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無農薬野菜を作る農園で、障がいのある人達のやりがいを引き出す

Entrepreneur
2020/03/30
インタビュー
  • 148
特定非営利活動法人つくばアグリチャレンジ・代表理事
伊藤文弥
(理工学群化学・2007年入学)

高校時代、ひょんなことがきっかけで政治家を志すようになり、大学時代に現つくば市長である五十嵐立青氏の事務所でインターンシップをすることに。そこでの出会いと気付きが今の人生を形成し、現在、障がいのある人々が働く“ごきげんファーム”の代表として、私たちがまだ気付いていない大切なことを世間に伝えようとしている。

大学時代、政治家の事務所でインターン

筑波大に進学した経緯について教えて下さい。

愛知県の進学校に通っていましたが、僕は360人中300番ぐらいの成績で。センター試験に向けて成績は上がっていったものの、目標にしていた京都大学は足切りで不合格。

自分のプライドと折り合いのつく大学で、かつ名の通った大学にいこうと、北海道大か筑波大に絞ることにしました。ところが親に北海道は遠いからと言われて、筑波大一本に。E判定でしたが、試験が終わった瞬間に合格を確信したほど問題が解けて、筑波大に合格しました。

理工学群化学で学ばれていますね。

高校時代は化学が一番苦手でしたが、予備校にいったことで化学が一番成績が良くなったので化学を専攻しました。

ところが筑波大で化学を学んでいる学生は、最初から化学が好きで、どうして化学が好きなのかすら意識したことがないといったタイプが多く、だんだんとついていけなくなり、自分の居場所がなくなってしまって…。

しかも1,2年はかなり遊んでいたので、周囲との温度差がありました。アディダスの黒と銀のジャージを着て、髪も長くて、あだ名は“ギャル男”でしたから(笑)。

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当時、どんな夢を持っていましたか?

高校時代から、政治家になりたいという夢を持っていましたね。とはいえ、どうすれば政治家になれるかが分からないから、本を読んだり旅行をしたり、見聞を広めることをしていて。周囲にも「将来は政治家になりたい」と言っていました。

なぜ政治家になりたいと?

バスケ部でキャプテンを務めたり、生徒会や応援団を務めるなど、学生時代から人を引っ張ることが好きだったのと、高校卒業の時にクラス全員であいうえお作文を作ったのですが、僕が担当した文字が“!(ビックリマーク)”で。

その時、調子に乗って「総理大臣に俺はなる!」って書いたんです。それ以来、ぼんやりと「政治家を目指そうかな」と。

政治家の事務所にインターンシップをした経験があるそうですね。

大学時代、友達が議員インターンシップのチラシを持って来てくれたことがきっかけでした。しかも、そのインターンシップをあっせんしている団体の代表が、僕が大学1年の時に魚民でバイトしていた時のバイト仲間だということが分かって。

「これも何かの縁だ」と、2ヵ月間のインターンシップをすることにしました。

それが、現つくば市長である五十嵐立青さんとの出会い。

はい。でも当初、五十嵐さんのもとで働くのは避けたいと思っていたんです。千葉と茨城の中から希望の議員さんを選ぶ際、五十嵐さんの説明蘭に「この人を一言で表現するなら、“情熱”です」と書かれていて、当時の自分では一番受け入れてもらえなそうな気がして(笑)。

千葉の議員さんを希望すると申し出ていたのですが、インターンシップの事務所が五十嵐さんを選んだという経緯があります。

情熱を持つ五十嵐さんのもとで働いて、いかがでしたか?

最初の1カ月は辞めたくてしょうがなかったですね。とにかく叱られることが多かったので。

まず初日に、「ポケットから手を出しなさい」と叱られ、まあこれはポケットに手を入れていた僕に問題があるんですけど(笑)、あとは「喋っていない時は口を閉じなさい」とか、箸の持ち方から話し方、立ち方、歩き方、服装など、とにかく全てにおいて注意をされました。

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それでもインターンを辞めなかった理由は?

五十嵐さんとの関係性が変化したやりとりがあったからです。

どんなやりとりだったのですか?

どうして政治家なりたいのかと聞かれ、僕が「カッコイイから政治家になりたい」と答えたら、五十嵐さんは「じゃあ選挙に落ちたら何になるのか」と。僕が「パイロットになります。カッコイイから」と答えたら、「ふざけるんじゃない!」と、めちゃくちゃ怒られて。

カッコイイことを仕事にしたいって何がいけないんだろう?と。色々と考えていたら、五十嵐さんにサミュエル・スマイルズの『自助論』という本を渡されて、その本を読んだことがきっかけで考えを改めるようになりました。

どんなことを感じたのですか?

本の中に「天は自らを助くる者を助く」という有名な言葉があり、自分が世のために努力することや、周りのことを考えることの大切さを学んだこと。

そして何よりも、五十嵐さんが本気で僕に向き合い、怒って下さってくれたことに対して「ありがたい」と感じるようになりました。

大学時代に、心から尊敬する人に出会えたことが自分の人生を変えてくれたと思います。
嬉しいのはどれだけ自分が頑張って成長しても差が縮まらないこと。ちょうど五十嵐が僕より10歳上なのですが、自分も10年後には今の五十嵐がしているようなことができるようになりたいと、思い続けられるような存在なんです。

その他、インターンで印象に残っていることは?

五十嵐さんの理解促進のために、つくば市の農業の現状を調べるように言われて農業普及センターなどでリサーチし、市議会委員を集めて、市の農業関係の職員に講義をしてもらうという話だったのですが、2日前ぐらいにその人が来ないということになって。

「君がスピーチしなさい」と五十嵐さんに無茶ぶりをされた時は驚きました。当時、それまで全く農業に関心なんてなかった大学3年生の僕が、たった1か月で得た知識だけでつくば市の議員に対して30分の講義するという……。

それは五十嵐さんの狙いでもあったのでは。

今思えばそうかもしれません。市の職員の方がドタキャンするなんて、ありえないですもんね。

結局、2カ月間のインターンシップが終わってからも週に一回事務所に来るよう声をかけて頂き、引き続き仕事をするようになりました。

そして就職について考える大学3年の夏に、ごきげんファームを立ち上げようという話になりました。

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それぞれが得意なものを担い、
お互いフォローし合う

ごきげんファームを立ち上げた経緯について教えて下さい。

障がいのある人たちにより、無農薬にこだわった農業を展開するという大枠を当時の代表である五十嵐さんが考え、僕は副代表として2011年にNPO法人を立ち上げました。現在は僕が代表を務めています。

役割分担としては、五十嵐さんが農地を借りたり、お金を借りたり、人を巻き込む。その他の実質的な仕事は僕の担当。立ち上げ当初は23歳、大学4年を卒業してすぐでしたから、農業にも福祉にも関わったことがない中、がむしゃらに働きました。もうすぐ10年目に入ります。

先ほど施設を拝見しましたが、働いている人たちが生き生きとしていて、皆が自分の意志を持ってやりたいことをやっている印象です。

上から押さえつける管理はしないのが、うちのモットーですし、障がいがある無しに関わらず、人には得意なものと苦手なものがありますから、できるだけ一人一人それぞれが得意なものを担当することで、お互いをフォローし合う。

そういったチーム作りをしているから、皆が生き生きとして働いているように見えるのかもしれません。

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なるほど。では大学時代での学びが、今に影響していることは何かありますか?

大学内での話ではないのですが、大学1年の時に読んだ高橋歩さんの本がきっかけでインドに行き、人生観が変わりました。しかも初めての海外旅行でしたから、町にいる物乞いの人を見たり、「何だ、これ⁉」っていう衝撃がたくさんあって。

その中でも衝撃だったのは、電車の中で知り合ったインド人の男性との出会いです。彼は日本語が喋れて、「以前日本人に助けられたことがあるから、日本人を助けたい」と、家にホームステイさせてくれるなど、すごく良い人だったのですが、ある日、預けていた3万2千円を返してもらえないまま、いなくなってしまって…。

今思えば僕の警戒心が薄かったのですが、残金3千円で10日間を過ごすことになったんです。

それは衝撃的な出来事ですね。

でも、そういった予想もしなかった出来事が起こったおかげで、残りの10日がさらに楽しくなったんです。

僕の一番好きな映画は『フォレストガンプ』なんですけど、あの映画は、ただ知的障がいの男性の人生を描いた物語ではなく、宿命転換の話だと思うんですね。良いことが起こると、それが悪いことにつながって、悪いことは全て良いことにつながる。そういうことって人生にはよくあると思うんです。

以前、インドに旅行したという障がい者の方に、バリアフリーが整っていなかったのではないかと聞くと「If there is no way, Find your way」 と言っていて。つまり「道がなければ自分で作ればいい」と、その言葉を思い出しました。

それと同じことは、ごきげんファームで働く方にも言えることです。一般的に「障がい者は不幸だ」と思われがちだけど、ごきげんファームで働く皆さんを見ていると、絶対に不幸だとは限らない――そんな風に思えるほど生き生きと過ごしていますから。

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たしかに、そうですね。では今後の展望について教えて頂けますか。

あんまり先のことは考えられないのですが、今は「農業の価値が最大限に感じられる地域を作る」というビジョンを掲げて仕事をしています。

僕たちと障害のある人たちが一緒に力を合わせて、農業で地域の人たちが本当に喜んでくれるような事業を作ることです。

障害のある人たちが働くための仕事を作るのではなく、障害のある人もない人も一緒に自分自身を誇れるような仕事をしたいです。

よく五十嵐が、作業のための作業はやめようと言っていました。
障害のある人の就労支援だと、そうなりがちなんです。本当に価値のある仕事を、全員が自分のためにできるような場を作り、障害のある人たちのための農場ではなく、地域の人たちが喜んでくれる農場にしたいです。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

なんでも楽しいことに変える!僕はこれまでに、つくばでたくさんチャレンジして、たくさん失敗しました。
落ち込んでいる暇もなくチャレンジしていると、結局終わった頃には楽しい思い出になっていることが多くて。同じ世代にチャレンジしている人が多かったから、支えあえた部分も大きかったなと。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

社会人になってから思うけど、筑波大学ってすごくいい大学だなーっと。
色んな挑戦をしている人たちがいて、それを応援してくれる大人達もいて。現役大学生には、自分の好きなことをとことんやって欲しいと思います。僕は筑波大学が大好きだし、筑波大学生であれば無条件で応援します!

伊藤文弥さんが所属する
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プロフィール
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伊藤文弥(いとうふみや)
1988年愛知県生まれ。筑波大学在学中、現つくば市長で当時の市議会議員であった五十嵐立青氏の議員インターンシップに参加し、障がいと農業に関する社会課題に触れる。その経験から、卒業後すぐに農福連携『ごきげんファーム』の事業を開始。事業は来年で10年目を迎える。ごきげんファームを運営するNPO法人つくばアグリチャレンジ・代表理事を務める。
基本情報
所属:特定非営利活動法人つくばアグリチャレンジ
役職:代表理事
出生年:1988年
血液型:A型
出身地:愛知県
出身高校:愛知県立西尾高校
出身大学:筑波大学
筑波関連
学部:理工学群化学
研究室:忘れました
部活動:特になし
住んでいた場所:天久保3丁目
行きつけのお店:特になし
プライベート
ニックネーム:特になし
趣味:漫画
特技:早食い
尊敬する人:イチロー
年間読書数:50冊
心に残った本:自助論
心に残った映画:フォレストガンプ
好きなマンガ:キングダム
好きなスポーツ:バスケ
好きな食べ物:焼肉
嫌いな食べ物:甲殻類
訪れた国:10か国くらい
大切な習慣:特になし
口癖は?:特になし
座右の銘
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