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幼少時代に芽生えた反骨心、そして予備校講師との出会いが起業の原点

Entrepreneur
2020/07/27
インタビュー
  • 152
株式会社しびっくぱわー代表取締役社長
堀下 恭平
(生命環境学群生物資源学類・2010年入学)

行政コンサルタントとして全国で活躍する一方、卒業後もつくばに拠点を置き、コワーキングスペースを運営。職種こそ違えど、いずれにおいても人と深く交わることを生業とする――その背景には幼少時代の経験、そして「彼女のようになりたい」とまで思わされたキーパーソンがいる。学生起業を経て今に至った、その経緯を聞く。

予備校講師に背中を押され、筑波大一本に

まずは、お仕事について教えて下さい。

行政コンサルティング会社、株式会社しびっくぱわーの代表取締役として全国の行政の計画書を作っています。主に障害福祉計画や介護保険事業計画、地域福祉や子ども子育てなどといった福祉系を中心にした、行政の計画書です。

計画書というのは具体的に?

例えば障害福祉計画を例にとると、国は3年ごとに各市区町村に車いすなどの福祉用具購入のためにどれだけの予算がいるのかなどをまとめた計画書を提出させるのですが、市区町村の担当者は3年経つと他の部署に異動していることが多いので、およそ90%の自治体は計画書の作成を外注するんですね。

大きい都市はUFJ総研や野村総研などが手掛け、地方中核都市では地銀のコンサル部門が作ったり、僕のようなフリーの行政コンサルタントに依頼をしている現状があります。

そういったお仕事があるのですね。

もう1つの仕事は合同会社for hereの共同代表として、2018年からつくばのコワーキングスペース“up Tsukuba”の経営運営をしています。

コワーキングスペースを手掛けたのは、行政コンサルをやりながらも「人を育てたい」という意識が芽生えた2016年、“Tsukuba Place Lab”を設立したのが最初です。
“up Tsukuba”も“Tsukuba Place Lab”もクラウドファンディングで資金を募り、「みんなでつくる、みんなの場」をテーマに、人と人とがつながる場を提供しています。

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起業する前に、会社に所属した経験は?

ありません。学生時代に起業して、連続起業しながら今に至るという感じです。

どんな学生時代だったのでしょうか。そもそも筑波大を目指した経緯は?

高校でやっていた陸上競技を大学でも続けたかったのですが、選手一本でやっていけるとは思っていなかったから、トレーナーや栄養学について学びながら競技もできる筑波大の体育専門学群を目指しました。

陸上以外にもサッカーが得意で、幼稚園から中学までやっていたので体専二種目はOKだろうと。模試は余裕だったし、センター試験も失敗せず、実技も失敗しなかったのに1400点満点中1点足りずに落ちてしまって。

留年している間、競技を1年しなかったら選手としてはダメだろうから、体育を諦めて、興味のあった生物資源学類に切り替えました。

生物資源に興味があったんですね。

はい。筋肉の構造や栄養、スポーツ医学について学びたいなと。そして、その浪人時代に大きな出会いがあったことが、起業につながっています。

どんな出会いだったのですか?

すごく自由人な予備校の先生がいて、講師なのに夏期講習後半になると必ず毎年一人旅に行くんです。「私が皆に教えられることは限られている。人間力を磨かないと私は教えられないから旅にいく」って。

その先生はうちの予備校だけじゃなく、他の塾でも教えている野良の塾講師だったんですけど、生き様がすごくかっこよくて「こういう人になりたい!」と思いました。

何か印象に残っている出来事はありますか。

浪人のセンター試験本番でマークミスして英語が24点しか取れず、軒並みE判定。でも都内の私立大に引っかかっていたから、前期は筑波大を受けて、後期は周囲の勧めもあって、地元の熊本大を受けようかなと思っていたら、その先生に「1年間ちゃんとやってきたんだから諦めるな。最後まで筑波大を目指したらどうか」と言われて。

前期・後期ともに筑波大にすることにして、前期は不合格、後期で面接の点数が良かったことで無事に合格しました。

先生との出会いがなければ筑波大にいっていないですし、起業したのは「先生のような塾講師になりたい。そのために自分で塾を作ろう」と考えるようになったからなんです。

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それは大きな出会いですね。

とはいえ、じゃあどうやって自分で塾を作ろうかと考えながら行動に起こせないまま、もやもやしていた大学1年の終わり。3月11日に東日本大震災が起こりました。

地震の時は一人暮らしのアパートにいて、たまたま倒れた本棚に囲まれたことで軽いケガで済みましたけど、あの瞬間は死を意識して。「今できることを全力でやろう。何か行動を起こさなければ」と、そんな状況で2年の夏に仲間と筑波大を中心にした地域とのコミュニティを作るために動き始めました。

塾からコミュニティ作りに興味が向いたのはなぜでしょう?

震災後、「絆が大事」という世界観の中で、人と人とがつながれる場をつくろうと思ったからです。最終的にカフェなら美味しいコーヒーを中心に人が集まるんじゃないかと、そういった発想で2012年1月14日にカフェをオープンしました。

定食屋さんのあじよしって分かりますか?あじよしが平日夜しか稼働していなかったから、平日の昼と土日にスペースを借りたんです。それが最初の起業体験ですね。

あじよしは筑波大生に馴染みのあるお店。そこにオープンしたんですね。

はい。あじよしのおばあちゃんに怒られていたのも良い思い出です。「散らかってる!」って(笑)。あじよしの配置を覚えるために一時期バイトもしていたんですよ。

カフェに関しては、事業とはいっても学生団体でしたし、人件費や利益を出していなかったから遊びの延長というか、サークル活動みたいな感じでしたけど。

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カフェの運営を通して、印象に残っている出来事は?

1年半カフェに関わっている間に、人を呼び込むためにイベントを企画運営したり、地域の活動をしている人とコラボする中で色んな人との出会いがあり、そのお客さんの1人と一緒に起業しました。

僕より5歳年上で、下妻の駅前商店街を活性化したいという方が手伝ってくれないかと。2012年4月、3年生になった頃から下妻商店街の活性化を最初はボランティアとして始めて。提案した企画が県のコンペで優秀賞を頂き100万円もらえたので、それからお金をもらって仕事として取り組み始めました。

下妻以外にも、水戸や横浜の戸塚区の商店街で地域活性化のイベントなどに取り組んでいるうちに、各地域の市役所とつながってコンサルに入っていったという流れですね。

つくばでの生活を振り返り、今に生きていることは?

大学1年の時に塾で講師としてアルバイトをしていたのですが、先輩とご飯にいくと、必ず先輩が支払いをしてくれたことですね。逆に僕が下の子を連れて行った際には僕が出していた。

それは今の生き方や仕事の仕方に影響していて、コワーキングスペース“Tsukuba Place Lab”にも「恩送り」や「ペイフォワード(互いに無償で提供し合う)」という精神が根付いています。

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自分の葬式をフェスにしたい

浪人時代、予備校の先生に出会ったことが起業家としての大きなターニングポイント。では、物事や人の好き嫌いを判断する“自己”が形成されたのは、いつ頃ですか?

小学校ぐらいですね。親が転勤族で幼稚園は2校、小学校も2校いっているので、それが僕の性格に大きく影響している気がします。

転校生は、新しい場所で常に自分のポジションを明確にしなきゃいけないですから、そのために「クラスの中で一番強い人は誰だろう」と探って、リーダー的存在についていく。そうすればいじめられないと、そういう達観した性格になったのは明らかに転校がきっかけだと思います。

なるほど。

仲良くなっても、また転校しなければいけない……その原体験があるからこそ、今、人との縁を大切にする仕事をしているのかもしれません。今の仕事はかなり深く人と関わり合うことが多いですから。

それと、企業に属したくないという性格は、小学2年の頃の経験が原体験になっています。先生が「写生大会で使う画板を、赤か青か好きなほうに丸を付けて提出して下さい」と言ったので、僕は赤に丸をつけたら、先生が「間違えて丸をしちゃったんでしょ」と。結局、男子が青、女子は赤を使うことに決まったんです。

「裏切られた」――と感じた、その衝撃が大きくて反骨心が芽生えたんですね。それが起業の精神に結びついている気がします。

それは興味深いエピソードですね。では起業後、印象に残る出来事や出会いは?

筑波大国際の卒業生で、今、宇宙ベンチャーの社長をやっている常間地悟さんとの出会いですね。“Tsukuba Place Lab”の物件探しをしていた際、常間地さんは“筑波フューチャーファンディング(TFF)”の拠点を探していて、偶然、僕たちが目をつけた物件が同じだったことが縁で交流が始まりました。

TFFというのは?

TFFは日本初の大学密着型クラウドファンディングサービスで、筑波大生の挑戦を応援するお仕事をやっていて、筑波大の卒業生で運営されている組織です。

常間地さんは、Tsukuba Place Labを立ち上げる際に協賛してくれて、他の協賛企業を紹介して下さり、彼のおかげで続けることができました。僕も“Tsukuba Place Lab”で知り合った筑波大生を常間地さんに紹介するなど、協力することもあり、そういった交流から僕がTFFの理事に就任することになり、今はTFFの本拠地も“Tsukuba Place Lab”に置いています。

憧れる人やロールモデルはあまりいませんけど、彼には純粋にお世話になっているし、大きな影響を与えてもらっている1人ですね。

最後に目の前の目標、または未来の夢を教えて下さい!

先の夢になるんですけど、僕の葬式がフェスになったらいいなと思っています。

フェスですか⁉

はい。そのためには条件がいくつかあって、1つは、まず人に愛されてないといけません。30人のフェスは寂しいから2000人は欲しい。もっというと、1万人いたら超ハッピーですよね。

面白い発想ですね。その他の条件は?

2つめの条件は、100歳まで生きたとして、同世代とだけ交流を持っていたらフェスを開催してはもらえないから、100歳になっても10代の子たちと付き合えるだけの柔軟性と、人間的な魅力を兼ね備えていたいな、と。

「上を敬うと共に新しいものを否定しない」、それを貫いた結果として自分の葬式がフェスになったら…と、そんな気持ちでいます。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

人との出会いを楽しむこと。ご縁を楽しむこと。僕は好き嫌いがはっきりしていて、露骨に顔に出しちゃうんですが、そういうのも含めて人生は豊か。思いきり自分の人生を楽しみたいです。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

迷ったら全部やって欲しいです。僕自身の口ぐせが「いいね、やろう!」なんですけど、やってパンクすることはあるし、色んな人に迷惑をかけてしまいますが、人様に迷惑をかけずに生きることは不可能ですから。迷惑をかけたぶん下に返していく、ペイフォワードができればいいと思っています。そうやって筑波大やまちは出来上がっていると思うから、純粋にやりたいことがあったら、やってみたらいい。やらない後悔は個人的にもしたくないし、皆さんにもして欲しくないと思います。

堀下 恭平さんが所属する
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プロフィール
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堀下 恭平(ほりした きょうへい)
株式会社しびっくぱわー代表取締役社長。 他にも、Tsukuba Place Lab代表、合同会社for here共同代表など、多くの肩書きを持つことからも分かる通り、類まれなる行動力とコミュニケーション能力で幾多のプロジェクトを手掛ける。予備校時代の講師との出会いがターニングポイントとなり筑波大学に入学。 大学時代に参加した事業コンペに参加したことをキッカケに、休学し起業。大学卒業後も起業家として活動するかたわら、総務省「地域力創造アドバイザー」として地域活性化に関わるなど多方面で活躍中。
基本情報
所属:株式会社しびっくぱわー
役職:代表取締役社長
出生年:1990年
血液型:AB型
出身地:熊本県熊本市
出身高校:熊本県立熊本高校
出身大学:筑波大学生命環境学群生物資源学類
所属団体、肩書き等
  • Tsukuba Place Lab 代表
  • 合同会社for here 共同代表
  • up Tsukuba 共同代表
  • 認定NPO法人グリーンバードつくば founder
  • 一般社団法人 筑波フューチャーファンディング 理事
筑波関連
学部:生命環境学群生物資源学類
研究室:自然地域計画研究室 / 国際学ゼミ(田中洋子ゼミ)
部活動:陸上競技部 / 陸上同好会
住んでいた場所:一の矢宿舎24号棟 → 春日4丁目 → 柴崎
行きつけのお店:もっくん珈琲、43ponte
プライベート
ニックネーム:ほりしー
趣味:旅行
特技:マシンガントーク
尊敬する人:浪人時代の生物予備校講師
年間読書数:50冊程度
心に残った本:塩狩峠(三浦綾子)
好きなマンガ:ぐらんぶる(井上堅二)
好きなスポーツ:サッカー、ランニング
好きな食べ物:カレー、ラーメン
訪れた国:30か国
口癖は?:「いいね、やろう!」「いつやる?」
座右の銘
  • 成功するまで続ければ失敗しない

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