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木村スライダー

スポーツを大きな産業にするために旗を振る

Entrepreneur
2016/09/19
インタビュー
  • 42
沖縄バスケットボール株式会社 代表取締役社長
木村達郎
(体育専門学群 1992年入学)

筑波大バスケットボール部での練習初日、上には上がいることを味わい、選手として、指導者として生きることを断念。卒業後はアメリカに留学し、100以上もの試合を観戦した経験が今現在、沖縄を拠点にするプロバスケットボールチーム・琉球ゴールデンキングスの運営に活きているという。チームをbjリーグ最多の4回の優勝に導いた男は、一体どんな大志を抱いて、無謀とも思える賭けに打って出たのだろうか。

日本のスポーツを変えたい

筑波大に進学したきっかけを教えていただけますか。

教員免許を取ろうと思ったのと、高校時代に憧れていたバスケットボール部の先輩が筑波大に進学していたので、その先輩を追う形で筑波大に行きました。私自身は中学校でバスケットを始めて、東京都立戸山高等学校のバスケ部ではキャプテン。東京都には300校以上の高校があるのでインターハイには3校が出場できるんですが、惜しくも4位でインターハイに出場できませんでした。

木村_東京都立戸山高校バスケ部集合写真

筑波大のバスケ部を通して印象深い思い出は?

当時の筑波大バスケットボール部のように、強くて、一流のところに行ったことで「プレイヤーとして生きていけない」と気付けたことは非常に運が良かったと思います。私は一般で入学したので、推薦で来ている同級生と比べたら体も小さかったし、技術もそれほどではありませんでした。推薦組の中には高校選抜に選ばれていたり、全日本に入っている選手も何人かいたので、練習初日で「自分は大学まででバスケットを辞めるんだな」と自覚したほどです。

もし中途半端に強い大学に行って、中途半端にプレーができていたら、中途半端な未来を生きていたような気がします。そんな思いもあって、進路を考える3年生の時にバスケットボールを指導する教員になるという目標を捨てました。3年生までは教職の過程をとっていましたが、「スポーツ界を裏方として盛り上げる仕事をしよう」と教員免許を取るのをやめることにしたのです。

木村インタビュー3

とりあえず教員免許を取っておくという選択肢はなかったのですか?

本気で教員になりたいわけじゃない私が教員免許を持つということは“逃げ道”のような気がしたんです。他のことで上手くいかなくなったら先生やればいいか、と保険をかけている気がしたというか。だから自ら退路を断って自分を追い込むことで、必死に別の道を探すことにしました。高校受験も大学受験も、滑り止めなしで1校に絞ったことで良い結果が出たことを思えば、中途半端に目標を散らさないほうが私の場合は良いのかもしれません。

別の道というと、卒業後にアメリカ・ボストンに留学していますね。

バスケットボール好きなら当時はみんな、アメリカのバスケットボールをテレビ観戦していました。もちろん私もその一人でしたし、アメリカのバスケットボールは会場のお客さんを巻き込んでこんなに盛り上がっているのに、どうして日本のバスケットボールはこんな風になれないんだろう?と疑問を抱いていました。「日本のスポーツを変えたい。もっと盛り上げたい」と思った時に、盛り上げるのはメディアの役割だと学生なりに考えて、スポーツとメディアにおいて世界でズバ抜けているアメリカに行こうと。ボストン中心地にある、エマーソンカレッジのマスコミ研究科で学ぶことにしました。

実際にアメリカでバスケットボールを体感して、いかがでしたか?

いざ現地で観戦して、スポーツビジネスが取り巻く大きさに驚きましたね。「毎週、こんなに多くの人が試合を見に会場に足を運ぶのか。裏方で働いている人はこんなに多いのか」と。スポーツビジネスを学ぶ学生として取材パスを入手し、NBAの試合をひたすら生で観戦したのは良い思い出です。100試合以上は観戦したんじゃないでしょうか。それが今の財産になっていると思います。

現地で働くことは考えなかったのですか?

ESPN(スポーツ専門チャンネル)で働きたいと思いましたが、アメリカのスポーツメディアはすでに確立された産業だったので、そこに私が入ったところで何か新しいエッセンスを加えることはできるだろうか?と。自分がそこで働くことの意味を見い出すことができませんでした。例えば「NBAで働きたい」「メジャーリーグで働きたい」と思っても、ただその舞台に身を置いて、自分が良い経験をしたと満足しているだけでは社会自体は何も変わりません。「チャレンジしたい」というだけで自己完結してしまうのは仕事の本質じゃないと私は思います。仕事を通して新しい価値観を生んだり、世の中が良くなっていくことが仕事の本質だと思うので、初心に立ち返り、「日本のスポーツを変えよう」と日本に帰ることにしました。

帰国後、NHKの関連会社である株式会社NHK情報ネットワークに入社されています。

大学時代、そこに勤めている筑波大OBの先輩を訪問していたご縁もありましたし、OB訪問で広告代理店など色んなマスコミ関係者と話す中で、「テレビでスポーツに関わりたいなら、NHKが一番幅広くスポーツに強い」ことを知りました。でもNHK本体に入ってしまうと、色んな経験を積むために地方局に異動になり、東京に戻ってくるのは10年ぐらいかかると言われています。私はあまり余計な時間を費やしたくなかったので(笑)、スポーツ番組の制作を専門に扱っているNHK情報ネットワークに入社しました。

どんなお仕事をしていたのですか?

務めていた期間は3年と短かったですが、下積み無しで、いきなりディレクターを担当させてもらえましたし、給料をもらいながら各地に出張して大好きなスポーツをタダで見させてもらえたことは本当に有り難かったです。

なかでも印象に残っているのはシドニーオリンピックですね。高橋尚子選手が金メダルを獲った試合を生で観ていたんですよ。その他にも、北島康介選手がデビュー戦で日本選手権で優勝した試合も生で観ましたし、高校野球が開催されている2週間、甲子園に張り付いて取材をしたり、プロ野球担当としても札幌から福岡まで日本全国を出張しました。

木村_シドニー五輪(倉石,田端,木村)

充実していたようですが、なぜ退社したのですか?

本来の目標である「日本のスポーツを変える」という意味では、このまま会社で働いていても何も変えることはできないと思ったからです。すでに人気のある競技に関しては、試合の一部分を切り取ってテレビで伝えることで、さらに盛り上げることはできますが、コンテンツ自体に魅力がないものは、いくらメディアが盛り上げても難しい。でもマイナースポーツの団体からは、「もっとメディアが取り上げて、盛り上げて欲しい」と言われる。

私がよく言っているのは、メディアはあくまでも“媒介”として、1あるものにプラス0.1の演出を加えることで10や100に盛り上げる力を持ってはいるけれど、最初からマイナス1のものを10や100に見せることは不可能だし、それは、いわゆるねつ造なのだと思います。

スポーツでエネルギーを発散させることが
人間の本質

そのような考えがあり、自らがスポーツを盛り上げる当事者に。bjリーグ(2016年秋よりNBLと統合し、Bリーグと名称変更)が開幕した2005年に、代表取締役兼ゼネラルマネージャーとして琉球ゴールデンキングスの設立活動を開始し、2007年にリーグ参戦を果たしました。

今振り返ると、当時は資金のことなど先のことが何も分かっていなかったから、こんなことができたのだと思います。大きな事業を成し遂げるには、常に“愚か者”でないとできません。もちろん緻密に計画を立てて、銀行からは計画通りにいっていると褒められますが、今、当初の計画を見返してみると、「よくこんなプランで突っ走ったな」と自分でも思うほどです(笑)。

どんな風にチームは作られていったのでしょう?

なんの縁もなかった沖縄に来て、一番は人脈を作ることでした。どういう人を、どういうルートで紹介してもらうのがいいかを考えることに一番時間をかけたといっても過言ではありません。1人に会えば、2人の人を紹介していただき、知り合いを少しずつ増やしていきました。そのうちスポンサーがつくようになり、少しずつ軌道に乗り始めましたが、それでも十分ではありませんでした。保証や確証といったものを誰かにしてもらっていないからこそ、自らの力で頑張り続けることができたのかもしれません。

木村インタビュー2

そのパワーはどこから湧いてくるのですか?

崖っぷちに立たされているから、やるしかないという気持ちと、「日本のスポーツを変えたい。もっと多くの人にスポーツを楽しんでもらいたい」という目標に向かって自分の好きなことやっている、その純粋な心がエネルギーの源になっていると思います。それに、性格的にも飽き性といいますか、今と同じ未来を生きることを想像するだけでは非常に退屈で。今の私が想像もできないような未来を作ることにワクワクする、というのが本質的にあると思いますね。

初年度は最下位、そして2年目には優勝を勝ち取りました。チーム作りのこだわりとは?

“マキシマイズ×ミニマイズ”といって、選手のいい部分は最大化(マキシマイズ)して、悪い部分は最小化(ミニマイズ)することです。普通の会社でもそうだと思いますが、仲間の悪い部分ばかりを大きく見て、愚痴ってばかりいると組織全体の雰囲気がネガティブなオーラになりますから、そういった選手はできるだけ取らないようにしています。

その采配が功を奏して、bjリーグ最多の4度の優勝を手にしました。

私が意識しているのは、勝った時こそ血を入れ替えること。優勝すれば必ず敵チームから分析をされてしまいますから、勝った翌年に、コーチや選手も躊躇なく変えたこともあります。このことは、2年目に初めて優勝をした後、3年目のシーズンで成績を落としてしまった時の失敗から学びました。

木村_トロフィー

沖縄には、どんな可能性を感じていますか?

沖縄の人は郷土愛が強いので、キングスはいずれもっと地域の人から応援されるチームになるだろうと予測しています。私自身は東京出身で、他の地域から移り住んでいる人が多い場所で育った人間から見ると、沖縄の人はこの土地を心から愛していて、この地域社会が良くなることを純粋に願っています。東京のほうがデータ上は教育水準も平均所得も高く、経済規模も大きいかもしれませんが、両方を見ている私としては、この沖縄の社会のほうがよほどポジティブで、未来があると感じます。

とはいえ、地元の人間ではない木村さんが新チームを立ち上げたことに関しては、相当ご苦労があっただろうと想像します。今、この10年を振り返ってどう思われますか?

日本ではいまだにスポーツビジネスは大きな産業になり得ていないし、「スポーツで、どうやって食べていくの?」と言われたこともありますけど、私はこの仕事を選んだことに何も後悔はありません。10年前、一攫千金の匂いにつられて多くの人がIT業界に引き寄せられて行きましたが、ITは、例えばプログラムを一生懸命覚えても、どんどん新しいものが増えていくし、1年前まで主流だったものが、今年はもう時代遅れという業界です。今、大手IT企業と言われている会社も10年後にはどうなっているか分かりません。一方、スポーツは10年単位で見てもほとんどルールは変わっていないし、この先もバスケットボールが世界から無くなることはないでしょう。つまり、皆さんが思っているほどスポーツは不安定な産業ではないのです。

そう言い切れるのは、なぜですか?

身体性があり、血の通った人間がエネルギーを発散させる方法として、テレビゲームや携帯ゲームは十分ではない。スポーツで体を動かしたり、スポーツ観戦などで日頃のうっぷんを晴らしたりすることが人間の本質だからです。以前、バックパックひとつでヨーロッパを回ったことがあるのですが、ローマには西暦80年に建てられたコロッセオという闘技場があり、ギリシャのアテネには、オリンピック発祥地とされる競技場が紀元前に建てられています。

スタジアムで人々が熱狂する文化が、国を超え、時代を超えて延々と今に受け継がれているのは、スポーツが人間にとって普遍的なものだからです。スポーツは尊いものだと思っているからこそ私はこの世界で生きているし、欧米と比べてスポーツ業界やスポーツ選手の地位を低く見ている日本の現状が残念でしかたがありません。スポーツに長けていると、いまだに「脳みそが筋肉でできているんじゃないか」と言われるほどですからね(笑)。だから、もっとスポーツを大きな産業にして、なかでもバスケットボールはまだまだマイナーなので、生で観ていただくことで「案外楽しいね」と思っていただけるように、私が旗を振っていこうと思います。

では、今後のビジョンを教えて下さい。

沖縄市が1万人収容のアリーナを作ろうと計画し、来年にも着工予定です。そのアリーナに、バスケットボールを観に来るお客さんが一杯になることを目指し、もう一つ上のステージにスポーツ全体を持っていくことが今の目標です。

最近、バスケットボール改革に関わってくださっている川淵三郎さん(Jリーグ初代チェアマン、前日本バスケットボール協会会長)の言葉が印象的でした。1993年にJリーグが開幕する前、川淵さんが「1万5000人規模のスタジアムが必要だ」と言っていた頃、サッカーの実業団の試合には実際300人ぐらいしかお客さんが来ていなかったそうです。そんな時に1万5千人規模のスタジアムを作ろうとしていたことを思うと、今、バスケットボールのお客さんが少ないといっても平均1500人〜3000人は入っていて、それを1万人に増やすのは難しいことではないと勇気づけられましたし、それが私の使命だと感じています。

木村1

あなたの“つくばウェイ”とは?

入学してすぐにバスケットボールで挫折したことで、自分の至らなさに気がついたこと。あの時、何がしたいかをしっかりと考えたことが今の自分につながっています。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

あとあと上手くいくと思って、今は目の前のことを精一杯やるしかないです。先が見えないと不安になりますが、だからこそ未来を信じて、未来の可能性に向かって進んでいける人間が最終的に強いと思います。

プロフィール
木村プロフィール
木村達郎(きむらたつろう)
1973年生まれ、東京都渋谷区出身。中学からバスケットボールを始め、東京都立戸山高等学校から筑波大学体育専門学群へ進学。卒業後、アメリカ・ボストンへ渡り、エマーソンカレッジにて修士課程修了。帰国後は、株式会社NHK情報ネットワークに入社し、スポーツ映像の制作に携わる。2005年のbjリーグ開幕をきっかけに、プロバスケットボールチーム設立活動を主導。縁もゆかりもない沖縄に単身飛び込み悪戦苦闘するも、ゼロから出資者&支援者を集め、地元バスケ関係者の支援を得て、プロバスケチーム「琉球ゴールデンキングス」を創設。初年度は地区最下位(2007-2008年シーズン)に終わるものの、二年目には奇跡的な大躍進を遂げリーグ優勝(2009年5月)を果たす。その後、2016年までの9シーズンにおいて、リーグ最多の4回の優勝を果たす。現在、沖縄バスケットボール株式会社(琉球ゴールデンキングスの運営会社)代表取締役社長。
基本情報
所属:沖縄バスケットボール株式会社
役職:代表取締役社長
出生年:1973年
血液型:AB型
出身地:東京都渋谷区
出身高校:東京都立戸山高等学校
出身大学:筑波大学
出身大学院:エマーソンカレッジ 
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:バスケットボール方法論
部活動:バスケットボール
住んでいた場所:天久保
行きつけのお店:ランラン
プライベート
ニックネーム:キム
趣味:仕事
特技:深く考えること
尊敬する人:母、父
年間読書数:10〜100冊
心に残った本:経営は実行(ラリー・ボシディ)
心に残った映画:JFK
好きなマンガ:スラムダンク
好きなスポーツ:バスケットボール
好きな食べ物:沖縄のお魚、泡盛
訪れた国:約30カ国
大切な習慣:自己対話
口癖は?:よいしょ
座右の銘
  • 仕事が遊び、遊びが仕事

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