「2030年に1,000億円ぶんの価値を提供する会社になる」と、胸を張る水戸氏。さぞ大学時代も充実した日々を過ごしていたのだろうと思いきや、大学での思い出は皆無に等しい。「つまらない」と、ぼやいていた退屈なつくばでの日々。その時代が、どのように今につながっているだろうか。
「2030年に時価総額1,000億ぶんの価値提供をする企業になる」という目標のもとに、2つの事業を展開しています。
まず1つ目はウェブマーケティングの総合コンサルティング会社として、お客様のサービスやプロダクトをウェブで伸ばすためには何が必要か、といった部分をサポートする事業。こちらはメイン事業となっており、世の中に多く存在するweb広告代理店とは一線を画すような、高いクオリティでクライアントへの価値提供にとことんこだわっています。
2つめは、BtoBサービス診断「FitGap」です(https://fitgap.com/jp)。「人間とテクノロジーのギャップを埋める」をパーパスとし、誰もが適切なテクノロジーサービスを選択し、使いこなせる世界を目指しています。
1,000億を稼ぎたいということではなく、
それだけの規模の見合った価値を提供していきたい、その意味合いが強いです。
今後、世の中にとってPIGNUSがなくてはならない存在となるため、具体的な指標を掲げようとしたときに、「時価総額1000億円の企業になる」ことが目標として適切だと判断しました。
コロナショックとこれから訪れるであろう大不況の到来で、社会的選別が起きると予測しています。
顧客に関して価値があるサービスや、世の中的に価値があるサービスを提供しない限り、事業は続いていかないはずなので、短期的にそこに対応しつつ、2030年の逆算で中長期では攻めの姿勢も崩さず動いている、それが現状ですね。
また同時に、今後遅かれ早かれ考えなければならなかった社内の課題やテーマに対しても着手し始めたので、そのあたりはポジティブに捉えています。
そうですね。僕は株式会社セプテーニという会社出身でウェブ広告の運用代理からスタートし、最初はその延長で自身の業務は大きくなり、事業全体も拡大してきました。
しかし将来を見据えた時に、形を変えないと1,000億ぶんの価値提供はできませんから、先ほどお話した、ウェブでお客さんのプロダクトを伸ばすというウェブマーケの事業に変化させているところに、コロナが発生して。
その影響で変化のスピードが速まり、サービスをもっと磨く必要が突発的に発生したので、それに対応しています。
「自分の小さな欲を叶えずして大義は成せない」という気持ちで、一人で独立しました。その小さな欲、つまり売上面で目標を掲げ、1年目で1億2千万円という売上を出し、手に入れられるものはすべて手に入れました。
ただ、いい車に乗って、いい時計をして、広い家に住んでも、そこから得られるものは何もなかったんですよね。
それよりも、たった一人でやっていて無名の会社に任せてくれたお客様と喜怒哀楽を共にしながら本気で価値提供し喜んでいただけたことで、自分の中での価値観が大きく変わりました。今は「社会にとって必要不可欠な存在になること」、これを成し遂げることに100%の意識を注いでいます。
過去の貯金ですね。セプテーニでやったことをそのままやっただけです。個人技としてウェブ広告の運用が得意だったので、得意なことに重点を置くことで結果がついてきました。初年度同様、売上を伸ばすことだけを考えたら、個人で3億円ぐらい稼げる自信があります。
でも今、僕がもらっているのは1人であれば稼げるであろう額の10分の1ほどの役員報酬のみ。お金を稼ぐことを目標にすることには興味がなくて、世の中に価値を提供できる装置というか会社を作るほうに、完全にマインドが向いています。
高校2年で進路を考えた際、親の負担を減らそうと国公立に絞ることにしました。まず目指したのは、筑波大医学部。実家が牛久なので、家から近いというのが理由です。
ところが高校3年の夏の模試でD判定が出て「やばいぞ」と。でも浪人はしたくなかったので、できたばかりの化学部に入ることにしました。
良くも悪くも、刺激がない日常を過ごしましたね。大学の勉強に全く興味が持てなくて、最初の頃はほとんど大学に行かなかったんです。それで大学1年の時に留年が確定したので、大学を辞めようかと考えたこともありました。
色々アルバイトをしていましたが、なかでも大手の家庭教師会社のアルバイトを通して、「これなら自分で会社を立ち上げたほうが自分の糧になるし、お客さんも費用が抑えられる」と思い立ち、2年次に家庭教師会社を立ち上げました。
筑波大生をはじめ、地元のつながりで茨城大の学生に声をかけてアルバイトをしてもらい、生徒は最高で15人から20人ぐらいいたんですよ。
ただ、会社を大きくしたいとは思っていましたけど、2,3年やっていく中で自分の力不足を感じて。「これ以上の会社拡大はしない」と、就職する道を選びました。
やることなかったんで、やっただけです(笑)。社長になりたいとか、大きいことやりたいとは全く思わず、アルバイトの延長のような感覚でした。地元も近く、友人も限定的だったので刺激欲しさに、という感じですかね。
同じ学部である、伊藤文弥(つくばウェイvol.148で紹介)と河瀬航大(つくばウェイvol.89で紹介)からの影響は大きかったですね。文弥は、現つくば市長の五十嵐立青さんのもとで当時インターンをやっていたり、河瀬はビジネスプランコンテストを当時からやっていて。
大学以外で輝く場所があった、というのは僕ら3人の共通点だったかもしれません。その2人を間近で見ていたおかげで僕のマインドも常に刺激を受けていました。
そうですね。僕の場合、大学での生活そのものには刺激を感じませんでしたけど、「つくばから東京に出ていってやる」という気持ちを持った川瀬と、筑波にいたからこそ五十嵐立青さんに出会うことができた、文弥。2人と筑波大で出会ったことが刺激になり、家庭教師会社を立ち上げるきっかけになったと思います。
どうだったかなぁ……、思い出せませんね(笑)。それぐらいの大学生活だったから、その反動としての今があるんだと思います。
新卒で入社したセプテーニはウェブ広告代理店ですが、特に業種を絞っていたわけではないんです。当時、市場的に伸びていた会社と、周りの人が優秀で自分が成長できそうな会社といった視点で会社選びをしました。
最近は「覚悟の度合いと、身の回りの変化の相関」についてよく考えています。
具体的には、フェイズごとに覚悟の対象と度合いが違っていて、会社の一期目は毎日暗闇の中を走りながら、結果は、売上面での目標が達成できて着地。そこから自分の欲望を満たすことに飽きて、「大きな展望を持とう」と、マインドも同時並行で価値提供に向いてきました。
そして、価値提供を大きくしようという志を持つと、出会う相手や入ってくる仕事、入ってくる社員が変わってきます。自分の会社と自分自身が向いている方向に応じたものや人が、自然と集まってくるんです。
それに伴って僕自身の覚悟の度合いが変わり、今では「この目標なしに僕の人生は生きられない」と覚悟が決まって、今は目標を達成しよう、ではなく、「達成できる!」と確信を得られている。
そうするとまた、入ってくるものや人、何もかもが全て変わって、目標の実現に着実に近づいていく――それが「覚悟の度合いと、身の回りの変化の相関」。そんなことを考えながら、10年後の2030年に向けて歩んでいきたいと思っています。
「全部、自分次第」。筑波大は自由な環境なので、自分から動かないと何も起きません。だから自分から動き出すこと。一度動き出しさえすれば、パーツがすごく整っている環境だと思います。
都内の有名大学にいくよりも、逆におすすめ。自分がやるべきことを4年間かけて見つけられる環境ですし、東京のように誘惑が少ないぶん周りに流れることもない。人生を中長期でみると、筑波大を選んで間違いないと思います。
所属: | 株式会社PIGNUS |
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役職: | 代表取締役 |
出生年: | 1988年 |
血液型: | AB型 |
出身地: | 茨城県牛久市 |
出身高校: | 牛久栄進高校 |
出身大学: | 筑波大学理工学群 |
学部: | 理工学群 |
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研究室: | 守橋研究室 |
部活動: | なし |
住んでいた場所: | 牛久市(実家) |
行きつけのお店: | 忘れました |
ニックネーム: | みと、みとさん、しょうへい |
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趣味: | 釣り |
年間読書数: | 30冊 |
心に残った本: | ザ・会社改造 |
好きなマンガ: | サンクチュアリ |
好きなスポーツ: | バスケ |
好きな食べ物: | 肉 |
嫌いな食べ物: | アスパラガス |
訪れた国: | 10か国 |
大切な習慣: | タクシーの中で瞑想 |
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