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サッカー選手の代理人として“一流”になる

Entrepreneur
2018/12/17
インタビュー
  • 120
株式会社イマージェント 代表取締役
馬淵 雄紀
(体育専門学群 2001年入学)

大学時代の先輩や同期が選手としてプロフェッショナルを突き詰める中、「自分はどの分野で一流になれるだろう」と考え抜いた先に、代理人という道が拓かれた。選手1人1人の将来を見据えて契約交渉に臨むという細やかな仕事ぶりは、まさに一流。一体どのような経験が彼を磨き上げたのだろうか。

田嶋幸三さんの話を聞いて、
選手ではないサッカーに関わる道を模索した

筑波大を目指したきっかけを教えて下さい。

2018年ロシアW杯で、日本人主審として唯一ノミネートされビデオアシスタントレフリー(VAR)を務めた佐藤隆治さんの影響です。愛知県立一宮高等学校の先輩で、僕が高校2年、佐藤さんが筑波大4年の時に教育実習に来られて、筑波大でサッカーができることを知り、受けてみようと思いました。

サッカーはいつから始めたのですか?

幼稚園の時に始めて、小学校では地域のサッカースクールに入ったのですが、子どもながらに合わなくてすぐに退会。6年間はサッカーから離れ、友達の影響でミニバスケをしていました。そして中学進学時にまた誘われてサッカー部に入って、それからはサッカー一本です。
小学校5年生の時にJリーグが開幕して、サッカー熱が急激に高まったのがサッカーを再開した理由の1つでしたね。地元の名古屋グランパスよりもヴェルディ川崎(当時)が大好きでした。当時はスター選手が多かったので、試合を観るのは楽しかったですよ。

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プロ選手を目指して、筑波大にいこうと?

そういった気持ちもありましたが、先ほどお話した佐藤さんが教員志望だったので、僕も体育教師を目指していました。体育教師って女子学生にモテるのかなという幻想もありましたし(笑)。

ところが大学で教育課程の授業を受けると、当然といえば当然ですが、実技指導だけをやっていれば済むものではなく、指導案を書くなど地道な作業が多いことを知って、早々に教員の道を選択肢から外しました。

筑波大蹴球部ではどんな立ち位置でしたか?

本気でプロを目指す仲間が身近にいて、実際にプロになった先輩や同期もいる、そんな環境に身を置くと、瞬時に自分の実力は彼らと雲泥の差以上だと思い知らされましたね。特に同期の兵働昭弘(現・清水エスパルス)の活躍を目の当たりにした時は、努力だけでは到達できないような、越えられない壁を感じました。

ボールを持つこと以外で勝てないものかと、昔から自信を持っていた長距離で勝負してみても、彼らは走るのも速いんですよね。1年次で早々に「彼らには、かなわない」という感覚を持ちました。

大学で現実に直面し、教員の道、そしてプロサッカー選手の道を諦めたのですね。

早いうちに気付いて良かったと思いますよ。決定的だったのは、当時、客員教授で現JFA会長の田嶋幸三さんが授業で話してくれたことです。

「ここにいる学生の中からプロ選手になれる人は一握り。自分の今の状況を把握して、プロ選手ではない選択肢を早く考えなさい」。

それを聞いて、その通りだと。それからはサッカーという競技をビジネス的観点から捉え、そのステークホルダーを調べるようになり、今に至ります。

現在のお仕事について教えて下さい。

代理人としてプロサッカー選手の契約交渉や移籍交渉をすることをはじめ、それに基づく契約書を作ったり、チェックしたりしながら、中長期的スパンで選手たちのキャリアプランを考える仕事をしています。

ただ契約のお手伝いをして終わりではなく、選手が二十代、三十代にどういう活躍をしていたいかを聞き取り、かつ客観的に彼らのポテンシャルも鑑みた上で、どういったキャリアが歩めるのかを考えていくつかの選択肢を取り得る契約を作る、いわばコンサルティングのような立場です。

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なぜ代理人になろうと?

大学時代に観た、テレビ番組『ガイアの夜明け』がきっかけです。サッカー選手を海外に売り込む代理人を紹介していて、「僕もこのような仕事がしたい!」と。今でも、その番組の録画をとってあるぐらいのターニングポイントでしたね。

それ以前から、大学の先輩でプロになった方に、「クラブの強化部と新人選手が対等に契約交渉をすることは困難で、なかなか自分の思いを面と向かって話せない」と聞いていたこともあり、そのテレビ番組の内容と相まってサッカー選手の代理人という仕事が具体的に想像できたんだと思います。

「代理人として、選手たちの力になりたい」。そんな風に考えるようになりました。

突然、道が拓けたのですね。

それまでは、プロサッカー選手でなく、体育教師でもなく、サッカーに関わる仕事で自分がやりがいを持ってできることは何があるだろう?と考えあぐねていましたが、「日本においては未発展のサッカー選手の代理人でなら自分も一流になれるかもしれない」と希望を持つようになりました。

紆余曲折を経て筑波大学大学院に進学。そこで筑波大OBで、当時、神戸大学から筑波大学へと移られたばかりの齋藤健司先生のもとで学ぶことになり、ゼミに入るや否や、修士課程修了までに学会発表最低1回という課題を与えられました。
そして、齋藤先生に指示された学会の分科会に足を運ぶと、その回の発表者がField-R法律事務所に所属する弁護士さん(後に前職の上司)でした。

大学時代の経験と出会いが今につながっている

学会での出会いから、就職までの流れを教えて頂けますか。

その事務所はスポーツ法務をメインに取り扱うスポーツ業界では有名な事務所で、サッカーだけでなく、プロ野球やその他のスポーツの諸問題に取り組んでいました。

その学会では、「サッカー選手とプロ野球選手の契約の違い」をテーマにお話しされていて、とても興味深かったので、学会終了後にその先生に、「インターンを取られていますか」と聞きに行ったら「厳しく採用面接するけど、それでもいいなら」と返事を返されました。とりあえず面接だけでもと、一週間後に面接に伺ったところ、即採用していただきました。

修士一年の夏休みに二ヵ月ほどインターンを経験し、終了間際に先生から「引き続き、週一回程度でも」と声をかけて頂いて、アルバイトとして週一くらいでその事務所に通うように。その流れで、就職できたことは運が良かったと思います。

インターンとして、どんなことをされていたのですか?

当時、その先生はプロサッカー選手5名程度の代理業務を請け負っていたので、その選手たちの契約交渉の資料とするための日常的なデータをまとめることが主でした。今でこそ選手のデータに関してはJリーグのHPを見ればこと細かく出てきますが、当時はそこまで詳細なものはデータ販売会社から購入するしかなくて。
自分たちで契約交渉に活かせるようにデータを加工し、まとめておくんです。そしてそれを一つの資料としてその先生が契約交渉を行っていました。

地道な作業でしょうね。

膨大な量のデータを処理していたので、しんどさもありました。が、今の仕事にその経験が活きていると感じるのは、データに向き合っていると、「選手が何歳で、どのカテゴリーに所属し、そこでこれぐらい出場できたら、これぐらいの年棒」といった業界全体における相場観が見えるようになったことです。

しかも、サッカーは野球と違ってデータ化できない部分が多いですから、数値には表れない部分も評価しなければならない、その感覚を養うことも必要です。

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データ化できない部分とは?

例えばサッカーでは自分がボールをもっていなくても、ボールを持っている味方により良いプレーしてもらうために、意図的にオフザボールのときにフリーランニングすることで、ボールホルダーのコースを消しにいっている相手ディフェンスを食いつかせ、味方のためにドリブルスペースやパスコースを空ける動きをすることもあります。
また、キーパーやディフェンスラインの選手はしゃべりも重要な能力で場面に応じた適確なコーチングができるかどうかでリスク回避にかなり影響することもあります。
そういったデータには単純に表れてこない部分とデータに表れてくる部分を掛け合わせて、契約選手の市場価値を的確に認識した上で、契約交渉をする力が我々には求められています。

起業して何年になりますか?

4年目になります。

起業のきっかけとは?

6~7年、実務経験を積んでいたので自分の力を試したいという思いがありました。

それから、2015年に会社を設立。業界は違えど周囲には30歳前に起業している人が多かったので、その起業家の彼らから「30歳過ぎてからの起業では遅いぞ」と背中を押されました。

起業することへの不安はありませんでしたか?

給料をもらっている立場から、いきなり自分1人になるのは怖かったですよ。ただ前職の上司から寛容なご理解をいただき、ちょうど僕が独立するそのタイミングで、FIFAが選手エージェントライセンス制度の廃止を決定し、仲介人制度を導入したため、現在でもFIFAの役員をやっているその上司は、新ルール上選手の仲介業が制限されることとなり、僕がその上司の契約していた選手たちの代理人を引き継ぐことになったんです。

もちろんその選手たちが僕と契約することについて同意するか否かはわかりませんでしたが、結果的に一人残らずついてきてくれると言ってもらえて、独立してもなんとかなるだろうと確信を持ちました。

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現在は何人の選手を請け負っているのですか?

約30人です。その中には大学時代の同期である兵働もいて、今でも公私ともに付き合いが続いています。そして、選手だけでなく、S級ライセンスを持っている監督・コーチの方とも契約しています。

これまで印象深かった出来事は?

僕がエージェントライセンス試験に合格してから初めて契約した選手はJ2のあるクラブを契約満了になったゴールキーパーで、なかなかすぐには次のクラブが決まらなかったんですが、最終的には満了になったクラブよりも規模の大きいJ2クラブとの契約をまとめたことが、僕の原点ですね。
J2でプレーしている選手をJ1に移籍させたことも印象深いです。J2の選手たちは誰しもいつかはJ1でプレーがしたいと思っているので、それを成し遂げられた時は感慨深かったです。
それから、最近の選手は海外移籍が夢物語ではなく身近なものとして感じているので、引退までに一度だけでもヨーロッパでプレーしたいと言っていたJ1の選手のオランダ移籍を完結させたことはすごく嬉しかったです。

それほど難しいことなのですか?

移籍は、選手の実力が飛びぬけている場合は別として、そうでない場合はタイミングが重要なんです。刻一刻と変化する市場の流れを敏感に感じる必要があります。
例えば、あるJ1のクラブの左サイドバックが別のクラブからオファーがかかりそうだとの情報を聞けば、そのクラブの強化部長に電話をかけて、弊社で契約している選手が、いかにそのクラブのスタイルに適合し、条件的にもマッチするかというセールスをします。そんな感じで、移籍に至るまでの種を蒔くタイミングを図ることがとても重要。その結果、移籍が決まった時は選手も喜んでいましたし、私自身もやりがいを感じる瞬間です。

筑波大での経験が、今に活きていると感じることはありますか?

もちろん、あります。とにかくサッカーに関連する仕事に就きたいと強く思ったのは、2年次に22年ぶりにインカレ優勝し、3年次にインカレ二連覇、4年次には関東リーグ優勝と、筑波大蹴球部が強い時代をトップレベルの仲間たちと過ごし、サッカーの面白さと奥深さに魅了されたからこそです。

また、大学時代から大学院時代にかけて4、5年間、JFAにがっつりと関わらせてもらったことも今につながっています。

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JFAでどのようなことをしていたのですか?

まず、代表チームのテクニカルスタッフとして対戦相手のスカウティングをしたり、ミーティングビデオを作ったりしていました。
現日本代表監督の森保さんとも当時のアンダーカテゴリーの代表チームでご一緒させていただいていたんです。森保さんが広島の監督をされている時に、代理人と監督という立場で久しぶりにお会いして、森保さんから「お互いに立場が変わったな。」と突っ込んでいただきました(笑)
指導者養成に深く関わらせてもらいました。カリキュラムの作成に携わったり、C級からS級までの講習会のマネジメントにも携わったりと色々とさせていただきました。
当時の受講者の方々の中には、現在のJリーグの監督、コーチ、強化部長など第一線で活躍されている方も多くいらっしゃいます。
JFAでの活動によって多面的にサッカーについて勉強することができましたし、今の仕事に繋がっています。

それは筑波大ならではの経験と出会いですね。

そうですね。このような機会がもたらされたのは、筑波大という自分が望みさえすれば様々な経験ができるという恵まれた環境で、何事にも積極的に取り組んだからこそだと実感しています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

興味があることは、とりあえずやってみること。食べ物に関しては食わず嫌いが多いのですが、興味のあることに関してはとにかくやってみる。そういった精神が身に付きました。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

自分が望みさえすれば、大学にいながらにしてOB関係者を含めスポーツ界のコネクションを作ることができますから、まずは自分が何をやりたいかを見つけて一歩を踏み出してみて下さい!

馬淵 雄紀さんが所属する
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プロフィール
mabuchiプロフィール
馬淵 雄紀(まぶち ゆうき)
1982年愛知県一宮市生まれ。株式会社イマージェント代表取締役。愛知県立一宮高校卒業後、2001年に体育専門学群入学。2006年筑波大学大学院体育研究科入学。サッカーに携わる仕事を、と筑波大学の門戸を叩く。1年時よりスポーツビジネスに興味を抱き、”スポーツ代理人”という存在を見聞きにしてサッカー選手のサポートをしたい、とスポーツ代理人業を志す。現在はプロサッカー選手の代理人として、細やかなコミュニケーション、サポートを通して多くの選手のキャリアサポート、交渉業務を行っている。
基本情報
所属:株式会社イマージェント
役職:代表取締役
出生年:1982年
血液型:B型
出身地:愛知県一宮市
出身高校:愛知県立一宮高校
出身大学:筑波大学体育専門学群
出身大学院:筑波大学大学院、成蹊大学法科大学院
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:サッカー方法論研究室
部活動:蹴球部
住んでいた場所:隠れ天三
行きつけのお店:とんかつ純平
プライベート
ニックネーム:まぶ
趣味:ジム、フットサル
特技:記憶
年間読書数:20冊前後
心に残った本:はだしのゲン
心に残った映画:ザ・エージェント
好きなスポーツ:サッカー
好きな食べ物:焼肉、卵
嫌いな食べ物:牡蠣、トマト
訪れた国:10カ国
大切な習慣:必ず朝食をとる
口癖は?:レス早く
座右の銘
  • 案ずるより産むが易し

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