元日本代表であった父の背中を追い、プロサッカー選手へと昇りつめた碓井健平選手。筑波大での恩師との出会いがなければ「今の自分はない」と断言するが、プロ7年目の今年は勝負時だと自覚している。選手会長としてチームのためにできること、そして選手としてできることは何かをひたすら考える日々。今、プロであることに満足せず、この先もプロであり続けることは並大抵のことではないのだと思い知らされた、等身大のインタビューをここに始める。
サッカー選手だった父の影響で始めました。当時はまだプロという制度はなかったようですが、父は12年間、日立製作所サッカー部(現・柏レイソル)に所属し、僕が生まれた頃に選手を引退したと聞いています。
はい。僕が2,3歳の頃に父は監督をしていましたので、小さい頃からずっとサッカーボールと触れ合っていた記憶があります。最初はボール遊びから始めて、そのまま競技のほうに進んでいったという感じですね。父からは特にサッカーの指導を受けたり、進路についてアドバイスされることはなかったのですが、父の母校である静岡県立藤枝東高校に進学した時は、やはり喜んでいました。
小学校5,6年生の頃、練習中になんとなく遊び感覚でやってみたら、自分の中ですごく感触が良かったんですね。それを見ていたコーチに「お前は体も大きいことだし、キーパーをやってみなさい」と言われたことがきっかけでキーパーになりました。
中学時代はサッカー留学で、単身静岡に来て東海第一中学(現:東海大翔洋中)に入学しました。そこでは、キーパーとフォワードの両方を任されることもありましたが、両方やっていた経験が今の自分の持ち味になっていると思います。昔に比べると、今のキーパーは足でボールを扱う技術が必要になってきていますから。
中学生・高校生の時に、静岡の県選抜に選ばれました。高校ではインターハイと高校サッカー選手権にレギュラーとして出場しましたが、準々決勝止まりで、満足いく成績を収めることはできませんでしたね。それでも高校サッカー選手権は昔から憧れの舞台でしたから、初めて、満員に近いほどの観客を目の当たりにした時は「すごい所でプレーができるんだ!」と感動したことを今でも覚えています。
何人もJリーガーを輩出しているのと同時に、勉強にも力を入れている大学というと筑波大が一番だなと。小中学生の頃から「いつかプロとして活躍したい」との目標を持ってはいましたが、高校で進路を考える頃になると「サッカー選手を引退してからのキャリアのほうが長いのだから、引退後のことも考えないと」と冷静に自分の人生を見つめるようになっていたんです。幸い、推薦で筑波大に入学することができ、第一志望が叶いました。
大学が決まれば、あとはプロになるための準備です。大学1年からレギュラーで活躍しないとスカウトの目に留まらないだろうと考えて、部活を引退後、大学に入るまではひたすら練習に励んで、すぐにレギュラー入りするための準備をしていました。
僕が入学したのと入れ替わりで良い選手が卒業していったこともあって、1年からレギュラーに選ばれましたが、当時は筑波大のサッカー部がそれほど強い時期ではなく、2年の時には関東大学リーグ1部で残留争いをしていました。
これまでの伝統を守るためにも1部に残らければという状況の中で、残留争いをしていた大学が負けたことで、なんとか残留を決めることができましたが、今後何か大きく変わっていかなければと危機感を抱きましたね。
残留できた直後、3年生になった年に風間八宏さん(現・川崎フロンターレ監督。筑波大在学中に日本代表選出)が監督に就任されて、それから僕もチームも大きく変わったと思います。
僕個人でいうと、初めてレギュラーを外されて悔しい思いをしました。でもその悔しさがあったからこそ絶対にプレーで見返してやろうと、それまであまりしてこなかった、ゴールキーパーとしてやるべきことの整理をし、自分に足りないものは何なのか明確にしました。結果、2カ月後にはレギュラーを奪還。この経験で自信もつきましたし、自分が落ちている時、どうすれば這い上がれるのかという方法を学ぶ機会にもなりました。
レギュラーを外された時、僕の代わりに入ったのは一般入試で入学した同期でした。だからといって人を恨んだり、ねたむのではなく「彼は派手なことはしないけど、忠実にゴールを守っている」と客観的に判断して、では今、自分に足りないものは何か。今、自分ができることは何かと自分自身に向き合うことが、選手としての向上につながるのだと思います。
ポジション的にもゴールキーパーというチーム全体を見ることができる立場であり、練習でも試合でも、チームが明らかに変わっていくのが見て取れましたね。風間さんの“サッカーの本質を追及する”という姿勢に基づいて、僕たちが今まで曖昧にしていた部分や、もっとこだわれる部分をとことん追及するようになったことが、プレーだけでなくサッカーに取り組む姿勢も大きく変えたと思います。
本質とは、例えば1対1の局面で絶対に負けないという考え方です。僕がよく言われたのは「君が全部ボールを止めれば、試合には負けない」ということ。そんなことは当たり前すぎて気にも留めていませんでしたが、たしかに、その当たり前のことができていないから負けてしまうのだなと。
それまでは点を決められてもDFとの連携のせいにしていた部分が多少ありましたが、それからは「僕が全部止めれば試合に負けない。絶対に止めるぞ」と自分自身に矢を向けるようになり、少しずつ結果が出てきたように思います。大学時代の最高成績として、全日本大学サッカー選手権で準優勝を収めることができました。前年度残留争いをしていたチームとは思えない程チームが変わりました。
そうなんです。もうひとつ覚えているのは「大きい試合や小さい試合、練習だからといってモチベーションを変えてはいけない。相手をなめてもいいが、サッカーをなめるな」と言われたことです。
どんな時も“自分が今できる最高のプレーをする”という気づきが今の僕を形成していますし、あの時、風間さんと出会っていなければ僕はプロになれなかったのではないかと思うほど、大きな影響を受けました。
1年目は実力が追いついていなかったので、それほど試合に出られませんでしたし、2年目が始まっても最初は3番手か4番手の位置でした。プロの世界の厳しさを痛感しましたね。
そんな中、大学時代にスタメンを外された時の経験から、再びゴールキーパーに必要なものは?自分に足りないものは?と考えて、トレーニングを地道に行い、いつでも試合に出られる準備をしていました。そして、巡ってきたチャンスをつかむことができて。その試合で活躍したことで2番手に上がり、最終的には1番手になることができました。
今ふと思い浮かぶのは、試合もそうですが、清水エスパルスのサポーターの声援ですね。エスパルスのサポーターは、Jリーグのどのチームよりも熱く応援してくれますし、試合に勝った時にみんなで踊る「勝ちロコ」、あの光景を見ていると「サッカーをやっていて本当に良かった」と幸福感を感じます。
たしかにメンタルが消耗するポジションだと思います。キーパーはチームに4人いても試合に出られるのは1人ですし、ベンチに入れるのも1人。順位変動が起きにくいポジションでもあるので、長く試合に絡めないとモチベーションを維持するのがすごく難しいです。
特に一昨年から昨年にかけて怪我が多かったこともあって、最近は試合に出場する機会が減っています。でも、そこで「悔しい」と思っているだけでは、チームにとっても僕自身にとっても悪影響なので、いかにモチベーションを保つかが課題となっています。
今は「チームに対して何かを与えること」を日々考えて、実践しています。チームへの忠誠心を持ってできることは何か考え行動しようと心がけています。毎日、練習前に「今日はチームのために何をしよう?」、練習が終わった後には「今日はチームのために何ができただろうか」と自問自答です。とにかく考えて実践することが、僕がチームに所属している意味なのではないかと。
チームは生き物とも言いますし、試合に出ていない選手でもチーム内の雰囲気を盛り上げることはできるので、僕ができることをとにかく実践するようにしています。
昨年、選手会長という役職に就くことで、「もっとチームのためにやらなければ」と自分を追い込むことにしました。2013年にジェフユナイテッド市原・千葉に移籍した経験が、今の発想につながっています。
ジェフの選手は、会社に意見を求めるなど積極的に意見交換をしていて、僕が2015年にエスパルスに戻った際、チームがもっと強くなるためには選手とコーチングスタッフ、運営陣なども含めたチーム全体が結束することが、勝利につながるのではないかと感じました。ちょうどエスパルスに選手会長がいませんでしたので、「ぜひ、やらせていただきたい」と直訴しました。
昨年、静岡に心臓移植が必要な子どもいました。静岡を基盤に活動しているチームとして、何か自分たちにもできることはないか?と考えた結果、募金活動をすることにしました。会場に足を運んで下さるサポーターの皆さんにたくさん募金をしていただき、手術に必要な金額が集まり、手術も無事に成功したと聞いています。その活動中で自分たちが協力出来たことは微々たるものでしたが、清水エスパルスというチームが地域に存在する意義を選手たちも考えることができました。サッカーだけやってたらいいんと違うぞ、と。もっと地域の人たちと関わって地域に貢献できるようになって、もっともっと応援されるチームにならなあかんぞ、と。
静岡の街全体の人たちがエスパルスに期待してくれていることを、より実感できましたし、街を歩いていて声をかけられると「チームが愛されている」と感じるようになりました。こんなにいいサポーターがいるクラブはないと思います。ファンの方に見てもらっていると感じられること、激励してもらえることで、皆さんに喜んでもらえるサッカーをしよう、と選手は気が引き締まります。
プロの世界で毎日必死に生きているので、正直、セカンドキャリアについては具体的には考えられていません。プロサッカー選手としてのビジョンは、「才能ある選手に打ち勝っていく選手になりたい」ということですね。というのも自分は才能がない。そんな中で、後天的に身につけられる技術や知識、トレーニングで向上させることができる身体的な部分、で天才たちに打ち勝っていく姿を見せることで、日々の準備や取り組みの積み重ねが報われることを証明したい。そして、最低でも10年間はプロ選手でいたいな、と思っています。というのも、「プロを続けることで見えてくるものがある」と言っている先輩方の話を聞き、何が見えるのだろうかと、それが知りたいです。自分が指導者になった時、必ず活きるのではないかと思っています。
プロになっている人は才能だけでなく、壁にぶち当たった時に自分で考えて乗り越える力を持っている人が多いと感じます。特に、ベテランで30歳を過ぎても現役で活躍している人は、体力やスキルだけでなく頭で考えながらプレーをしていますし、ただサッカーのことだけを考えるのではなく、日常のあらゆることにおいて、じっくりと考えながら取り組んでいる。そういった姿勢を持つ人こそが、プロとして長く活躍できるのではないでしょうか。
そんな先輩方の背中を見ることで学べることはたくさんあります。僕もまずは10年を目指して、これからも地道に歩んでいきたいと思います。
自由な環境の中で、自分を探していく力。学生時代に身につけておくと、先の人生にも役に立つと思います。
瞬間、瞬間を大事に過ごして欲しいですね。思い切り遊んでもいいし、スポーツや勉強に打ち込んでもいい。でも、それができなくて後悔するのも、また人生だと思います。
所属: | 清水エスパルス |
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役職: | GK、選手会長 |
出生年: | 1987年 |
血液型: | A型 |
出身地: | 千葉県 |
出身高校: | 静岡県立藤枝東高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | サッカー方法論研究室 |
部活動: | サッカー |
住んでいた場所: | 春日3丁目 |
行きつけのお店: | まんぷくや、プリムローズ |
ニックネーム: | ケンペー |
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尊敬する人: | 風間八宏 |
年間読書数: | 5〜10冊 |
心に残った本: | ビジョナリーカンパニー、エディージョーンズとの対話コーチングとは「信じること」 |
心に残った映画: | なし |
好きなマンガ: | ハンターハンター |
好きなスポーツ: | サッカー |
好きな食べ物: | 551の豚まん |
嫌いな食べ物: | きゅうり、マヨネーズ |
訪れた国: | スペイン、オランダ、アメリカ、中国、韓国、オーストラリア、マレーシア |
大切な習慣: | 練習前の準備 |
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