大学時代、サッカーのコーチとして地域と人に溶け込むうちに、サッカークラブの運営、そして手作りの芝生グラウンドまで作ることになった石川慎之助さん。都内の純粋なサッカー少年だった彼が、まさかつくばに根差してサッカークラブの経営に携わるとは自身も想像していなかったようだ。最近では「人と文化が交流する拠点となるスタジアム」の構想を掲げるほど、サッカーがつないだつくばとの“縁”は日に日に強さを増している。
高校の時、筑波大サッカー部の活躍を目にして「筑波大でプレーしたい」と思ったことがきっかけですが、理系選択だったので当時の私にとっては体育学群よりも入りやすかった工学システム学類を目指しました。
それと、勉強もしっかり学べる国立というと筑波大しかないなと。親はもともと茨城県出身で、私も幼少の頃だけですが古河市に住んでいて親しみがあったのもありますね。僕は東京出身なので、東京の大学に行くと夢の1人暮らしが出来ないなという魂胆もありました(笑)。
小中高一貫の暁星学園に通っていたのですが、フランス人が作った学校なのでフランス語を勉強したり、授業でサッカーを学ぶ機会があったり。サッカー部に入った小学4年生以上の生徒は、月曜日以外は毎日朝7時の朝練と午後の練習に参加するなど、サッカーに触れる機会が多かったです。
僕たちの世代は全国大会に出られず、関東大会に出るぐらいのレベルでしたが、先輩も後輩も全国に行っているので強豪校ではあったと思います。印象に残っているのは、小学時代の指導者がドリブルをさせることが大好きな先生で、「ブラジル人は裸足でドリブルするんだ!」と、みんな裸足になって、普通のサッカーボールじゃなく小さめのゴムボールを使って練習したり、練習試合は服を着ているチームと着ていないチームでゲームをする、とにかくブラジル式の指導だったなと(笑)。都会のもやしっ子と呼ばれる生徒が多い中で、たくましく育ててもらえて良かったと思います。
想像通り競技レベルが高かったのと、高校まではフルピッチのグラウンドがなかったので、「筑波大はフルピッチなんだ。すごいな」と思った記憶があります。今、大学で同期だった小井土(正亮)が監督をしていて「日本中のコーチングスタッフを育てる環境を筑波大で作る」と頑張っていますけど、僕がいた頃から大学院生がコーチとして大学生の下のほうのチームまで見てくれて。トップ選手だけじゃなく、全体のことを考えながら情熱と知識を注ぐといったことが、今にも引き継がれている蹴球部の強さの秘密です。
僕は選手として上にいけませんでしたけど、コーチングを本気で勉強している、愛情ある大学院生に良い指導をしてもらえた4年間でした。
それは大変でした。いかに効率良く実験を終えて、サッカー部の練習に参加して、部活が終わったらまた実験に戻るといった具合に、体育専門学群の他の部員達とは違う大変さがありましたね。
部活以外にも、大学1年の冬から谷田部南サッカークラブに週に一度、コーチとして参加していて、その後、院生になってもコーチを続けました。コーチングの勉強をしたことはなかったのですが、自分の経験を子供たちに教える経験ができたことと、子供たちの保護者に誘ってもらって飲み会に参加するなど、地域との交流ができたことは非常に良い経験でしたね。大学にいると学生とばかり一緒にいて、なかなかそれ以外の人と知り合うのは難しいですから。
大学時代にほとんど勉強しなかった実感があったので、このまま就職してもまともに仕事ができないなと。大学院でちゃんと勉強して卒業してから就職しようと思ったんです。当時は5年間一貫の博士課程があって、最初の2年間で工学の修士をとった後2~3年休学し、復学するタイミングで、社会システムマネジメントに専攻を変えて卒業をしました。
これには大きな理由があるのですが、サッカークラブで教えていた子たちが中学生になり、サッカー部に入ったと聞いて練習を見に行ったら、冬場に霜が解けて土がぐちゃぐちゃのグラウンドで夕方4時から30分しか練習していなくて。日が早く落ちてしまうからしょうがないんですけど、それだけじゃなく部活の顧問も出たり、出なかったり。せっかく頑張って教えた子たちが、そんな環境でしかサッカーが続けられないなんてかわいそうだなと。
かといって自分も教員免許を取る時に教育実習にいきましたから、先生方の忙しさは本当に理解できる。僕がコーチをしましょうかと学校に申し入れたら、当時は学外の人が部活を教えるという概念がなく断られてしまいました。
なんとかしてあげたいという気持ちはありながらも、どうしようかと悩んでいたら、その2か月後に、筑波大の名誉教授である松本光弘先生が運営していた、つくばFCの活動を引き継いで欲しいと言われました。院生が小・中高校生をコーチングする経験の場として設立されたらしいんですけど、どんどん地域の少年団が活発になって、つくばFCへの参加者が減っていったのだそうです。
当時、僕は土曜に谷田部南SCでコーチをしていましたし、他のクラブに入っている生徒もほとんど土曜練習なので、つくばFCとしては日曜に練習を実施することにしました。
年々300人、400人と増えていきましたよ。以前、中学のグラウンドの状況を見ていたこともあって、やはり芝生のグラウンドじゃなきゃダメだろうということで、高野台にある芝生農家の宮本美彦さんにお願いして芝生畑を使わせていただくことになりました。そこで日本サッカー協会が実施しているS級ライセンスの講習会も行っていた縁もあったのですが、維持管理、芝刈のお手伝いもさせて頂いて、子供たちがサッカーをする環境がようやく整いました。
ずっとクラブの運営に携わるつもりはなく、どこかで就職しようと思っていたんですが、代表になって2年目の2002年に中学生のジュニアユース登録をしたんですね。その頃から保護者の方々に「このまま筑波に残って、地域に根差したクラブを運営して下さい」と言われるようになって、NPO法人格に関する資料を渡されたんです。それを読んでいるうちに、いずれ後輩に譲るにしても法人格をとっておいたほうがいいなと思うようになりました。
ちょうどその頃、日本サッカー協会主催の「スポーツマネジャーズカレッジ」という講座を受講することになり、色んなサッカー関係者と知り合う中で「この道を本気で考えてみてもいいかもしれない」と。そんな気持ちを抱きながら講座に提出する事業計画書を仮想で考えていたら、「これを本当に実現してみたい」と心が決まってNPO法人にすることにしました。
フットサルコートの運営委託を任されることになり、非営利法人では限界があるということで株式会社も設立しました。コートが閉鎖されるまで5~6年運営をしていました。
法人化してから13年になりますが、やはり金銭面では苦労しましたね。法人組織の頃は私自身の収入はほとんどなく、週4回家庭教師をしながらなんとか食いつないでいましたし、株式会社を興してからも色々問題が起こりました。それでもへこたれずに「地域に根ざしたサッカークラブを」と頑張れた理由の1つに、2006年、ワールドカップが開催されたドイツで見た光景があります。
日本だとサッカーをやる環境といえば学校か公共施設になりますが、ドイツでは町のクラブがチームやグラウンドを管理していて、そこには広告看板が付いている。中年のおじさんたちの試合を見ながらビールを飲み、語る。そのビールの売上で施設を運営している。民間の運営でもうまくやっていけるんだと、そういう光景を目の当たりにして「これを日本で実現したい!」とモチベーションが上がりました。
「世界一幸せなクラブを作りたい」という目標を掲げて、地域の子供から大人まで幅広い世代にアプローチし、サッカーをはじめ野球、ハンドボール、ヨガなど本気でスポーツに取り組みたい人からエンジョイ型まで色んなイベントを実施しています。
サッカーでいうと、トップチーム以外はセレクション無しで誰でも入れるよう間口を広げて、人数が増えたらグラウンドや指導者を増やすという発想で取り組んでいます。最近では、男子はJリーグ、女子はなでしこリーグを目指そうと地域の人から声が上がっているので、僕もそれに力を入れていきたいなと。
はい、人工芝の開発と販売をしています。今、埼玉や岐阜などに納品していますけど、これは自分たちのクラブだけが幸せになればいいということじゃなく、地域同士がつながって、たくさんの人に「人工芝が安く手に入って良かった」と思ってもらいたい。そういった活動も含めて、「世界一幸せなクラブ」でありたいと思っています。
一部は業者さんに依頼しましたが、スタッフみんなで汗をかいて、地面を平らにするのも手で芝を植えるのも、つくばFCの子供たちに協力してもらって手作りでやりました。忘れられない思い出ですね。今は手作りの芝生が半分と、もう半面は人工芝になりました。
子供たちを含め、地域の人たちに愛される“地元のシンボル”になるために「いつでも帰って来られるクラブ」であることも意識していて、例えばJリーグのクラブでうまくいかなかった子供たちは、そのクラブに遊びに行きづらくなってしまうと思うのですが、うちは小学、中学でサッカーをやっていた子たちが、「久しぶりに遊びに来たよ」って気楽に近況報告しに来られるような、“帰る場所”のようなチームでありたいと思っています。
今、社員20名、アルバイトは約100名いて、蹴球部の子を含め筑波大関係者が6割を占めていますが、やはりスタッフの採用と育成には一番気を遣っていますね。これが一番難しいと言っても過言ではない(笑)。僕のスタンスとしては、社員が自分自身でやる気を引き出せるように、あまり色々言わずに自由にさせて、「失敗したら最後は僕が責任をとるから頑張りなさい」と話すようにしています。
つくばウェイを読んでいる人の中で、私たちと一緒にクラブを発展させていく仲間になりたい人がいたら、是非飛び込んできて欲しいですね。特に、集客や営業、マネジメントなどに興味がある人は、これから面白いと思います。
JFL、Jリーグを見据える中で、スタジアムをどうするかという課題にこれから取り組んでいきたいです。先日、茨城新聞にも取り上げて頂いたんですけど、どこかにスタジアムをクラブで整備できればいいなと。例えば万博記念公園の敷地内に、スタジアムをはじめ、道の駅を作ったり、果樹園を作って四季折々の果物が食べられるようにするなど「人と文化が交流する拠点」を作って、地域の人が年間を通してひっきりなしに足を運べるようなスタジアムがあったらいいと思いませんか。
こんな人生になるなんて思ってもみなかったですけど、今の活動を通して「やっぱり筑波大に行って良かったな」と思うことが、よくあるんです。例えば、芝生作りで砂と土の性質の違いを調べていた時、ふと「この話は筑波大の他学群の友達が話して聞かせてくれたことがあるな」と思い出して。
あの頃、授業をサボっていたぶん食堂によく行っていましたが、そこで出会った学生に地学の話を聞いたり、物理の話を聞いたり。「あの頃、少しの知識を得ていたからこそ、社会人になった時に興味を持って深く掘り下げることができたのだ」と思うと、改めて、色んな分野の学生と交流ができる筑波大に行って良かったと感じます。
やる気をいかに引き出すかを教えてもらいました。指導者が上から言うのではなく、いつも「君はどう思う?」と聞いてくれたことで自ら考える力が養われたと思います。
学内で色んな人と接点を持つこと、それと社会や地域の人とも接点を持って欲しいです。将来の自分を助けてくれるのは仲間や今までの経験なので、大学時代にそれを広げることをお勧めします。
所属: | 株式会社つくばFC / NPO法人つくばフットボールクラブ |
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役職: | 代表取締役 / 理事長 |
出生年: | 1979年 |
血液型: | B型 |
出身地: | 東京都 |
出身高校: | 暁星学園高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
出身大学院: | 筑波大学大学院 構造エネルギー(修士:工学)、筑波大学大学院 社会システムマネジメント(博士:スポーツマネジメント) |
学部: | 工学システム学類 1997年入学 / システム情報工学研究科 2001年入学 |
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研究室: | ビジュアルサイエンス研究室(蔡東生研究室)、ロボット制御研究室(眞島澄子研究室)ポラーノの広場(住田潮研究室) |
部活動: | 蹴球部 |
住んでいた場所: | 一ノ矢宿舎、平砂宿舎、追越宿舎、桜二丁目 |
行きつけのお店: | クラレット |
ニックネーム: | しんのすけ |
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趣味: | 空を見る |
特技: | 空想(妄想) |
年間読書数: | 30~40冊 |
好きなスポーツ: | サッカー |
訪れた国: | 6カ国 |
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