高校時代、外国語や異文化に触れる楽しさを知り、日本語教師になる道を探るため人文学類へ。卒業後は国際商社に就職したが、二度の転職を経て「仕事内容に想像がつかなかった」ことに魅力を感じ、コンビ株式会社に就職した。営業、マーケティング、海外でのエピソードを通して、人に愛される人物であることが伺える。2021年1月、代表取締役社長に就任。世界中が不安に包まれ、暗中模索の中、大きく一歩を踏み始めた小堀社長の目指すところとは――。
高校の時、英語に強く惹かれて英会話学校に通っていました。小学校からの野球小僧でしたから、坊主頭で英会話学校に通っていたのは私1人。ほとんどが社会人という環境の中で、オーストリア出身のおじいちゃん先生に英語を教わっていました。
その先生に感銘を受けて、言語を通じて異文化を人に教えることに興味を持ち始めたんです。「先生のようになりたい」と。当時は日本語を海外の人に教える日本語教師という言葉も一般的ではありませんでしたが、人文学類で日本語教育の勉強をしようと考えて、筑波大を目指すことにしました。
大学に入学した年の5月にいわゆる日日が新設されたんです。ここでなら日本語教師になる夢を叶えることができると、二年生で転部しました。
筑波大周辺は全て畑。(笑) 娯楽といえば、ボーリングやダーツ、ビリヤードしかありませんでしたが、友達と朝までビリヤードをするのは、それはそれで楽しかったですよ。つくば万博でアルバイトをしたことも良い思い出です。
外国人留学生を相手に日本語を教える実習で、異文化に接することができて楽しかったですね。外国から来ている教授や研究員のお子さんに日本語を教える家庭教師をして、彼らの言葉も教えてもらうなど有意義な時間を過ごしました。
準硬式野球に所属していました。高校で燃え尽きたので、大学で野球をやるつもりはなかったのですが、友達に誘われて練習に行ったら、いい当たりを連発する私を見て「ぜひ野球部に」と。皆で地方に遠征に行ったり、遠征の途中で熱が出た友達を埼玉の私の実家に泊まらせたり。部活を通して、濃い友達付き合いができたと思います。
特に筑波大は、全国からの色んな人が集まっているので北海道から沖縄までの友達ができる。それが魅力ですよね。
日本語教師に国家資格はなく、アルバイトのような立場でしか教えることができませんでしたから、仕事にするには不安定だなと。
そもそも異文化が好きで、外国人と交わるのが好きでしたから、日本語教師じゃなくても国際商社であれば輸出入や貿易を通じて外国人に触れ合えるのではないかと、当時、穀物の輸入で日本ナンバー1だった株式会社加商(現 豊田通商株式会社)で働くことにしました。
私の担当は玄蕎麦で、輸入したものを日本の製粉会社などに卸していましたが、2年ぐらいで会社を辞めました。
知り合いが外国人向けの日本語教育ベンチャーを立ち上げることになり、同志を募っていたんです。もともとやりたいことでしたから、会社を辞め、外国人留学生への日本語教師や日本語教師養成講座の講師をやりましたが、1年ほどで会社の運営が立ち回らなくなり…。
でもこの経験があったからこそ、日本語教師という夢に対しての悔いはなくなりました。
人材バンクに紹介された中でコンビだけがメーカーだったんです。仕事内容の想像がつかないメーカーのほうが楽しそうだなと。新しいことにチャレンジしようと、コンビに入ることを決めました。
最初は、おもちゃを百貨店などに販売する営業です。先輩が「たくさんの商品を取り扱ってもらうことが大事だ」と言うので、おもちゃ売り場の課長や係長にかけあったら「好きにやっていいよ」と言って下さったので、おもちゃ売り場の商品を全部コンビだけにしました。
その様子を写真に撮り、会社に見せたら「やりすぎだ!」と言われましたが(笑)、売上は当然上がりました。
とにかく店頭現場を回ることです。会社に顔を出すのは週に一度の会議だけ、それ以外の時間は色んな売場でイベントを開催するため、毎日3か所ぐらいに商品の搬入と搬出をし、土日は応援販売に立ち、じゃんけん大会などを開催。ひたすら店頭現場に足を運びました。そうすることで売場の売上が上がり、ご担当者様からの信頼を得ることにつながります。
2年です。会社への要望書に、将来は「マーケティングがやりたいです」と書いてみたら運良くマーケティングを任されることになりました。
商品計画やプロモーション計画の立案・実施などをしていました。これは「映画を作りたい」という今の夢にもつながる衝撃的な経験で、テレビCMはたかが15秒、長くて30秒ですが、この短い中に衣装さん、照明さん、音響さんなどあらゆるプロの職人技が満ち溢れている。例えば商品についた影を照明で調整して、影をなくす。CM音楽を歌う人がいて、その曲を作る作曲家がいる。まさにプロ集団の結晶という感じで感動しました。
はい。その後は、おもちゃの開発をするトイ事業部に5年いました。
コンビはベビー用品のイメージが強いのですが、赤ちゃん期を卒業する1歳半くらいから幼稚園入学前までの幼児向けに、知育玩具「親と子の知育探検シリーズ」を手掛けたことです。
コンビの乳児向けのトイのパッケージは紺色で統一していましたが、知育探検シリーズのパッケージが同じ紺色だと、売場に来たお客様が「赤ちゃん向けのおもちゃだ」と通り過ぎてしまう状況を目にし、箱を差別化して黒と黄色にしようとアイディアを出しました。
経営会議で皆が反対する中、当時の社長が「小堀がそこまで言うなら、やらせてみよう」と言って下さって。私のアイディア通り、これまでとは違うパッケージカラー、そして新しいコンセプトのおもちゃが誕生しました。
「目と手の連動で大脳を鍛えましょう」というコンセプトで出したピアノのおもちゃなどは、ヒットをしました。
もう1つの印象的だった出来事は、あるおもちゃを中国の委託工場で作っていた時のこと。クリスマスまでに納期を間に合わせなければいけないのに、中国側がクリスマスまでには納品できないという。それでは困ると、中国の広州の工場に行ってみると、世界中のマクドナルドの景品を何百万個と作っている最中で、このまま3か月間、製造ラインが止まらないと言うんです。
かたや、うちの商品は3000個。こちらを優先にしてくれるはずはない…と思いながらも、工場の社長と夜、酒を酌み交わしながら「社長、頼むよ!」と。そしたら翌日、コンビのおもちゃのためにラインを作ってくれました。
この経験を通して学んだのは、どこの国の人であろうとも垣根を作らず、こちらの真剣な気持ちを伝えれば、必ず相手に理解されるということ。
これまで仕事やプライベートで世界中を訪れましたが、十代の頃から異文化に興味を持っている私が出した結論は「世界中の人はみんな優しい」ということです。
7年間、香港に拠点を置き、平日は広東省のホテルに滞在してベビーカーを作っている自社工場に通っていました。中国、香港というのは変化や成長が目覚ましい場所で面白かったですよ。
駐在最後の1年は、中国以外の国に工場を建てるため、ベトナム、ラオス、タイなど7か国を視察に行きました。現在、カンボジア工場があるのは、その時のチョイスです。
それぞれの国の首都だけでなく国の奥のほうまで行きましたから、猿岩石の旅のような感じでしたよ(笑)。
特に驚いたのは、ラオスのルアンナムターという町に行った時のこと。生まれて初めて訪れたレストランのない街でした。ホテルも空港もあるのにレストランがないんです。現地で雇った通訳にどうするのか聞くと、その辺の家で食べさせてもらうと言ってドアをトントン、「ご飯を食べさせて」って(笑)。そしたら、いいよと言ってご飯を作ってくれて、お金を取らないんですから。
開発で2,3年。そしてマーケティングで2,3年の間に、広告代理店クリエイティングカンパニーと組んでコンビのブランドソングと3分ほどのムービーを作りました。
映画『アナと雪の女王』に感動して、主題歌『Let It Go』のようなブランドソングを作ればお客様に伝わるはずだと。音楽家に『Let It Go』を超える歌を作って下さいとお願いをして、2015年に完成しました。
例えば2020年に実施した「♯みんなコンビ」キャンペーンを告知する際に、ホームページ等で流しました。
TVコマーシャルもそうですが、良い音楽や映像というのは人の心を揺さぶる効果があるので、コンビというメーカーに愛着を持ってもらえる。そういった趣旨で非常に重要なものだと考えています。
いえ、私が特殊だと思います(笑)。コンビで28年になりますが、やってないことはほとんどありません。一方で「あなたのスペシャリティは何?」と聞かれると困りますね。格好よく言ってしまうと、ゼネラリストなのでしょうが。
現在は営業、マーケティング、開発、ロジスティクスとグローバルを見ていますが、会社に何がやりたいかを聞かれると「全部やりたい」と答え、全てを任せてくれています。やりたいことをやるには、色んなことを経験したり、担当したりしていた方がやりやすい、そう実感しているところです。
目指したことは一度もありませんが、やりたいことを実現していこうとするとそうなっていくんだと感じています。先ほども申しましたが、私の夢は映画製作やディズニーランドのような“コンビランド”を作ること。これを実現するとなると責任を伴った経営判断ということになってきます。
まだシナリオはありませんが、育児を軸にした、人を感動させる映画が作りたいですね。
“自ら感動する会社”にしたいです。人を感動させるには、まず自分たちが感動できる感性を持っていなければいけませんから、弊社に興味がある学生がいましたら、ぜひ“感動できる人”に来て欲しいです。
お客様に向けては、物が満ち溢れていて何でも手に入る時代、感情的な欲求が十分に満たされていない可能性があるので、物やサービスを通じてにはなりますが、お客様の感情的な欲求を満たして上げたいなと。ワクワク、嬉しい――そういった感情を提供したいですね。
映画の『鬼滅の刃』です。この作品は私の中でアナ雪を超えましたね。映画館でずっと涙をこらえていたんですけど、カラスが鳴くシーンで涙腺が崩壊しました。もう一度観に行きたいのですが、もっと泣いてしまうだろうから観に行けないなぁと思っているところです(笑)。
京セラの創業者である稲盛和夫さんの『生き方』という本が心にいつもあります。この本を読むと、自分以外の人のために尽くすことが、働くことに限らず、生きることだと実感させられます。
例えば映画でも何でも、人のために生きる、そんな主人公の姿に心を揺さぶられますよね。なぜなら人間の心には“人のため”という本能が植え付けられているからだと思うんです。それを意識して実践すればより良い人生が送れると思いますし、いい働き方ができるのではないかと思います。
給料を稼ぎたいというのは自分のため、それは嘘ではないんですけど、どこからお金が出ているのかというと、それは商品やサービスを購入してくれるお客様がいるから。どこにフォーカスするかで、仕事のやりがいや生き方が大きく変わってくると思います。
筑波大時代の友人の8割が公務員という環境の中で、私は枠からはみ出していたような気がしますが、あの自由な校風だからこそ色んなことに好奇心を持ち、探求心が芽生えたのだと思います。
変化が激しく先が見えない時代ですけれど、今この瞬間だけを見ているから右往左往してしまうだけで、少し先の未来から今を覗く――そんなイメージを持つだけで、この時代の変化は当たり前、いつも通りの変化だとポジティブに捉えることができます。
最近読んだ『2025年を制覇する破壊的企業』という本では、筆者が予想した2025年の生活が描かれ、ロボットタクシーが走っているなんて今の時代からすると信じられないことですが、2025年頃には当たり前にそういう時代になっている可能性もあります。
そういった具合に未来に視点を置くことで「今だけが特別に大変な時代ではない」と、気楽に考えられるようになるのではないでしょうか。
所属: | コンビ株式会社 |
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役職: | 代表取締役社長 |
出生年: | 1966年 |
血液型: | A型 |
出身地: | 埼玉県 |
出身高校: | 埼玉県立桶川高校 |
出身大学: | 筑波大学 第二学群日本語日本文化学類 |
学部: | 第二学群日本語日本文化学類 |
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部活動: | 準公式野球部 |
住んでいた場所: | 天久保二丁目 |
行きつけのお店: | チムニー、ステーキ宮 |
ニックネーム: | Kei |
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趣味: | 映画鑑賞、旅行 |
特技: | 飲み比べ |
尊敬する人: | 稲盛和夫 |
年間読書数: | 20~30冊 |
心に残った本: | 生き方 |
心に残った映画: | レミゼラブル、タイタニック、アナと雪の女王、鬼滅の刃 |
好きなマンガ: | デスノート |
好きなスポーツ: | 野球、剣道、バドミントン |
好きな食べ物: | ウニ、ステーキ、豚の脳ミソ、蛙鍋、ロングポテト、リンゴ |
嫌いな食べ物: | なし |
訪れた国: | たくさん |
大切な習慣: | 体重計に乗る |
口癖は?: | 何とかなる、大丈夫、オーケー |
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