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苅部スライダー

独自のトレーニング法を次世代に伝えるべく大学院へ

Sportsperson
2016/08/01
インタビュー
  • 33
法政大学 スポーツ健康学部 教授
苅部 俊二
(筑波大学大学院体育研究科コーチ学専攻 1997年 入学)

法政大学在学中に初めて日本代表に選出され、その後、約10年は日本代表に君臨し続けたトップアスリート。学生時代の部活動として終えようとしていた陸上に本気で向き合うことになったのは、周囲に期待されながらも逃したバルセロナオリンピックがきっかけだった。その後、自身の練習を理論付けるために筑波大大学院へ進学。31歳で現役を引退するまでに2度のオリンピック出場を果たした背景には、どんな歩みがあったのだろう?

バルセロナに行けなかった悔しさが起爆剤に

陸上を始めたきっかけを教えて頂けますか?

幼少時代から足が速かったという理由で、中学時代に始めました。最初は長距離、1500mから始めて、中学時代は特に良い成績を収めることはできませんでしたが、高校進学後、他校の先生に勧められてハードルをやってみたら、2年生のインターハイで、400mハードルで8位に。自分としては興味を持っていなかったハードルでしたが、その先生は生徒をインターハイの上位選手に育てた経験があって、「お前は強くなる。世界的な選手になるかもしれない」と言ってくれたことに背中を押されました。

高校3年生でインターハイ2位となり、推薦で法政大学に進学。

大学はいわゆる体育の大学ではなく、一般の学部がある大学の経済学部を選びました。その理由としては、大学に陸上だけをしに行くのではなく、大学4年間でしっかり勉強をして社会人になるのが目標だったからです。大学時代、ユニバーシアードで初めて日本代表に選ばれて世界大会に出場しましたが、当時はそれほど陸上に対する情熱がなかったので、社会人になってまで陸上を続けようとは思っていませんでしたね。

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ユニバーシアードでは5位という成績を収め、4年生の時には東京で開催された世界陸上に出場しています。

先ほども言ったように、陸上への情熱がなかったので世界陸上にものすごく出たかったわけではなかったのですが、結果としては、出場して私の将来が変わったと思います。その前までは大学4年間で陸上を終えようと、他の学生と同じように就職活動もしていたし、会社訪問もOB訪問もしていました。でも、本当にたまたま東京の世界陸上に出場して、準決勝に進出。その時、オリンピックが見えたんです。

いざ、オリンピックを目指そうと気持ちが切り替わった時に、その環境を富士通さんが与えてくれることになり、社員として入ればオリンピック後に会社員としてそのまま働けるという気持ちでお世話になることにしました。当時は、まさかその後も陸上界にどっぷりになるとは思いもしていませんでしたよ。

オリンピックを目指す覚悟をして、社会人1年目にバルセロナオリンピックが開催されましたが?

これに失敗したことで、ようやく陸上熱に火がつきました。前年の世界陸上で準決勝まで行って、世界の16番に入っている状況で周囲の期待も感じていたし、私自身バルセロナにいけると自信を持っていたからこそ、悔しさも倍増して。次のアトランタまでの4年間は、とにかく練習に明け暮れました。

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どんな練習を実践していましたか?

コーチがいなかったので、何が最善の練習か分からないまま、とにかく走って倒れてといったハードな練習の繰り返し。今思えば、非科学的な練習をたくさんこなしていましたね(笑)。自分の選択とはいえ大学の体育学部で専門的な勉強をしていなかったので、酸素の使い方や乳酸がどうだとかの知識が全くなく、ただ根性というか、動きや感覚を重視したトレーニングでした。

独自のトレーニング法を積み重ね、25歳の時に日本で開催されたアジア大会に優勝。

アトランタに出場するには絶対に勝たなければいけない試合でしたから、この大会で優勝することは当然という高い意識を持って臨みました。オリンピックへの布石だと思っていたので、この優勝に特に思い入れはないですね。

そして念願のオリンピックに。

どんな気持ちでしたか?と、よく聞かれますが、そこに立てた感情は何とも表現し難い。「(オリンピックは)行かないと分からないよ」と言うオリンピック選手が多いのが理解できるほど、4年間、そこだけを目指して死ぬ気で練習をしてきたことで得られた達成感や充実感は想像以上でしたよ。

オリンピック出場の翌年に筑波大学大学院に進学されていますが、その理由は?

アトランタまでの4年間で陸上に対する考え方が変わって来たことが大きな理由です。専門的な知識もなく、コーチを付けずに世界ランクに入ったことで「自分だけでやってきた」という自負もありつつ、このオリジナルのトレーニングを自分だけで終わらせてしまうのは惜しいという気持ちが芽生えて「次の世代に伝える術は何だろう?」と。コーチや指導者になる道を考えるようになりました。

体育の最高峰である筑波大で勉強をすれば、これまで私が実践してきたことに対する科学的根拠が得られるだろうし、いつか指導者になった時、理論を持って学生たちに指導ができるだろうという期待もありました。

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大学院では、どんな学びがありましたか?

400mという種目は、すべてのエネルギー産生機構が含まれていると言っても過言ではない競技で、スピードは必要だけれど有酸素系でもある。生理学の全てを網羅したような種目なのだなと理論的に学ぶことができましたし、自分がこれまでやってきたことは、こういう意味があったのかと知るきっかけになった2年でしたね。逆に、自分がいかに非効率的な練習をしていたかを知る機会にもなりましたが(笑)。

そして、大学院時代に自己ベストが出たのだとか!?

400mハードルと、400m走の外と室内のレースで全てベストが出ています。大学院で学んだことを通して練習がシステム化されたことで、ウェイトトレーニングやドリルの量は減り、質が高くなっていました。結果として速く走れなければ意味がないと考えれば、抑えるべきものが何かが分かってきましたし、このトレーニングをこれだけ実践すれば1カ月後に自分の体がどう仕上がるのかが逆算できるといった具合に、選手としての円熟期に入っていたと思います。

苅部さんのように、トップアスリートが競技と並行してスポーツ理論を学ぶことは必要不可欠でしょうか?

私自身の経験を通しても、やはり感覚だけで競技力を伸ばすのには限界があったので、理論を学ぶことはとても大切だと思います。これはアスリートとしての視点だけで言っているのではなく、日本のスポーツ研究においても、まずはアスリートの感覚ありきで研究することが重要で、なぜなら、その時代の最先端の研究対象になるのはズバ抜けた実力を持ったアスリートだからです。

理想的な形としては、まずはアスリート自身の感覚を大事にしつつ、それに対する根拠を自分自身で実証していくことがベストなのかなと。現役時代、理論に基づいたトレーニングを実践することで有名だった砲丸投げの室伏広治さんも、大学院で学んだ経験があります。トップアスリートが積極的にスポーツ理論を学び、次の世代に理論的に伝えていくことで日本のスポーツ界は進化していくのではないでしょうか。

オリンピック選手は適度に適当

大学院修了後、30歳という年齢で世界陸上に出場し、その翌年にはマイルリレー(1600mリレー)でシドニーオリンピックに出場されていますね。

今でこそ珍しくないですが、当時は30歳で第一線で活躍している選手はほとんどいませんでした。もちろん400mハードルで日本代表を狙ってはいたのですが、為末大選手、山崎一彦選手といった後輩たちの活躍が目覚ましい中、私は足も体もボロボロ。400mハードルの代表になることはできませんでしたが「オリンピックに出る道はリレーしかない」と腹をくくって、選考会に参加。なんとかオリンピックの切符を勝ち取りました。

20歳でユニバーシアード代表に選出されて以降、シドニーに至るまで、約10年に渡る選手生活で日本代表に選出され続けた陸上選手は、そういないと思います。

約10年の間、日本代表に選出されなかったのは、唯一バルセロナだけ。世界陸上5回、アジア大会2回、オリンピックに2回に日本代表として出場できたことを振り返ると、いつも体調万全だったわけではないのですが、代表の選考レースにちゃんと照準を合わせたり、だいたいの世界大会でシーズンベストを出すなど、ピーキングが人よりも得意だったなと。

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ピーキングもそうですが、精神面をコントロールすることが得意なのでしょうか。

メンタルに関してはコントロールというよりも、オリンピックに出るぐらいの選手は、おそらく普通の人とは全く違う思考を持っていると思います。それに気付かされたのは、後に指導者となった時に「頑張って練習をして、負けたら悔しいから頑張らない」、「たくさん練習したぶんだけ、ダメだった時に損だ」という考え方をする学生に出会ったことがきっかけでした。

私の人生でそんな発想を持ったことはなかったので、改めて考えてみると、そういえばオリンピック選手は「失敗したらどうしよう」との考え方をする選手は少ないなと。頑張ったら頑張ったぶんだけ強くなるのは当然で、ケガをしても前向きに、治ったら絶対に強くなると信じている、ある意味、根拠のない自信を持っている選手がほとんどだと気付かされました。

意識して精神面を強くするわけではなく?

こんなことを言うと心理学者に怒られてしまいますが、やはり、もともと根拠のない自信を持っている選手のメンタルは非常に強いです。もちろんトップアスリートも勝った負けたを繰り返し、躁鬱になってしまう人もいますが、基本的に「失敗してもいいや」と開き直っている選手が多いですし、集中力が長く続かなくても、パっと意識を切り替えることができる。良い意味で適当であり、適度に適当みたいな感じですかね(笑)。

なるほど。そしてシドニーオリンピック後に引退し、母校・法政大学の講師に。

大学時代はコーチがいない中、私が考案したメニューをみんなに指導していたので、その経験を買われて陸上部のコーチになりました。いざやってみると、言葉に出来ないような感覚の部分をきちんと言葉で伝える難しさがありましたし、就任当初は私も一緒に動いて選手に理解してもらおうとしていたので、「私はできるのに、何で彼らは出来ないんだろう?」と悩んだことも。それでも、いつも“自分の伝え方が悪い”と思うようにして、いかに適切な言葉で伝えるかを心がけていました。いくら理論が正しくても、相手に伝わらなければ指導者でいる意味がないですから。

指導者として、どう成長していきましたか?

どう教えればいいのかは、選手たちを通して教えられましたね。コーチングは一方通行ではないことを学びましたし、そのうちに自分が指導した学生が結果を出し始めると、指導することが楽しくなっていきました。

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今は大学の監督と並行して、日本陸上競技連盟の短距離の部長を務めています。トップアスリートと大学生への指導法では何か違いがありますか?

トップアスリートを見る時に心がけていることは、あまり言い過ぎないことですね。トップ選手にはコーチがいるので、そのコーチと私が言っていることが違っていてはいけないし、走る方法といった細かいことよりは、選手が最大限の力を発揮するにはどうすればいいかを考えるためにマネージメントする、コーディネートする意識が強いです。

では、学生に対してはいかがでしょう。

大学では自分が責任を持って育てているので、走っているフォームについてなど細かく指導はします。ただ、あまり押し付け過ぎないように、選手1人1人が何をやるべきかは自分自身で考えさせるように促しています。

それと、社会人になっても競技を続ける選手には、「企業に社員として入りなさい」とアドバイスしています。契約社員だと、いつまで経ってもお客さんの立場で他の社員と親しくなることはできません。社員として一緒に仕事をして、ランチを一緒に食べるなど時間を共有してはじめて皆さんと親しくなれるし、応援もして頂けるようになります。私は富士通の勤労課で働いて、陸上部は私だけ、周りは普通の社員さんという中ですごく応援して頂いた良い思い出があるので、学生にも勧めるようにしています。

昨今、中国に押され気味の日本陸上界をどのようにご覧になっていますか?

もっと走力をつけること、技術を高める必要はあると思いますが、そこまで実力の差はないと感じています。桐生祥秀選手、山縣亮太選手、サニブラウン・ハキーム選手など良い選手はたくさんいますから、何かがきっかけで、もっと実力が発揮できるようになると信じています。

では、今後のビジョンを教えて下さい。

私が培った経験と知識を次の世代へ引き継ぐためにも、いつかは指導者の育成をしていかなければと考えています。なぜなら、世界と戦うには常に日本の最先端を選手に提供すべきなので、いつまでも私が指導者として時代遅れなものを教えていては日本の陸上界に発展がありません。もちろん今後もしばらくは指導者としてできる限りのことはやっていくつもりですが、自分自身の引き時を見極めながら、いずれは指導者を育てること、そして潔く、次の世代に立場を譲ることを考えていかなければと思っています。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

自分が得たものを次の世代に伝えていくためにはどうすればいいかと悩んでいた時、筑波大大学院に行ったことで指導者としての道が拓けました。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

4年間で「自分は、これをやった」と胸が張れるものを探して欲しいです。飲み会やアルバイトでは得られない、筑波大だからこそ得られるものは必ずありますし、自分でやりたいことを積極的に学びに行く時間にして欲しいです。

プロフィール
苅部プロフィール
苅部 俊二(かるべしゅんじ)
1969年生まれ、神奈川県出身。横浜市立南高等学校を卒業後、法政大学に進学する。1992年に富士通株式会社に入社。世界陸上に5大会連続で出場しており、オリンピックはアトランタとシドニーの2大会に出場。1997年の世界室内陸上では短距離種目で日本人初のメダリストになる。また、アトランタオリンピックで1走を務めた4×400Mリレーの3分00秒76は現在も残るアジア記録である。1997年には後進の指導のために筑波大学大学院に進学し、引退後の2001年から法政大学陸上競技部の指導にあたる。現在、法政大学スポーツ健康学部の教授として教壇に立つほか、法政大学陸上競技部監督、日本陸上競技連盟の男子短距離部長を務める。               HP http://skarube.blog46.fc2.com
基本情報
所属:法政大学
役職:教授
出生年:1969年
血液型:A型
出身地:神奈川県横浜市
出身高校:横浜市立南高等学校
出身大学:法政大学 経済学部
出身大学院:筑波大学 早稲田大学
筑波関連
研究室:陸上競技研究室
住んでいた場所:春日4丁目
行きつけのお店:ドルフ
プライベート
年間読書数:10冊くらい
好きなスポーツ:サッカー
訪れた国:覚えていません 30か国くらい?

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