。追加書類の提出の連続で、一年近くかかりましたね。最近では欧州サッカー人気や日本人選手の活躍の影響もあり、トレーナー志望の日本人がたくさんドイツに渡っているので、私が前例を作れたことで、今後はドイツで学んできた人がもっとスムーズに日本で活躍できるのではないでしょうか。

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現在は山手クリニックで理学療法士として勤務されています。

日本でも理学療法士免許を持つことができたので、引き続き臨床経験も積みたかったですし、周りの選手に何かあった際に対応できる場として医療機関でも働きたかった。山手クリニックにはスポーツ外来がありますし、服部幹彦院長は女子アイスホッケー日本代表のチームドクターをはじめ、様々な競技においてご活躍されており、そういった先生が率いる環境で勤務できることに喜びを感じます。私の場合は出張や遠征帯同のためお休みをいただくことも多いのですが、外部でのスポーツ現場活動も応援して下さるので本当に有り難いですね。非常勤ではありますが、ドイツ時代と同じように選手や患者さんの治療やリハビリ、運動療法を担当し、多くのアスリートの競技復帰をサポートしています。

仕事でのこだわりは何でしょうか?

自分のコンディションにかかわらず、目の前の選手や患者さんには常に元気な姿を見せること。これはドイツ時代からずっと変わっていません。海外遠征に帯同すると激務ですし時差ぼけもありますし、良質な睡眠を取ることは難しい。数週間全くお休みがないということは珍しくありませんが、どんなに疲れていたとしても、目の前の人よりも一番元気な私でいようと心がけるようにしています。

今に活かされている筑波大での学びとは?

タテ、ヨコのつながりが濃密で、仕事をする上でも人生を生きる上でも刺激になる人脈や交友関係が築けたことが今につながっています。たとえ直接つながっていなくても、この『つくばウェイ』や間接的なツールを通して皆さんのご活躍を知るだけで、「私も頑張らなきゃ!」と刺激をもらえる人たちに出逢えたことは一生ものの財産ですね。

今後のビジョンを教えて下さい。

興味や好奇心に従って歩み続けた結果が今なので、これからも目の間の瞬間を楽しみながら“スポーツと医療”というキーワードのもと、この世界から消えずに何らかの形で活動していきたいです。正直、この世界で生き残るのは簡単なことではないと思いますし、特に女性の場合は結婚して出産して一度この世界から離れると、どうしても復帰が難しい。

私は未婚ですが、女性にとって子育てと仕事の両立は大きな課題ですし、また乗り越えなければいけない問題だと思います。状況に応じて今と働き方は変わってしまうかもしれませんが、常に現場には居なくても今までの経験を生かせる場は必ず見つかるし、作ることもできるはず。そう信じて、これからも“スポーツと医療”の世界で生き続けていきたいと思います。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

やる時はやる。本気になったらすごい!ということ。勉強でもスポーツでも、4年生になってからの最後の一年に賭ける思いやそこからの集中力には同じ輪の中にいながらも圧倒されましたし、卒業後に道を見つけたあとの活躍も刺激を受けることばかりです。この実行力は素晴らしいなと。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

人脈も環境も贅沢過ぎるぐらい恵まれていますが、それを生かすも殺すも自分次第。生かそうと思えば無限の可能性が広がっていると思うので、輝く未来のために今を一生懸命に頑張って下さい!

プロフィール
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岡田 瞳(おかだひとみ)
1982年生まれ、茨城県那珂郡出身。小学3年からミニバスを始め、中学2年時に茨城県選抜に選出され、都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会でベスト8に進出する。茨城県立水戸第二高等学校では、インターハイ、国体に出場する。筑波大学に進学し女子バスケットボール部に所属。スポーツ医学研究室に所属し、大学4年時には学生トレーナーとしてもチームを支え、大学4年時のインカレ優勝に貢献する。卒業後、ドイツへ留学し理学療法士の免許を取得。ドイツではスポーツクリニックに勤務しブンデスリーガやナショナルアスリートのコンディショニングに対応する傍ら、ブンデスリーガ(ハンドボール、ラグビーなど)の専属フィジオ(トレーナー)としても活躍。2012年、日本で開催されたサッカーU20女子W杯のFIFAメディカルスタッフとしての任務をきっかけに完全帰国。その後も、様々な競技の国際大会に代表チームのトレーナーとして帯同。現在は、医療法人社団山手クリニックにて理学療法士(2013年に日本の理学療法士資格も取得)として勤務する傍ら、スポーツチームへの帯同、パーソナルトレーナー、翻訳、通訳、執筆、講演活動など、幅広い分野で活躍している。
基本情報
所属:株式会社アレナトーレ / 医療法人社団山手クリニック
役職:理学療法士 / アスレティックトレーナー
出生年:1982年
血液型:A型
出身地:茨城県那珂郡
出身高校:茨城県立水戸第二高等学校
出身大学:筑波大学
筑波関連
学部:体育専門学群 2001年入学
研究室:スポーツ医学研究室(外科系)
部活動:女子バスケットボール部
住んでいた場所:天久保二丁目
行きつけのお店:ココス学園天久保店、じぶんかって二号店
プライベート
ニックネーム:マイ(バスケ部コートネーム)
趣味:語学レッスン、トレーニング、買い物
特技:語学(ドイツ語・英語・ラテン語)、料理
尊敬する人:両親
年間読書数:数十冊
心に残った本:7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)
心に残った映画:『グッバイ、レーニン!』『プラダを着た悪魔』
好きなマンガ:スラムダンク(井上雄彦著)、天は赤い河のほとり(篠原千絵著)
好きなスポーツ:バスケ、フットサル、サッカー
好きな食べ物:スイーツ、焼き鳥
訪れた国:30カ国以上
大切な習慣:半身浴、ストレッチ
口癖は?:大丈夫!
座右の銘
  • 好奇心はいつだって、新しい道を教えてくれる。(ウォルト・ディズニー)

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